452.階段
眼に見えてユスラの表情が険しくなった。
常に大人の態度をとる彼女にしては珍しい。
「わかりました。しばらく後に我が王とともに参上します」
そう言って、きゅっとアキオの腕を締め上げて形の良い胸に押し当て、
「その前に、わたしたちは、我が国の最重要課題について話し合わなければなりませんので」
シェリルを睨むように見る。
「ですから、どうか、あなたは先にいって、王に待つように伝えてください」
アキオの目に、眼を丸くするシェリルの姿が映った。
冷静沈着な態度を崩さない少女にしては、これも珍しい表情だ。
が、しかし、すぐに彼女は、いつも通りの落ち着いた顔に戻り、
「わかりました。お待ちしております」
一礼すると、背を向けて庭園を後にする。
すっきり背筋の伸びた綺麗な後ろ姿からは、彼女がどう思っているか分からないが、内心では、やれやれと首を振っているだろう。
「最重要課題」
少女の姿が消えるとアキオがつぶやいた。
「すみません、半分だけ嘘をつきました。国にではなく、わたしにとっての重要課題です」
そういって、ユスラは、ぽん、と音がするような勢いでアキオに抱き着いた。
顔をコートに押し当てる。
「アキオが目覚めておよそ半月、順番を決めて、ひとりずつ一緒に出かけるということは理解していますが――」
くぐもった声でそう言うと、彼女はアキオを見上げた。
ピンク色の唇が小さく震えるのを見て、バラの蕾に似ていると彼は思う。
やがて少女は、強い口調でひと息に言った。
「長すぎます。アキオは、一度出かけたら日帰りせずに何日も留守にするんだもの。本当ならもうわたしの番なのに……」
「そうか」
子供のように、いや、年相応の物言いをする彼女を、アキオは、初めて目にする生き物のように、あらためて見た。
ユスラは彼のコートをつかみ、興奮に眼の縁を赤らめて見つめ返している。
アキオの中の、彼女に対する、アルメデと共に皆をまとめる指導者という印象が崩れた、が、そうだったとアキオは思い直す。
彼が初めて袋に詰められた彼女と出会った時感じたのは、頭は切れるが少し浮世離れしたところのある、ふわりとした少女、という印象だった。
その後、少女たちが増えるにつれ、自然に彼女がまとめ役を買ってくれるようになった。
それでうまく回っていると思っていたのだ。
確かにそうだったろう。
最近までは――
今は、当時とは決定的に違う点がある。
ミーナがいない。
あの世話焼きで、気のいいAIはいなくなってしまった。
アルメデもいるから、負担は少ないのかもしれないが、彼の眠っていた数か月、無理をさせてきたのは確かだろう。
感情にまかせて内心を吐露したものの、それを後悔するように目を伏せる少女を見てアキオは考える。
自然に湧き出す感情が希薄な彼は、常に考えなければならないのだ。
俺のような、半分も人間でないような者を慕ってもしようがないが、せめて傍にいる間は、なるべく意に沿うようにしてやりたい。
よく理解できないなりに、彼も考えているのだ。
彼の周りの、小さく儚く優しい生き物たちの幸せを。
彼の沈黙をどう取ったのか、ユスラが慌てたように言葉を継いだ。
「い、いえ。もちろん帰らない理由があるというのはわかっています。わたしも――!」
少女の言葉が途切れる。
アキオが彼女を持ちあげて、しっかりと抱きしめたからだ。
ユスラの形の良い足が宙で揺れる。
「すまなかった」
アキオは、すぐに彼の首にしっかりと抱き着いた少女の耳元でいう。
「あまり気を張るな。ふたりでいる時は、昔のシアに戻ればいい」
当時の愛称で彼女を呼ぶ。
「――はい」
抱き着くユスラの胸がアキオに当たって、彼は出会った頃より彼女が成長していることに改めて気づくのだった。
しばらくそうしていたが、
「あの、アキオ。嬉しいのですが、子供みたいに抱き上げられるのは、ちょっと恥ずかしい」
ユスラの言葉で、少女をゆっくりと地面に降ろすと、彼は、豊かな桜色の髪で輝く髪飾りに目を止めた。
指で触れる。
「これは――」
アキオは思い出す。
ふたりで街を歩いた時に、彼が出店で手に入れた髪飾りだ。
「まだ使っているのか」
「もちろん」
少女は輝くばかりの笑顔を見せた。
「わたしの宝物だもの」
そういって彼に体を預ける。
「アキオ」
しばらくして彼女がつぶやくように言った。
「ごめんなさい、甘えて、もたれてしまって……」
「いいさ」
少女の髪を撫でてアキオが言う。
「君の体重ぐらいでは、俺は倒れない」
シミュラに肩を小突かれて、会話に耳を傾けていたデルフィは我に返った。
ふたり揃って庭に降りた時、タラップの上でアキオとユスラの声が聞こえたので、反射的に隠れてしまい、そのまま出る機会を失って、今に至っているのだ。
捜査員として、音を立てずに歩く訓練も受けている彼女は、シミュラに手を引かれると静かにタラップの背後から離れた。
「良いものを見たの」
庭園から城内に入るとシミュラが言う。
「あの方はユスラさま、元サラヴァツキー女公爵にして――」
シミュラが人差し指でデルフィの口を押さえる。
「いうでない」
「とにかく、あなたたちの中心人物だね」
「そうじゃな。もうひとり居るが、あやつが我らのまとめ役であるのは確かじゃ。だが、おぬしも見たな。そのしっかり者の娘が、我が王の前ではあの通りじゃ」
「本当に」
「ま、つまりじゃ、技能、能力云々より、あやつへの思いがどれだけあるかが大切ということじゃな」
「あなたは、なぜ、さっき会ったばかりのわたしを、よく知っているようにいうのですか」
少女が尋ねる。
「よくは知らんぞ。ただ、わたしはオプティカの記憶を見たからな」
そう言って、少女の背中を叩く。
「さあ、行くがよい。今から報告をするのだろう。これはわたしからのお願いじゃが、できれば、あまり我らのことを知らせないでほしい」
「そうですね。宰相とご相談してから、リズロ部長には明日報告することにします」
「助かる――ああ、ちょっとまて」
少女が、背を向けて立ち去ろうとするのをシミュラが止める。
「ああ、おぬし。希望をなくすでないぞ。またどこで、あやつと出会うかも知れんからな」