461.二人
ボス……ボス……
遠くで声がして、アキオは目を開けた。
いつものように、一瞬で覚醒する。
「大丈夫ですか、ボス」
駒鳥号の司令室内、椅子に腰かけて眠っていた彼に、アカラが呼びかけている。
「大丈夫だ」
答えた彼が身を起こした。
「うなされておられましたが」
「気にするな」
ここしばらく寝ていなかったので、単独でニューメアに向かう時間を利用して睡眠を取ろうとしたのだが、やはりうなされてしまったようだ。
アーム・バンドで確認すると30分に満たない時間だった。
「ボス、これをどうぞ」
アカラの声とともに、駒鳥号に一体だけ塔載されているライスがトレイに乗せた飲み物を持ってやって来た。
この世界では、ヌースクアムでしか使われない耐熱ガラスのカップの中で、褐色の液体が湯気を上げている。
その独特の色から、香りを嗅ぐまでもなくラーカであることがわかった。
ラーカは、光沢のある葉、白い花の低木の被子植物で、オレンジ色の実をつけるが、渋みが強くて食用にはならないということで、アラント大陸では、おもに観葉植物としてのみ栽培されていたものだ。
カマラと出かけたシャルレ農園から持ち帰ったものを、ミーナの提案で実を焙煎したところ、地球の珈琲に似た飲み物になった。
その後、アルメデを中心に、少女たちの間で人気の飲み物となっていたが、嗜好品に興味のない彼は飲んだことはない。
ライスが差し出すラーカを受け取った彼は、カップに口をつけた。
熱い液体が食道を落ちていく。
地球の珈琲同様、カフェインを多く含んでいるそうだが、ナノ・マシンで制御された彼の身体には何の影響も与えない。
ただ――鼻腔を抜けて立ち上る独特の香りは、彼に傭兵時代によく吸った麻薬タバコを思い出させた。
シートにもたれ、シーリング・スクリーンに映し出される視界320度の景色を眺めながら、ふた口めのラーカを飲み込んだ彼は、カップから口を離して苦笑する。
情けない話だ。
ひさしぶりに少女たちの温もり無しで眠ったが、覿面うなされた。
そろそろ自分も少女離れをして独りで眠ろうと考えていたが、まだ無理なようだ。
たった30分さえ安眠できない。
もちろん、二百年以上うなされ続けてきたのだ。
今さらそれを恐れることもないから、独りで眠ることに抵抗はない。
ただ、それをキィやカマラたちは許さないだろう。
彼が独りで寝ても、うなされないことを示して初めて、少女たちを解放してやることができるのだ。
少女たち――その中のひとり、キィが駒鳥号に搭乗しようとする彼を捕まえて最後に言った言葉が耳に蘇り、彼は目元を優しくする。
しばらく、見るとはなしにスクリーンを眺めた後、ラーカを飲み干したアキオは、カップをライスに返すと言った。
「アカラ、ETAまでどのくらいだ」
「あと10分で王都モンシェリです」
AIの返事に彼はうなずいた。
ニューメアからは、高い城内の空中庭園に着陸するように指示されている。
高い城には行ったことがないが、メデとキィの話からだいたいの様子は分かっていた。
ほどなく、小さな電子音と共にアカラが告げる。
「王都に到着しました。これより着陸します」
スクリーンには、陽光に照らされた数多くの石像が近づく様子が映し出されていた。
「着陸しました」
軽い振動と共にアカラが告げる。
「良い操縦だった」
アキオはAIを労うと、バッグを持って搭乗口にタラップに向かった。
その広い背中をカメラで捉えて、アカラは――自分には存在しないはずの胸が熱くなるのを感じていた。
ボスであるアキオと初めて会ったのは、あのドッホエーベ荒野だった。
マスター・シジマによって小型化されたAIキューブにインストールされた彼女は、ボスの二輪マシン、パニガーレに塔載されたのだ。
最初から、彼に対しては強い好奇心があった。
マスター・シジマの盲目的ともいうべき思慕、憧憬、愛情、母とも姉とも呼べるミーナクシーが彼に寄せる信頼、そのどれもが、アキオという存在が普通でないことを示していたからだ。
そして、彼女は彼と共闘した。
これ以上ないといって良いほどの激しい戦いを。
当時、戦闘用に特化されたAIであった彼女は、アキオの戦闘力の高さに驚き、共に闘えたことを誇りに思ったのだ。
そして、彼のために命を捧げようとし――最後に命を惜しんだ彼女を、彼はよくやったと褒めてくれた。
今、再びアキオと二人きりでニューメアに赴くことになった彼女は、何度か個人的に彼に話しかけようとしたが、マスター・シジマの嗜好で引っ込み思案に設定された性格のため、声をかけることができなかったのだった。
「しばらく睡眠をとる。ETAに近づいたら起こしてくれ」
そういって目を閉じたアキオは、しばらくすると苦し気な声を上げだした。
ひどいうなされかただ。
アカラは、その原因など詳しいことは聞かされていなかったが、それを防ぐために、毎夜、城の少女たちがボスと眠っていることは知っていた。
時刻を確認してアカラは迷う。
ETAまでは、まだしばらくあるが、もう起こすべきなのだろうか。
ああ、なんて悔しいのだろう――
自分に身体があれば、マスター・シジマのようにアキオの悪夢を取り除くことができるだろうに。
そう思いながら、彼女はボスに声をかけたのだった。
アキオが昇降階段を降りていく。
それを見ながら、彼女は呼びかけた。
「用意はできていますか、ラートリ」