445.心象
日が沈み、暮れなずむ川辺に地響きが轟き始めた。
兵士たちは、目を見開いて川を見ている。
ヨスルによって、水上に突き出されていたボルズは、川の様子を見て、手足をじたばたさせたあげく地面に放り投げられた。
四つん這いになって岸から離れようとする。
その前に黒紫色の髪の少女が立ちはだかった。
向こう岸の商人たちも、川面を指さし騒ぎ始めている。
川の流れを遮って、水中から直径1メートルほどの黒い円柱が、5メートルおきに次々と水中からせりあがっていくのだ。
やがて、こちらの岸から向こうの河岸まで、17本の石柱がきれいに一列に並ぶ。
川の水流は柱に分かたれて水しぶきを上げ、下流で数多くの渦を発生させた。
それぞれの柱は、高さを合わせるように微妙に上下し、やがて静止する。
両岸から、その様を見ていた人々は、たちまちのうちに水中から現れた黒い柱に驚いて言葉を失っていた。
だが、次の瞬間、もっと人々を驚かせる事態が起こった。
轟音が鳴り響き、もともとあった橋の残存部分を吹き飛ばして、左右両岸の地面から、黒い板が、川の中央へ向けて一直線に伸びだしたのだ。
板は、円柱の上を滑るように走ると、川の中央付近でぶつかり接合される。
瞬く間に川の上に黒い道ができた。
間髪をいれずに、板の両端から無数の小さな円柱が、黄昏の空に向かって伸び、今度はその円柱の頂点から出た棒がつながって綺麗な欄干になると、巨大な橋は完成した。
ケルビの牽く馬車が、余裕で対向できる幅がある。
その間、3分とかかっていない。
「たちまち橋ができたな。ギデオンのやつ、なかなかやりおるわ」
見目麗しい美少女が、腕を組んで顎を撫でながら言う。
「グリムですよ、シミュラさま」
「うわぁ、なんかさ、橋脚が水中から出るのを見た時、背中が寒くなったよ」
「わたしは橋桁が伸びた時に鳥肌が立ちました。ピアノは?」
「ええ、姉さま。あれはまさしくギデオンの黒槍の応用です」
「敵に回せば恐ろしいですが、味方だと頼もしいですね」
そう言ってからミストラが彼を見る。
「アキオ、どうしました?」
「グリムの数の上限はどれぐらいだ」
前回の事件以来、黒蟻は知能と力を抑えるために制限をかけて、数を抑えてある。
「1億8千万単位だと思いますが……そういえば、それより多いような気がしますね。調べてみます」
「それより隊商先に橋を渡らせてくれ。完全に、夜になる前に」
「わかりました。ピアノ、ヨスル、ヴァイユも手伝ってください」
ミストラに声をかけられて、少女たちは、兵士たちに声をかけて馬車に誘導していく。
「すごいですね」
声に振り返ると、カーロン中尉がいた。
「これで予定通りいけるな」
「はい」
「向こう岸にも隊商がいるが、おそらく恐がって橋を使おうとはしないだろう。君たちが先に渡って、安全であると説明してくれ」
「わかりました」
そういって敬礼する中尉にアキオも答礼する。
「では、失礼します」
「おい」
カーロンが走り去ると、近くにいたシッケルが声を掛けてきた。
「世話になったな。俺もいく」
アキオはうなずいた。
「マフェットは間違いなく街に届ける」
「ああ――それ以外にも、いろいろ頼む。俺にとっちゃ親も同然なんだ。泣かせないでくれよ」
「努力する」
「そういう話は、あたしのいないところでするんだよ。さあ、シッケル。早く行きな。仕事が終わったらすぐに家に帰ってメイラを抱きしめてやるんだよ。両手でね」
「わかったよ、姉さん」
シッケルは、手を振って歩み去った。
笛がなり、隊商が列を作って、橋を渡り始める。
最後尾の馬車が通り過ぎる時、窓が開いて、再びカーロンが敬礼をした。
馬車は、できたばかりの橋を渡っていく。
それを見送ってから、マフェットは振り返って、おとなしく座る魔犬女王の首筋に抱きついた。
身体を離して彼女が言う。
「今回は悪かったね。さあ、おまえたちは、いつもの場所へお戻るんだ。向こうから来る隊商に恐がられないようにね」
マーランガはマフェットに鼻面をすりつけると、アキオに軽く頭を下げて、2体の子供とともに崖の上に跳ね上がって姿を消した。
「ありがとう。ア、アキオ」
振り向いた彼に、ぎこちなく彼女が礼を言う。
「でも、たいしたもんだよ、この橋は。これで荷の行き来も問題ないね」
