460.船渠
「ユスラ」
「はい」
アキオが名を呼ぶと、桜色の髪の少女が返事をし、駆け寄った。
彼を見る。
「君と出かけるのは少し遅くなりそうだ。許してくれ」
「許しません」
言った後で、柔らかな笑顔を見せ、
「といったらどうしますか?」
「すまない」
「嘘です、謝らないで。皆がアキオを頼るのは仕方がありません。あのふたりが、あなたの寛容さに甘えるのは気に入りませんが……」
そう言うと、少女はアキオに抱き着いて、顔を押し当て匂いを嗅ぐ。
「はしたないですけど。アキオ成分をいっぱい取り込ませてくださいね」
他の少女たちは、人前で、滅多に見せないユスラの全開で甘える姿を見て驚いている。
「もっと、もっとください」
「わかった」
アキオは背を屈めて少女を抱え上げ、抱きしめる。
「ああ、アキオの頬は温かいですね」
しばらくして少女を降ろし、頭を撫でて歩き出そうとした彼の前にシミュラが立ちはだかった。
両手を広げて彼を止め、見上げる。
釣り目がちの大きな瞳が笑っていた。
アキオは、やれやれと首をふると、ユスラ同様に彼女を抱き上げた。
シミュラが彼の耳に息を吹きかける。
「ユスラだけではないぞ。わたしも順番待ちをしておるのだからな。早く帰ってまいれよ」
「了解だ」
シミュラを降ろした彼の前に、少女たちの列ができていた。
アキオは苦笑して、全員に同様の挨拶をする。
「主さま」
最後に抱きしめたキィが、引き締まった身体で彼を抱き返し、豊かな金髪を震わせながら耳元で囁いた。
「気がついていないといけないから、余計なお世話かもしれないけど、いわせてもらうよ――」
アキオは少女の髪を撫でる。
「ミーナ姉さんがいなくなって、一番、ショックを受け、寂しく思っているのはアルメデさまだ。ああいう人だから、わたしたちには、そんな気持ちを決して見せない。だから、主さまだけは分かってあげて欲しい」
「わかった」
「あと、ハルカによろしく伝えて」
「そうしよう」
伝えるべきことを言い終えた少女は、もう一度しっかり彼を抱きしめた。
「ああ、主さま――アキオ。初めて抱きしめてもらった時と同じように温かいね。ありがとう。嬉しいよ」
その姿をみてシミュラが呆れたように言う。
「ユスラに感化されたのじゃろうが……今生の別れでもあるまいに、皆、思い入れが強すぎるの」
保管庫に寄り、標準装備αを手にしたアキオにカマラが尋ねた。
「何で出ますか?白鳥号は先ほど帰投しています」
「駒鳥号を使う」
「わかりました」
駒鳥号や白鳥号は、ジーナ城から2キロ離れた地下格納庫兼発着場から発進する。
城と格納庫を結ぶのはモノ・ポッド、かつてドッホエーベで使われていたモノ・キャリッジに似た移動装置だ。
リニアモーターを用いて、最速で2キロを10秒で移動する。
時速720キロの計算だが、さすがにその加速度だと、ナノ強化を行っていてもダメージを受けるので、通常は60秒ほどかけて到着するようになっていた。
格納庫とは別に、アキオが眠っている間に、少女たちはリトーやライスを駆使してジーナ城の拡張を急ピッチで行っている。
開発計画の青写真は、すでにミーナによって完成されていたので、それに少女たちが話し合いながら手を加え、ニューメアから供与された金属資材を使って完成させたのだ。
結果、格納庫だけでなく、地上および地下演習場や資材倉庫など、ヌースクアムの各施設は城の周りの森林地帯に分散して開発され、それらもモノ・ポッドで結ばれていた。
そういったことを、歩きながらカマラが簡潔に説明する。
20人乗りのポッドに全員が乗り込むと、白い卵型の車体が緩やかに動き始めた。
全員、立ったままだ。
すぐに、窓の外を走路のライトが高速で飛ぶように流れ出し、一本の線になる。
「アキオは格納庫を見たことがありましたか」
カマラが尋ねた。
アキオに対するヌースクアムの施設の御披露目は、全員がそろって行うことにしていたはずだ。
目覚めてからのアキオは、数か月の彼の不在を埋めあわせるように、彼とお出かけすることに前のめりになった少女たちによって、施設の案内も満足にされないまま、外に出続けている。
「見たことはない」
アキオが答える。
少女たちの要望で、彼が使うのは専らセイテンだ。
「使いやすさと機能性をメインに考えて作りましたが、なかなか良い出来だと思います。期待してくださいね」
彼女が言い終わると同時にポッドは停止した。
ドアが開く。
「どうぞ」
カマラに導かれ、外に出たアキオの眼前に、広大、といって良い大きさの格納庫が広がった。
「ここはジーナ城より南西2キロ、テト湖付近の地下50メートル地点です」
「湖の近く――」
「ナノ・マシンによる土壌処理は完全ですから、浸水の心配はありません。なぜ湖の近くに作ったかというと」
「ボクが提案した」
「わたしが教えた」
シジマとラピィが揃って前に出た。
「大変だったんですよ。ふたりが湖の中から機体を離陸させるといって」
ユスラが苦笑する。
「湖が割れて、その中から駒鳥号が発進する予定だったんだ。ただ発着場所を隠蔽するだけじゃつまらないからね」
「却下だ」
アキオの言葉に、えーとシジマが声を上げる。
ラピィも不満そうだ。
「現状では必要ない」
発着場所を隠蔽するだけなら、森林の中にゲートを作るだけでいい。
すべてが滑走路浮不要のVTOLであるヌースクアム保有の機体は、サイズ一杯の小さな出口を地表に開けるだけで離着陸できる。
「わたしたちも二人を止めました。技術的に、離陸の際に湖の底を開閉するのは問題ありませんが、下層タンクに落ちた水を元に戻すのに1時間近くかかるのです」
ユスラが首を振る。
「たしかに、模型を使った実験では見栄えが良かったけどねぇ」
「ただ外へ出るだけのことに、毎回湖の水を上げ下げするお遊びは必要ないよ」
ユイノとキイも否定的な意見を言う。
「技術的に改善があれば見直せばいい」
アキオの言葉にシジマが笑顔になる。
「さすがアキオ。わかった、頑張ってみるよ」
それを見て、ほんの少し困り顔になったカマラがアキオに近づく。
彼の手を取り、反対の手で明るく照らされた格納庫を指さした。
「ここに置かれた白鳥号と駒鳥号は、そちらの――」
少女は、巨大な作業施設を指さし、
「作業場――わたしたちは船渠と呼んでいますが――で整備します。現在は、小型機を新造中ですね」
彼女が示す指の先には、無塗装の機体が巨大なアームに掴まれ、未完成の状態で輝きを放っていた。
サイズから考えて6人乗り程度の機体だろう。
アキオはうなずいた。