454.棺桶
「なにを待ってるんだい」
シミュラと並んで空中庭園へ戻ったオプティカは、彼女がじっと空を見上げるのを見て尋ねる。
「セイテン、つまりアキオがおぬしを送るための乗り物を待っておるのじゃ」
待つほどもなく、空から四角い塊が降りて来た。
勢いよく飛んで来たそれは、地表近くで急減速すると、黒の夜間迷彩から元の配色に戻った駒鳥号の近くに静かに着陸する。
それほど大きくない、ちょうと棺のような形をしたそれは、底部から脚を伸ばして自動的に立ち上がった。
「これが乗り物かい?」
オプティカが驚く。
「最高の乗り心地だよ。まあ、おぬしも乗ってみればわかる。わたしは、これに乗って、さっきの川まで飛んできたんだからね」
「セイテンを呼んでくれたのか」
背後から声がかかって、シミュラが振り向いた。
「ああ、さっきの川に置いたままになっていたからね。この子を送るのに必要だろう」
この子と言われたオプティカが、少々複雑な顔になる。
「助かる」
シミュラは、アキオの感謝の言葉に笑顔を見せた。
「それで、話はついたのかい」
「ユスラがまとめてくれた。あとはノランとシェリルがうまくやってくれるだろう」
「わかったよ」
アキオがオプティカを見る。
「では、君を送ろう」
そういって、集まってきた少女たちを見回した。
「サフラン」
「はい」
「スぺクトラと、あの二人を頼む。あとで会いに行く」
「わかったわ」
「ユスラ」
「はい」
「もう少し待ってくれ」
「わかりました」
少女は微笑み、小さい声で、少しだけ充電してもらいましたから、とつぶやいた。
「皆も先に帰っていてくれ」
彼の言葉に、少女たちがそれぞれにうなずいた。
「行くか」
アキオが斜めになって立った棺の一部に手を触れると、音もなく蓋が開いた。
内部に照明が灯り、内側に張られた赤い天鵞絨のような生地が光る。
彼が中に入って名を呼んだ。
「オプティカ」
彼女は、さっとシミュラに駆け寄って、耳元で何事か囁いた。
足早にセイテンに戻ると、差し伸べられたアキオの手を取って、彼に体を重ねる。
音もなく蓋が閉まった。
やがて、静音モーターが高速回転するような音が高まると、ゆっくりとセイテンは宙に浮かび、加速しながら上昇を開始した。
たちまち見えなくなる。
「あーあ。行っちゃった」
シジマが首が折れそうに夜空を見上げて言う。
「いいなぁ。ユーフラシアさま――オプティカは」
「少し羨ましい気がしますね」
「じゃが、おぬしらも、あやつの最後の言葉をきいたのじゃろう」
シミュラの言葉に皆が黙り込む。
ナノ強化されている聴力で彼女の囁きがきこえないわけがない。
最後の時、彼女はシミュラにこう言ったのだ。
〈少しだけアキオを借りていくよ。心配しなくても、あたしはあんたたちの席を取ったりしないって、若くかわいい子たちにいっておくれ。あたしは、この歳になって、好きな男ができただけで幸せさ〉
「あの方がその気でも、アキオが放っておかないでしょうね」
ミストラが呟くように言う。
「結局、若い頃の姿は見られなかったね」
「ユスラは見たのでしょう」
ヴァイユに問われ、少女は笑顔になる。
「ええ、見たわ」
「綺麗だった?」
「美しいぞ。かつて国を傾け、多くの男たちが命をかけたくらいじゃからな」
シミュラの言葉にシジマが反応する。
「なんでシミュラさまが――ああ、記憶で見たんだね。そうか」
ユスラが続ける。
「ええ、とても美しい方。でも、アキオには関係ないでしょう」
「そうですね」
「美しさでは、あやつを捕まえられぬからな」
「と、なると経験かぁ」
シジマが溜息をつく。
「アルメデさま、シミュラさま、ユイノ、それと……ラピィ!アキオって絶対年をとった女の人の方が好きだよね」
「ある程度、人生経験をした方の方が好みなのでしょうね」
ヨスルの言葉にピアノがうなずく。
「でしたら、長く生きた方がナノ・マシンで若返ったら無敵ではないですか」
「まあ、おぬしたちのいわんとすることは分かるがな、あの娘も、おぬしたち同様、ひどい人生の末にアキオと出会ったのじゃ」
「そうだよね。あの伝説のユーフラシアさまなんだから」
シジマの言葉に、少女たちはもういちどセイテンの飛び去った夜空を見上げる。
「アキオ……その、あたしの姿を若く――」
蓋がしまり、内部の光が柔らかな灯に変わると、オプティカが囁くように言う。
彼がうなずいて彼女の背中に回した腕を動かすと、一瞬で、頬にかかる髪がフリュラ色に変わるのが分かる。
薄明りの中で手を見ると、皺ひとつない若さ溢れる手に戻っている。
「ありがとう」
ふたりの間にしばらく沈黙が降りる。
「恐くないか」
アキオの言葉に、オプティカは小さく首を振る。
初めのうちは、感じたことのない妙な感覚で気持ち悪かったのだが、すぐに慣れて、今はなんともない。
というより、アキオの胸に耳を当てて、彼のゆっくりと穏やかな鼓動を聞いているうちに、心臓が音が聞こえそうなぐらい早鐘を打ち出し、感覚が気になるどころの話ではなくなったのだ。
さらに、彼女には、それよりも、もっと気になることがあった。
彼に呼ばれて、夢中で駆け寄って身を寄せてしまったが、旅に出て数日、毎夜、濡らした布で体を拭いてはいるが、水浴びもしていない体のまま、狭い箱の中でアキオに密着していることが不安になったのだ。
ひょっとして、いや、きっと自分は汗の匂いなんかがするに違いない。
彼女が顔を押し付けているアキオの体が、信じられないほど何の匂いもしないことが、彼女の不安を煽っている。
「あ、あのアキオ」
「どうした」
「すまないね。ここのところ水浴びもしていいないから、きっと――」
「問題ない」
「い、いや、あんたは気にしなくても、あたしが嫌なんだよ」
素早く首を振る彼女に、彼はそうではない、と言った。
「君の体は完全に清潔に保たれている」
そうアキオは断言し、怪我を治したものが、まだ体の中にいて、それが彼女を若く変え、体を清潔に保ってくれている、と説明した。
少女たちの言葉を思い出して、言う。
「いつだって、君の体は水浴びをした直後の状態だ」
「そんなことが」
「俺たちはそれをナノクラフトと呼んでいる」
「ナノクラフト……」
そういえば、シミュラの記憶にその言葉が出てきたような気がする。
「すごいね」
オプティカが呟き、安心したように彼の身体に身を寄せた。