450.旧型
「どうじゃった」
アキオの後から司令室に戻ってきたオプティカにシミュラが話しかける。
「ああ、ありがとう。満足だよ」
柔らかな笑顔で答える彼女に身を寄せると、黒の魔女は手を伸ばして肩を抱いた。
身長差があるために、そのままでは届かないからだ。
さらに伸ばして、オプティカの胸の中央に手を触れる。
「アキオの心臓は元気に動いておるようだの。あやつに触らせたか」
「あ、あぁ、うん」
「しかし、なぜその姿なのじゃ。わたしたちの前では、本来の美しい姿を見せればよいものを――やはり、アキオだけに取っておきたいのか。頑固なやつじゃの。まあ、おぬしのような経験をすればそうしたがるのも仕方ないところじゃが」
「すまない、シミュラ」
「あやまらずともよい。わたしは、歳をとった今のおぬしの姿も好きなのでな」
シミュラはオプティカから離れ、彼女を見る。
アカラが用意したソフレーヌは、半袖で膝上の丈の若々しいデザインのものであったが、今、彼女が着ているものは長袖になっていた。
スカート部分も膝下まで丈がある。
アキオが年齢に合わせて長さを調整したのだろう。
「大叔母さま」
ユスラに声をかけられて、オプティカが苦笑する。
「その呼び名はやめてほしい。ただ、ティカ、と」
アキオの眷属たる少女たちに名前で呼ばれることは嫌ではない。
「はい。ティカさま。今後の予定をお伝えしますね。わたしたちは、一度、サンクトレイカ王都のシルバ城へ向かいます。その後、アキオがあなたをシュテラ・ミルドへお送りするのですが、その前に、現王に会われますか?」
「あたしはもう、王族とは何の縁もない女だ。やめとくよ」
「わかりました」
言い終わってから、ユスラが、少し躊躇した後、オプティカに抱き着いた。
「ああ大叔母、いえティカさま」
「あらあら、どうしたんだい」
周りにいた少女たちが驚きの目で彼女を見た。
王族として生まれ、高位貴族として過ごしてきた彼女は、あからさまな感情を見せることを嫌う。
ユスラが、アキオ以外に感情の高ぶりをみせるのは珍しいのだ。
「お話したいことがたくさんあるのです。ブリスカルおじいさまのことも」
「そうか、あんたはサラヴァツキー公爵家の人間だったね」
「はい」
「知っているのかも知れないけど、あたしを妹の悪意から救い、生きる術と目的を与えてくださったのはブリスカルさまなのさ」
ユスラが、オプティカを見上げる。
「いつか、お話を聞かせていただけますか」
「いいとも」
「いま、いいかい」
ピアノとヨスルがアキオから離れて、指令室の隅で打ち合わせを始めると、シジマが声をかけてきた。
彼がうなずくと、手を引いて司令室前部にある汎用テーブルに連れて行く。
「あ、その前に」
シジマがテーブルに触れると、大量の各種数値が表示された。
天板はスクリーンを兼ねている。
ひとしきりそれに目をやったシジマは、ため息をついた。
表示された数値が何であるか、アキオは理解している。
それは、彼のバイタル・データだった。
「あのねぇ、アキオ」
近づいたシジマが、彼の胸を、トンと叩いた。
いつも全力で愛情表現をする彼女にしては珍しい。
「今現在、身体に異常はないみたいだね。でも心臓をつかみだすなんて無茶しすぎだよ」
アキオは彼女の声が震えていることに気づく。
「シジマ――」
「駒鳥号に乗って、あらためて考えていたら怖くなったんだ。いつもいうけどさ。アキオは自分の身体を軽々しく扱い過ぎるよ。もしものことがあったらどうするの。もっとみんなのことを、ボクのことを考えて行動してよ」
彼は、少女の小さな両肩をつかんだ。
「もしもはない」
断言する。
アキオは少女の顎に手をやり、顔を上げさせた。
美しい眼に涙がたまって、あふれそうになっている。
思っていた以上に心配をかけたらしい。
