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441.祖父

「ひとりの人間にふたつの心――話には聞いたことがあるね」

 青年が語り終えると、マフェットが腕を組んだ。


「ガズル、か」

 いつのまに戻ったのか、傷のえたマーランガを後ろにひかえたシッケルがうなった。


「王都の湖沼こしょう公園。シルバ城のすぐ近くで自生じせいしていたとは盲点だった。いや、郊外の崖を焼き払う直前に崖燕シュトーラくちばしでくわえて株を運んだのか」

 魔草ガズルを根絶するために軍に入った男がこぶしを握る。


「ケイブ、あんた、それで金を儲けたりしてないだろうね」

 マフェットが硬い声を出した。

「ああ。手に入るガズルは少量だから、全部リリーヌが使って、他人に売ったりしたことはなかったはずだ」

「それは何よりだ。あれは()()()()()ものだからな」

「壊す?壊すってなんだい、兄貴」

「言葉通りだ。ガズルには習慣性があって、常用すると、それなしではいられなくなる。おそらく、その娘の身体もかなり弱っているはずだ」

 青年は、驚いて意識のない少女の顔を見下ろす。

「リリーヌはそんなことをいっていなかった」

「知らなかったのか、いや、簡単にやめられると思っていたのかもしれないな。初めは皆、そう思うんだ」


「この人の話だと、フレネルには生まれた時からもうひとつ別な意識があって、何か嫌なこと、負の感情が強くなる時だけ、それが表に出て来るということですね。解離性同一障害(DID)に似ていますが……」

 ピアノが義姉(ヨスル)を見た。

 ガズルの依存性など、ナノ・マシンが体内に入った時点で無視できるから問題にしていない。

 ナノ・マシンは彼女の身体を崩れさせた腐毒(ふどく)すら中和したのだ。

()()()()()()からずっと存在して、()()()()()から傍観者ぼうかんしゃのように観察している、というのは、DIDとしても、すこし特殊ね」

 暗殺者として、人体の破壊のため医学を学んでいたヨスルは、妹のピアノ同様、その延長上としてヌースクアムで医学を重点的に学んでいる。


「よろしいですか」

 フード(カブ)目深まぶかに被り、目の不自由な者が用いる黒メガネをかけたサフランが小さく手を上げた。

 青年に尋ねる。

「この少女の母親は、山岳地帯の辺鄙へんぴな村の出身だといいましたが、村の名か山の名はわかりますか」

「それはわからない。一応調べただけ、という感じで、彼女もあまり熱心でははなさそうだった。ただ――」

「ただ?」

「一度だけリリーヌが、ソムル・ナルには興味がないといったことがあった」

 ヌースクアムの少女たちの表情が変わった。

「ソマルです、ソマル・ヌル」

 サフランが言い、

「どうやら、この少女は、シスコと同じようにソマル、それもソマル・ヌルの出身のようですね」

 ソマル・ヌル!

 少女たちは、その名をよく知っている。

 それは、サフランと融合するまえの、少女シスコが生まれ育った山村集落の名だ。


 魔法の力を高めるために、魔力の強い者同士で近親婚を繰り返し、その結果、強い魔力を得ることの代償として、ひとつの身体に2つの完全に独立した人格を宿すものが(まれ)に現れたと言われている。

 サフランと融合したシスコもそのひとりだ。


 彼女は、リリーヌを抱えた青年に近寄ると、彼の肩に手を置いた。

「この少女を預からせてください。実は、わたしもソマル・ヌルの出身なのです。わたしなら、何とかできるかもしれません」

「何とかする?」

「危険なリリーヌを消して、フレネルだけにするか――」

「だめだ、彼女は消させない」

「消すというのは言葉のあやで。表に出てこられないようにするだけです」

「だが、リリーヌは子供の頃のように、何もできないまま、ずっと彼女の陰で悔しい思いをすることになる」

「それは仕方ないでしょう。()()で暮らすには彼女は危険過ぎます」

「ダメだ」

「ケイブ、あんた何か勘違いしているようだけど、おそらく、それはあの子に対する罰なんだよ。普通の人間でも罪を犯せば牢屋に入る。あの子はそれがフレネルっていう女の子の身体の中ってだけさ。それとも、あんた、罪のないフレネルごと牢屋に入れた方がいいっていうのかい」

