449.詰問
「ということは、あなたは、アキオと一緒にあの男のいじめにあっていたのですね」
「え、は、はい」
紅い瞳と菫色の瞳、似てはいないが姉妹らしき美少女ふたりに挟まれて、デルフィは身を縮めていた。
国軍兵士の父と、傭兵の母の間に生まれ、自分以外は全員男の5人兄弟の3番目として育った彼女は、小さいころから、兄弟に混じって男同然に育ってきた。
後に剣士として頭角をあらわし、国軍に入った長兄と常に剣を合わせていた彼女は、物心がつく頃から、男女を問わず、同世代の者に剣技の立ち合いや喧嘩で負けたことがない。
兄の推薦もあって、成人後にサンクトレイカのために働くことになった彼女は、内務部に配属され、この一年、かなり危険な任務をこなしてきた。
暗殺も行った。
潜入先で命を懸けたことも、一度ならずあった。
しかし――
これほど命の危機を感じたことは、かつてなかった。
いま、彼女は、変わった意匠ではあるが、座り心地の良い椅子に腰かけて冷や汗を流し続けている。
まず、彼女の右手に座っている淡青色の髪の少女が恐ろしかった。
優しい顔で微笑んで、静かに質問しているだけなのに指先が震えてしまう。
どれほどの死線と地獄を見てくれば、こんな抑えられないほどの圧を身に着けられるのだろう。
「お姉さま、顔が近すぎると思います。デルフィさんが怖がっておられるではないですか」
怖い、たしかにこの姉は恐ろしい。
だが、本当に怖いのは、今言葉を発した、彼女の左に座っている灰色髪の少女だった。
髪の毛ひと筋ほどのミスで、簡単に命を失う潜入捜査では、まず敵の思考を推し量り、力量を見誤らないことが生き残るための第一条件だ。
彼女はその能力に自信があった。
だからこそ、恐ろしい。
この赤い眼の少女はとんでもない。
この娘に比べたら、あの怪力の青年など何でもない。
彼は、確かに強かった。
だが、それは、いわば遊びの強さだ。
その根底に殺意はない。
だから、彼女は彼に挑むことができた。
その結果は惨敗だったが。
そしてアルト、アキオ――
最初に見た時、彼はボルズに殴られ血を流していた。
内務部長のリズロから、王命で部隊に参加する者がいると聞かされていた彼女は、顔の知られた古参兵の中で、ただ一人、彼女が名を知らないアルト・バラッドがその男だと予想していた。
しかし、目の前で殴り飛ばされる、その弱さがあまりに自然だったので、しばらくは、彼が本当に何かの間違いで配属されたのではないかと思っていたのだ。
彼の強さが、彼女にはまるでわからなかった。
だが、今ならわかる。
アキオは、いわば目の前にある山のような存在だ。
そこにあるだけでは、特に威圧も恐怖も感じない。
対峙しても恐ろしさがわからない。
おそらく、彼が、そう感じさせようとしない限り、殺される瞬間まで、相手は恐怖を感じないだろう。
その後、実際に彼と闘って、持てる暗殺技術をすべて封じられた時も恐怖は感じなかった。
やがて――彼女は、彼が青年と闘う姿を見た。
ゴランと闘う姿を眼にした。
彼女はアキオに畏怖を感じるより、その動きに美しさを感じてしまった。
確かに彼は凄まじく強い。
だが、奇妙な動きで敵を圧倒する彼の体さばきは、洗練されて美しくはあったが恐ろしいものではなかった。
あの女性、なぜかアキオが気にかけ行動を共にしていたマフェットが重傷を負うまでは。
そして、彼女は知った。
今まで、彼が遊び半分で、ゴラン、それも明らかにただのゴランではない化物と闘っていたことを。
本気を出した彼は圧倒的だった。
ゴランを越えた化物の攻撃を歯牙にもかけず、正面から挑んであっさりと殺してしまった。
いや、正確にいうと、殺したのではなく、頭だけで生かしているということらしい。
まったく理解不能な魔法。
正しく、彼は魔王だった。
だが、それは恐ろしい存在ではない。
先に述べたように、彼女が感じるアキオは、その頂を雪に覆われた動かぬ美しい山だ。
一度見てしまったら、その姿に憧れ、近づきたいと思ってしまうような――
しかし、今、彼女の横に座る紅い眼の少女は違う。
潜入捜査員としての勘が、経験が、最大音量で警戒の鐘を鳴らしている。
彼女は暗殺者だ。
その美しい髪の毛の先から、すらりと伸びた足の先まで。
今も、澄んだ紅い眼で、ひたと彼女を見つめて少女は問うている。
「それで、アキオと一緒に、あの青年と闘った、というのですね」
「闘ったというより、わたしが勝手に闘いを挑んで跳ね飛ばされ、怪我をするところを受け止めてくれたんだ」
「受け止めた。抱きとめられたのですか」
一瞬、彼女の紅い眼が鋭くなったように感じた。
ああ、なるほど。
デルフィは悟る。
この少女は抜き身のナイフだ。
妖しく危険な光を刀身に宿した。
最高に切れ味のするどい、髪の毛を刃先に当てて息を吹きかけるだけで切断されるような鋭利な刃物。
「一瞬、受け止めてすぐに地面におろされた。それだけだよ」
少女が真偽を確認するように彼女を見つめた。
恐ろしい。
「わかりました」
やっと彼女から無言の圧力が消える。
「ごめんなさいね」
菫色の瞳をした姉が入れ替わって話し出した。
「特殊な環境で育ったわたしたち姉妹は、あまり恋心というのがわからないのです」
「はあ」
「ですから、率直にお尋ねします。さきほど、シミュラさまが冗談めかして仰いましたが、あなたはアキオが好きですか」
本当に直截な質問だ。
「いえ、わたしは……会ったばかりだし」
「時間は関係ありません。それはわたしにもわかります。シミュラさまは、性格的にアレなところがありますが、そういった男女の心の機微にはお詳しいので確認をしているわけです」
「ヨスル、聞こえておるぞ」
背後から聞こえる声に、振り向いた少女は座ったまま頭を下げる。
「そのような気持ちはありません」
デルフィはきっぱりと断言した。
せざるを得なかった。
他に選択肢はなかった。
しかし、アキオも大変だ。
心底そう思う。
彼女たちは、彼の婚約者だといっていた。
サンクトレイカで複数の妻を持つものは珍しくはないが、こんな恐ろしい娘たちを周りに置くものはいないだろう。
その時、展望室の扉が開いた。
アキオが出て来る。
「ピアノ、ヨスル」
「はい」
名を呼ばれた少女たちは、即座に返事をすると、美しい所作で椅子から立ち上がり、彼に走り寄った。
「え、なに」
おもわず驚きの声がデルフィの口を衝いて出る。
その走り方、アキオの前で立ち止まって彼を見上げる表情――まるで16、7のただの小娘ではないか。
彼の言葉を聞きながらうなずく姉の方は頬を、妹は目元をうっすらと赤く染めている。
話し終えたアキオが、頭を数度、軽く押さえると少女たちはアキオに抱きついた。
その様子を見ながら彼女はゆっくりと首を振る。
あの恐ろしい生き物たちを、あれほどまでに可憐に可愛く変えてしまう。
やはり、アキオは魔王に違いない。