446.感応
「では、始めましょうか」
最後の馬車が、緩やかに曲がる街道の向こうに消えると、ユスラが言った。
「アキオ、わたしが命令してもいいですか」
「もちろんだ」
少女は彼に走り寄って抱き着くと、身体を離し、
「グリム」
名を呼ぶ。
さっきと同じように、地面から黒い少女が現れた。
「はい」
「軍橋モード解除、引き続きこちらの川岸から対岸まで照明塔Aタイプ構築、高さ10メートル、間隔20メートル」
「アイ・マム」
「アキオ以外はあなたじゃないんだ」
感心したようにシジマが呟く。
少女が地面に消えると、太陽に照らされた氷が溶け落ちるように、橋が水中に消え去った。
続いて、彼女が命じた通り、水中から20メートルおきに照明のためのポールが伸び上がる。
「ピアノ、ヨスル」
ミストラの言葉で、紅い眼と菫色の瞳の少女が彼に歩み寄った。
ピアノは、コートからP336を取り出すと遊底をもって彼に差し出し、ヨスルは青色に着色された4つの弾丸を右の掌に乗せて彼に見せた。
ユスラが照明塔と言った時から、するべきことは分かっている。
アキオは、右手で銃を受け取ると、リリース・ボタンを押して、弾倉を自重落下させ、左手でつかんだ。
遊底を引いて薬室に弾丸がないか確認する。
差し出されたヨスルの左の掌に指で弾丸を押し出しすと、右手の弾丸を掴んでマガジンに装填した。
再度、遊底を引いて、薬室に弾丸を送り込む。
流れるような手つきだ。
そのままアキオは腕を伸ばし、無照準で4連射した。
狙い過たず、全弾が照明塔の先端部分に命中し、明るい光を放ちだした。
あたり一帯と川面を照らす
以前に、鍾乳洞で使った照明弾と同じものだ。
今夜の外気温なら一晩中、輝き続けるだろう。
「照明弾の光を初めて見ました。とてもきれいですね」
ヴァイユが金色の瞳を輝かせて言う。
「いや、なんというか、すごいね」
少女の横にたつデルフィがため息交じりの声を出した。
「こんなのに驚いていたら駄目だよ。こんどのはもっとすごいんだから」
そう言って、シジマはポーチから小さなカプセルを取り出した。
「いきますよっ、と」
少女は、軸足に体重を乗せて、小柄な体格に似合わないモーションで大きく一歩踏み出すと、さらに軸足で地面を蹴るとともに、オーバーハンドで銀色のカプセルを投擲した。
銀の塊は美しい光の尾を引き、素晴らしい速さで、川の上空、3つの月が輝きだした夜空に向けて飛び去って行く。
小柄で華奢な体格からは、信じられない速度だ。
照明塔の光の届かなくなるあたりまで飛んだ時、パン、と乾いた音を立ててカプセルが破裂した。
「リトー、起動して」
同時にシジマが叫ぶ。
夜空に灰色の霧が降りてきた、と見る間に、それが収束して人の形になった。
白い巨人だ。
ゆっくりと地上に降りて来る。
「な、なんだいこれは」
デルフィが叫ぶ。
巨人は、水しぶきを上げて川の中に降り立った。
大きすぎて、膝の下までしか水に沈まない。
「リトーだよ。アキオの僕のひとつさ」
「アットユアサービス」
岸に近づいた巨人が、胸に手を当てて頭を下げた。
巨人に向かって、ユスラとヨスルが細かい指示を与え始める。
彼女たちは、カヅマタワーの建設でリトーの操作に慣れているのだ。
「う……」
「あ、ああ」
それまで、凍りついたようにふたりで立ち尽くしていたシミュラとマフェットが声を上げた。
ほぼ同時に目を開く。
見上げるシミュラと俯くマフェットの目が合った。
ぽとり、とシミュラの頬に温かいものが落ちた。
マフェットの涙だ。
シミュラの顔が切なげに、苦し気に歪むと、マフェットの背に手をまわし、身体をきつく抱きしめて呟く。
「ユーフラシア・サンクトレイカ――なんと苦く美しい人生じゃ」
その細い肩を、背の高いマフェットが覆いかぶさるように抱きしめる。
「シャトラ・エストラ――100年の孤独」
その姿を見た少女たちは、優しい目で視線を交わし合う。
シミュラの記憶感応は、対象が意識を失っていない限り、相手もまた彼女の記憶を見ることができるのだ。
それを指して、かつてルピィが地球の哲学者の言葉をもじって言ったことがある。
〈人の心をのぞく時、相手もまたこちらの心をのぞいている〉
たったいま、シミュラはマフェットの、マフェットはシミュラの半生を、自らの経験として追体験したのだ。
「もし、わたしが涙を流せたなら、きっと大泣きしていたじゃろうな」
シミュラは優し気にマフェットを見上げると頬に手を触れ、涙をぬぐった。
やがて――
黒紫色の髪の美少女は、マフェットの背をやさしく叩くと身体を離しアキオを見た。
「さて、王よ、このかわゆい娘を、馬車に揺られながらたぶらかした責任は、きっちり取ってもらうとして――」
周囲を見回し、地面に膝をついて眠るように目を閉じた少女の顔を、飽かず見つめる青年を見て、
「あやつに相手を頼むのは、ちと酷じゃの」
そう言いながら、身を屈めて、地面に転がる橋の破片、石のかけらを拾った。
ピッ、とアキオに向けてそれを弾く。
石片は、素晴らしい速さで彼の顔めがけて飛んだ。
「駄目じゃ駄目じゃ」
その石を、指ではさんで止めたアキオへ、シミュラが駄々をこねるように叫ぶ。
「我らにも、あの奇妙な動きを見せるのじゃ。ナノ強化はなしじゃぞ」
続けざまに石と木片を投げてくる。
彼女が、ナノ・ゴランに対して使ったボクシングのことをいっていることに気づいた彼は、飛んで来た石を軽くダッキングして避けた。
ファイティング・ポーズをとって石を迎え撃ち始める。
ナノ強化は行っていないが、動きが洗練、最適化されているため、フットワークと軽いパンチだけですべてを破壊していく。
「おう、それじゃ。なかなか美しい動きではないか」
子供のようにシミュラが喜ぶ。
その笑顔を見て、彼女が先の戦いの再現を望んでいると考えた彼は、次々に飛来する石を左右から叩き潰しながら、素早いフットワークで、彼女に迫った。
「な、なんじゃ」
少し慌てながら、さらに速さを上げて石礫を投げるシミュラに肉薄したアキオは、サイド・ステップで少女の前に立った。
ゴランの場合はここで首を落としたのだが、もちろんそんなことはしない。
これ以上、石を投げられないように、抱きしめる。
「な、お、ぬ」
言葉にならない叫びをあげるシミュラの髪を撫でながらアキオが言った。
「こんな感じだ。わかったか」
「あ、わ、わかった」
慌てた口調で答えると、アルドスの魔女は手を伸ばして、彼をぐるぐる巻きにして抱きしめた。
「さすがだの、わが王よ」