少女の涙を指で拭うと、
「なんでさ」
シジマが彼の手をつかんで問う。
「君がいるからだ」
間髪を入れずに答えた彼の言葉に、はっと少女が眼を見開く。
「何かあったとしても、君がいれば何とかしてくれるだろう。今回は――」
アキオは彼女の髪を撫でる。
「君が改良を加えたマシンなら、あの程度は問題ないと判断した。感謝する」
アキオの率直な評価と謝意に、シジマが頬を染めた。
「そ、そんな言葉じゃ誤魔化されないからね」
「以後、気をつけよう」
「本当だよ」
「すまない」
重ねる謝罪に、少女の顔に笑顔が戻った。
「う、うん。わかってくれたらいいんだよ――あ、それと、あとでPS対応型ナノ・マシンのデータを見せてね。あれはすごい。事実上、PS濃度のある程度濃い場所では、アミノ酸プールなしで、体のほとんどを再生できるんだから」
「それほど万能ではないが」
PS濃度が濃い場所でないと効果的でない上、WBを損傷すれば使えず、重要臓器も修復は難しい。
「プロトタイプであれなら十分だよ。今後、得たデータをフィードバックさせて完成度を上げたら、すごいことになるはずさ」
アキオはうなずいた。
機嫌の戻った少女に尋ねる。
「それで、要件は」
シジマは、気持ちを切り替えるように頭を振った。
テーブルに触れて各種データを表示させながら、使用言語をこれまでのサンクトレイカ語から地球標準語に切り替えて続ける。
「さっき、アキオの倒したゴラン内部のナノ・マシンを調べてみたんだけど――」
「アイギス・ミサイルで増殖した残りか」
「知ってたの!」
アキオが首を振る。
知っていたわけではない。
単なる消去法だ。
ケイブの体内のナノ・マシンは、グレイ・グーではない。
ヌースクアムからナノ・マシンが流出したことはない。
グレイ・グー以外に、この世界に存在するナノ・マシンは、大気圏外から飛来し、ギデオンと戦ったものだけだ。
よって、コンケイブの体内のナノ・マシンは、何らかの理由でギデオン戦から逃れたものである。
アキオがそう言うと、
「そうなんだ。つまり、今回強化された、人も魔獣も旧型のナノ・マシンを体内に持っている。だから――」
「放置すると、キラル症候群を発症する」
アキオの言葉に少女がうなずく。
「そう」
「ミストラ」
アキオは、ディスプレイを見つめたまま、名を呼んだ。
「はい」
すぐに返事をして少女が足早に彼に近づく。
「サフランに協力して、リリーヌとケイブから、他にナノ・マシンを与えた個体がないか確認してくれ。注入された旧型のナノ・マシンによるキラル症候群の恐れがある」
「わかりました」
アキオはシジマを見た。
「ゴランからナノ・マシンを抜き出して行動記録を調べてくれ。活動範囲が分かったら、グレイ・グーに命じて回収する」
「わかったよ」
彼女がうなずくと、彼は、続けて、残りの少女たちにも指示を与える。
アキオと少女の会話を、少し離れたシートに座ってデルフィは見ていた。
途中から、彼女の知らない言語に変わったので内容まではわからない。
しかし、それで彼女は理解した。
潜入捜査員として、彼女はアラント大陸で使われるほとんどの言語を扱うことができる。
だが、アキオたちが本来使っているであろう言語は理解できない。
つまり、彼らの国の言葉は、この世界のどの言葉とも違うのだ。
これまでは、部外者、主にオプティカに疎外感を与えないように、一部、理解できない単語を混ぜながらもサンクトレイカ語を使っていたのだろう。
だが、今は機密に関わる相談をしているため、諜報員である自分に分からない言語に切り替えたに違いない。
そう考えると、当然のことではあるものの、デルフィは一抹の寂しさを覚えるのだった。
実際は、彼らにそのような意図はなく、技術用語は地球語の方が話しやすいので変えただけだったのだが……