451.浅紫
「あと2分で、駒鳥号は王都シルバラッドに入ります」
アカラの言葉で、アキオは司令室前方、斜めに設置されたスクリーンに表示される飛行予定図を見た。
機体を黒く擬装し、中高度で街壁を越え、一気に中庭に到着するコースを取るようだ。
ほどなく、機体が降下し始める。
科学的な監視装置が存在しない世界のため、街の警備は衛兵の目視が主体だ。
さすがに城内の者には気づかれるだろうが、夜も更けたこともあって、城から離れた城下の人間に気づかれることなく小型艇は降下していく。
あらかじめ、ユスラがノランに連絡をしているため、8分割されて機体の各方向を移すスクリーンのひとつには、多くの篝火で浮かび上がるシルバ城の空中庭園が映し出されていた。
「アキオ」
メディカル・ルームから出てきたサフランが彼に近づく。
彼女には、アイリン、スペクトラ、そして今回のリリーヌの面倒を見てもらうことになる。
「手間をかけるな」
彼の言葉に、フードの中でサングラスを取ったサフランが彼を見た。
オレンジ色の眼、四角い虹彩に、強い異国情緒を感じる。
ジュノスであった頃は大人びた容姿だった彼女だが、シスコやサフランとの融合を果たした今は、少女といってよい姿になっていた。
見た目とは逆に、話し方や性格は落ち着いた印象だ。
「いいのよ。わたしにできることはやるわ」
サフランが微笑む。
「ふたりのことだが」
「聞いたわ。旧型のナノ・マシンが入っているのね。なんだか懐かしい、キラル症候群……」
「君が治療法を見つけてくれた」
アキオは、少女の瞳を見つめる。
「あなたも、この目はおかしいと思う?」
「いや」
かつて、中東の砂漠地帯に身を潜めた時、ギーテという名のマンバー種の黒山羊と、ひと月、寝食を共にしたことがある。
サフランの瞳は、彼に彼女を思い出させた。
「俺には懐かしい目だ」
彼女は何か言いかけるが、
「そう、あなたの思い出と重なるならうれしいわ」
幼い容姿に似合わない、大人びた笑顔を見せた。
「だが、いつもサングラスをかけてフードを被るのは面倒だろう」
変わった髪色、瞳の色の者が多いこの世界でも、彼女の容姿は特異だ。
「平気よ。あまり外にはでないから」
アキオは壁際にある備品ロッカーに近づき、扉を開けた。
箱を一つ手に取ると、中から透明なアンプルを取り出す。
アーム・バンドにいくつか命令を打ち込んだ。
親指でアンプルの首を折り、サフランに差し出しながら言う。
「点眼してくれ」
「これは?」
「空いた時間で作ってみた。君が発生する強烈なベルゾ波の影響を受けずに、体内の局所にとどまって、目と髪だけを変化させる特化型ナノ・マシンだ。害はない」
「わかったわ」
少女は躊躇なくアンプルの液体を目に落とす。
「サフラン」
アキオは、彼女に手を差し出した。
すっと少女がその手に触れるとしっかり握り、部屋の端に設えられた全身鏡へ誘う。
アーム・バンドをタップした。
一瞬で、サフランの虹彩が丸くなり、瞳と、フードから出た髪色が浅紫、いわゆる藤色になる。
「まあ……」
「不具合はあるか」
彼の言葉に、サフランは、体の声を聴こうとするように目を閉じた。
「大丈夫だわ」
「色は、いまのところ浅紫だけだ」
アキオの言葉に、地球語を解する彼女がうなずく。
「それは構わないわ。西の国の果てに、この目と髪の部族がいるから。その地の出身と名乗りましょう――ありがとう、アキオ」
そういうと、フードをとって顔を晒した。
「まあ、サフラン、お似合いよ」
ヨスルが駆け寄り、少女の顔を覗き込んで髪に手を触れる。
「西の国の果ての、トーカ族の姫君みたいね」
「ありがとう」
少女は美しく笑った。
機内にチャイムが響き、アカラの声が告げる。
「目的地に到着しました」
それを聞いて、少女たちは一斉に動き始めた。
ミストラは、オプティカと共にメディカル・ルームへ入り、少女を抱き上げた青年を連れて来る。
ピアノは、ヨスルと共に、ゴランの頭を持ってタラップへ向かう。
シジマは、目まぐるしく変わるデータに目を通しつつ、白鳥号へ転送している。
リリーヌを抱いた青年とオプティカが、ミストラに導かれて昇降機に乗るのを見ると、サフランはアキオの腕を掴んで顔を近づけた。
早口で、囁くように言う。
「アキオ、今度、時間をとってくれますか。お話があります。とても大切なお話が」
「わかった」
「お願いします」
そういうと、サフランは、降り始めた昇降機に飛び乗った。
腰まである浅紫の髪が美しく光り、風に流れる。
デルフィは、ひとり階段を降りながら考えていた。
思い出していたのだ。
城に到着した時のことを。
アキオは、少女たちを呼び、各自にやるべき仕事を伝えていた。
彼女たちは、与えられる命令を嬉々として聞いている。
つまり、彼女たちは、可愛い、綺麗でアキオに愛でられるだけの存在ではないのだ。
少女たちは、各自がもつ能力によって、アキオの周りに確固たる地位を築いている。
かなわないな――
「どうしたのじゃ、小娘。背中がしょんぼりしておるぞ」
いきなり背後から声がかかり、肩を抱かれる。
シミュラだ。
彼女は立ち止まった。
「そんなに暗殺姉妹が恐ろしかったか」
「あ、暗殺姉妹?」
「なに、昔のことじゃ。いまは無害な恋する乙女じゃぞ。わたし同様な」
なんせアルドスの魔女じゃったからの、とつぶやくシミュラに、デルフィは考えていたことを話した。
「良く見ておるな。その通りじゃ。あやつらは、どんな些細なことでもいい、アキオの役に立ちたいのじゃ。全員がアキオに命を救われておるからの。役に立つ、ということについては――今回は来ておらんが、カマラという娘がおってな。ある事情で、言葉さえ話せず十数年、獣のように暮らしておったのを、アキオによって救われたんじゃ。そやつが、その恩に報いるために己が持つ能力のすべてをあやつに捧げようとするのを見て、他の者も真似を始めたのじゃな」
「そうか、そうなんだ」
つぶやく少女の肩をシミュラが揺さぶる。
「そう落ち込むな。おぬしに、なにか得意なものがあるじゃろう」
そういったあと、猫のように美しく吊り上がった大きな目に笑いを浮かべ、
「いかんな、アキオに近づくなといっておきながら、こんなことを申しては。ま、わたしはおぬしは嫌いではないからの」
少女たち全員が部屋を出ていくと、最後に残ったアキオは人気の無くなった司令室を見渡した。
「快適にお過ごしになられましたか、ボス」
アカラが話しかけてくる。
「いい操縦だった」
「ありがとうございます」
アキオがタラップを降りようとすると、ユスラが待っていた。
彼の姿を見つけて、さっと近づいて腕を組む。
「少しの間、こうしていても良いですね」
そういって腕を締め上げるようにきつく抱いて会談を降り始める。
他の少女たちは、それぞれの作業のために庭園を後にしたのか、すでに姿が見えなかった。
タラップの下で影が動いた。
シェリルだ。
ふたりを見上げて深く一礼すると言う。
「おかえりなさいませ。ノラン王がお持ちしておられます」