「ああ、だが、この橋はすぐに潰すつもりだ」
「そうなのかい」
マフェットが驚く。
「そうなのです」
横から声がする。
ユスラだった。
「この黒い橋は、アキオの僕であるグリムが作った仮橋です。いつまでも維持はできないので、とりあえず、滞っている馬車が無くなり次第、すぐに撤去して、夜の間に木製の橋をかけてしまおうと思っています」
少女はにっこり笑う。
「あの黒いのが僕……」
マフェットが俯いた。
「どうした」
「いや、今さらながら、やっぱり、あんたは魔王なんだって思うと……」
「思うと、どうなるのじゃ」
彼女が顔を上げると、シミュラが腕を組んでいた。
「どこにいっていた」
アキオが尋ねる。
グリムを呼んだ頃から、彼女の姿が消えていたのだ。
「なに、ヨスルから、おぬしをいたぶった男の話を聞いたので、少し説教をして馬車に放り込んできたのじゃ。もう、調子にのったいじめは二度とするまい」
「そうか」
シミュラは、マフェットに近づくと、背の高い彼女を見上げる。
「もう一度聞く。こやつが魔王ならどうなるのじゃ。恐いか」
「いいや、恐くなんかないさ。ただ、あたしは、あんたたちと違って、若くもない、普通の人間さ」
「それで、こやつを諦めるか?まあ、わたしとしてはその方が望ましいが――」
「シミュラさま」
ユスラの呼びかけを手で遮って続ける。
「見かけはともかく、いま、おぬしの身体は16、7じゃぞ」
「わかるよ、体が軽いからね。すごい魔法だ。でも、中身は違う。あたしの中身は人生にすれた年寄なんだ」
「はっ」
シミュラは笑ってユスラを見る。
「おぬしの敬愛する大叔母さまは、とんだ腰抜けじゃの」
そういって、マフェットの手をつかみ、
「さっきの話を聞いておったろう。わたしはアルドスの魔女、今年で102歳になる。おぬしなど子供みたいな歳じゃ。なにより、こやつ自身が――」
シミュラはアキオの手をつかんで引き寄せ、
「とうに300歳を越えておる。こやつからすれば、我らは等しく赤子みたいなもの」
「300……」
マフェットはうなずく。
「そうだろうね、そうでなければ、あんな目にはならない。あれは地獄を見続けてきた目だ」
その言葉にシミュラが優しい表情になる。
「それがわかるおぬしも大概じゃがの」
そして、意を決したように言う。
「心を見せてもらって良いか」
「そんなことが――ああ、アルドスの魔女さまならできるだろうね。いいよ」
マフェットが即断する。
「潔いのは好きじゃぞ」
シミュラは、マフェットの首に手を回すと、背伸びをして、前髪に偽装した触手を彼女の額に当てて静止した。
その様子を見ながら、少女たちが囁きを交わしている。
「ねえ、ヴァイユ、いまの流れって、またひとり増えるのが確実な感じだよね」
「そうですね。シミュラさまのあの態度、あれは気に入った時のものです。ヨスルの時がそうでした」
「だよねぇ」
その時、向こう岸からやって来た隊商が彼らの横を通って行った。
カーロンやシッケルが、この橋は安全だとうまく説得してくれたのだろう。
橋の上では、おっかなびっくりといった感じで馬車を操っていた御者も、無事、こちらの岸に着いたことで喜びの歓声を上げている。
次々と橋を渡っていく。
「問題は、この人たちがグリムの橋造りを見てどう思ったか、だよね。怖がってなければいいけど」
「大丈夫ではありませんか」
「ヴァイユはどうしてそう思うの」
「だって、みなさん、あんなに嬉しそうですもの。あれは、俺たちすごいものを見たぜ、って顔ですよ――どうしましたか」
「ううん、ただ、普段、女の子してるヴァイユの男言葉って、なかなか」
「なんですか」
「いや、なんでもないよ。いま、渡っている隊商が最後だよね」
シジマの疑問にユスラが答える。
「ええ、よほどのことがない限り、この辺りを、夜間、移動する者はいないでしょう。ですから、最後の馬車が行ったら、橋を撤去して木橋を架橋することにします」
「もちろん、アレを使うんでしょう」
シジマが嬉しそうに言う。
「はい、アレを使います。あとは任せておけば、朝までに橋は復旧されるでしょう」
少女たちの会話にアキオは口をださない。
ユスラが立てた計画なら間違いはないからだ。