 だが、青年はかたくなだった。

「ダメだ。彼女は消させない」

「まあ、その意味でいえば、あんたも罰を受けなきゃならないだろうね」

「俺はいいさ。牢屋にでも何でも入ってやる。でも、リリーヌは消させない。マフ姉たちはわかっちゃいない。彼女はただフレネルを――」

「その方がいいわね」

 澄んだ声が青年の言葉をさえぎった。

 青年に抱かれたまま、目を開けた少女が続ける。

「あの子が幸せになるまで、わたしは何度だって悪いことをするから」

 少女は、青年に地面に立たせるよう目配せるする。


「あの子の幸せって何なの」

 不意をついたサフランの問いに、立ち上がったリリーヌは答えにつまった。

「他の商会を乗っ取ってお金持ちになること?爵位を買って貴族になることかしら」

「全部、そういったこと全部よ」

 少女は、黒い眼鏡越しのサフランの感情を読み取れないまま言いつのった。

「アキオ、彼女を預からせてもらっていい?」

 振り返ったサフランが尋ねる。

 彼はうなずき、ユスラをみた。

「わたしから英雄王に頼んでみます。参考までに、どうするつもりか教えてもらえますか」

「選択肢は4つしかありません。リリーヌを封じ込めるか、フレネルを封じ込めるか、人格を融合させるか」

「その方法がありましたね」

「駄目よ」

 美しい顔を引きつらせるようにしてにリリーヌが叫ぶ。

「融合って、わたしとフレネルが混ざるってことでしょう。絶対にだめ。白い水に墨を混ぜたら、薄汚い灰色ができるだけだもの。わたしを消して」

「最後の方法は」

 アキオが尋ねる。

「ふたりに話し合いをさせます。ビデオメッセージでやりとりすればよいでしょう。ガズルで人格が切り替わるのなら、ナノ・マシンを使って同様の効果を得ることができるはずです。今や彼女の体にはWBドレキに対応したナノ・マシンが入っているのですから。わたしは人格のスイッチと融合については、多少心得があります」

「嫌だ。駄目よ。フレネルにはわたしのことを知らせないで。あの子は、きっとわたしを、自分自身を嫌いになる」

 アキオは、ナノ・マシンで少女の意識を刈り取った。

 ここで長々と議論するのは時間の無駄だ。


 サフランは、眼で彼に謝意をあらわし、

「それで――」

 眼鏡越しにケイブを見る。

「あなたの希望は」

「本当に、ガズルを使わなくても心が入れ替わるのか」

「人間に対して行うのは初めてなので、絶対とはいえませんが自信はあります」

「だったら、時間を決めて、いままでのように心を切り替えて暮らさせてやってほしい。これからは、俺がずっとそばにいて決して悪いことはさせない」

「あなたはそれでいいの。ひとりの身体にふたつの心。混乱しない?」

「混乱?ひとりと暮らすだけで、ふたりの女との会話を楽しめるんだ、俺には何の不足もない」

「いいねえ」

 道路の端から声がして、皆が一斉に振り向く。

 そこには、黒紫色の髪とコートの少女が立っていた。

「シミュラ、来たんだ」

「さっき、セイテンでね。でも、この子、なかなかいいこというじゃないか。アキオにも見習って欲しいね」

「この方は」

 マフェットが、()()()()()()()()()の少女を見てアキオに尋ねる。

「シミュラさまだよ」

 彼より先にシジマが答えた。


 シミュラがマフェットに顔を向ける。

「おお、歳はとっておるが美しい女じゃな。ん、ちょっとまて、おぬしの顔、どこかで――まさか、ユーフラシア、ユーフラシア・サンクトレイカか。間違いない。面影が残っておる」

「なぜわたしを?」

 マフェットが戸惑う。


 ()()()()()の彼女は、50年以上前に死んでいる。

 しかし、それ以前も、当時のサンクトレイカの風習として、対外的に姿を表したことなどなかったからだ。

 肖像画のたぐいもほとんど残してはいない。

 グレーシアが彼女を知っていたのは王族だったからだ。

 貴族たちの思い出話で名を知り、王宮のどこかで彼女の肖像画を見たのだろう。


 マフェットは、あらためてシミュラを見る。

 髪の色は噂に聞くエストラの王族と同じ黒紫色だ。

 ()の国の高位貴族なのだろうか。

 だが、そうであったとしても、彼女の容姿を知っているのは奇妙だった。

 彼女自身は、エストラとまったく接点はなかったからだ。

 当時はそんな時代ではなかったのだ。


 美少女は、あやしく切れあがった大きな瞳に笑みを浮かべ、

「なに、()()()()()()()()がおぬしのことを知っておってな。おぬしの棺を泣きながら担いだといっておった。生きておったんじゃな。まあ、確かに、殺された王族が生きているのは珍しくはない」

 彼女は、ヌースクアムの少女たちを見回した。

 ユスラたちも微笑む。

 おそらく、シミュラは、ダラムアルドス城でその男性の記憶を追体験したのだろう。


 マフェットは、不思議な感動をもって黒紫色ダーク・パープルの髪の少女を見た。

 彼女には、どこか、アルトに似た雰囲気がある。

 見たままの年ではない落ち着きが――


「シミュラさま、とおっしゃられましたか」

 彼女が口調を改める。

「というより、アルドスの魔女といった方が通りがいかな」

 シジマが、おどけたように説明した。

「なんだって」

 ケイブが大きな声を上げる。

「アルドスの魔女?」

「ああ、そう呼ばれたこともあった。どうした、小僧」

「あ、あんたのいってた、棺をかついだ男の名前を覚えているか」

「もちろんだ、タルボ、タルボ・ファレノ。良い男だったぞ」

 言ってから、アキオの方を向いて器用に大きな目を片方だけつぶってみせる。

()けたか?もちろん、おぬしの次だから心配はするでないぞ。で、タルボの知り合いか?」

「ああ」

 青年は心ここにあらず、といった様子で答える。

「タルボ・ファレノは、死んだ俺の祖父だ」

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