440.美姫
「リリーヌ、魔法だ。強化魔法を使うんだ」
青年が地面から抱き起こした少女へ向かって必死に呼びかける。
「ナノ・マシンは機能していないの?」
ヴァイユがシジマに尋ねる。
「彼女の身体にはWBがあって、魔法を使った直後だから、通常のナノ・マシンじゃ機能しないんだよ」
「心臓が傷ついているので、マッサージもできませんし、この状態ではエピネフリン投与による昇圧効果も期待できないでしょう」
サフランが続ける。
「そう、あとは彼女が自分の意思で魔法を発動してPS活性を行うしかないんだよ。そうすれば身体は再生される。理論上は、身体のほとんどが一瞬で元通りになるはずだよ」
「わたしたちの再生には、アミノ酸やカルシウムなど身体の材料が必要ですが、PS細胞で身体を補完するこの方法だと、そういった補充物が不要ですから」
ピアノの言葉に、シジマがうなずいた。
「そう。でも、そのためには、負傷者が意識を保っている必要があるんだ。でも、あの様子じゃ――」
シジマの前を背の高い影が横切った。
マフェットだ。
泣きそうな声で、少女に呼びかけている青年を見下ろし、毅然とした声で言う。
「コンケイブ・アスフェル。なに情けない声をだしてるんだい。いつものふてぶてしい態度はどこにいった。あたしはあんたをそんなふうに育てた覚えはないよ」
青年はマフェットを見上げる。
「だけど姉さん――」
そういってから彼の横で膝をつくと、彼女は続けた。
「あたしも、さっきまでその子と同じで死にかけてた。でも、アルト、アキオがわたしをこの世界に引きもどしてくれたんだ。わたしには、はっきりとアキオの声が聞こえた。だから信じるんだ。あんたの声は必ず届く、その子に一番届く言葉を使うんだ。思い出の言葉、大切なもの、何かあるだろう」
「リリーヌの大切なもの……」
はっとした顔になった青年は、少女の肩を揺さぶりながら、叫ぶように言った。
「リリーヌ、強化魔法を使ってくれ。頼む。お前の死はフレネルの死だ。彼女を殺してもいいのか。お前が生きないとフレネルも生きられない。リリーヌ」
その瞬間、音を立てるように少女の身体が発光した。
青白く光りながら少女が目を開く。
「ザイアン……わたし、どうしたの」
青年は答えない。
目を見開いて、彼女を見つめている。
そこには、今まで血の気を失って彼に抱かれていた、枯れ枝のように痩せて灰色の顔色をした貧相な少女はおらず、花の盛りのようにふっくらと瑞々しい肌をした素晴らしい美少女が微笑んでいたからだ。
「君は、フレネルか」
「おばかさんね。わたし以外にフレネルがいるの」
「そ、そうだな」
「あ、あの、少し恥ずかしいから起こしてくださいな」
少女は、多くの眼が自分に注がれていることに気づいて小声で頼んだ。
青年は彼女を地面に下し、手を貸して立ち上がらせた。
「わたし、どうしたの」
青年が言葉に詰まる。
少女はこれまでの経緯も、やせ衰えた身体が元通りになったことにも気づいていないのだ。
「あんたは、馬車に酔って倒れちまったのさ」
マフェットが声を掛けた。
「あなたは……」
「あたしはマフェット・アスフェル。その子の育ての親さ」
「まあ、あなたが。お話は彼から聞いています。初めまして。わたしはフレネル。フレネル・ディフラクトと申します」
当たり障りのない会話を続ける二人を見ながら、ミストラは白髪の老女から目が話せないでいた。
あの髪色、そしてアキオが呼びかけた名前、ユーフラシア――ユスラとの問答を見るまでもなく、間違いなく彼女は、城の渡り廊下に飾ってあった肖像画の一人、伝説の美姫ユーフラシア・サンクトレイカだ。
毒殺されたと言われていたが生きていたのだった。
ユスラは知っている。
ナノ・マシンが急速に肉体再生を行う時、同時に細胞レベルで若返りを行うことを。
分裂が活発で、ある程度、成熟した細胞が最適であるため、強制再生を行うと、人間でいえば、だいた17歳程度の年齢に戻ってしまうのだ。
だから、さっき生き返った彼女は17歳の少女だった。
老いてなお美しさの際立つ彼女が、どれほど美しかったかは、背中を向けていたためにわからないが、唯一、前に回って顔を見たユスラがため息を漏らすほどの美貌であったことは間違いない。
そしてなにより、彼女の強化された耳には、先ほど彼女がアキオに囁いた言葉がはっきりと残っている。
自分の手を見て髪に触れた彼女は、こう言ったのだ。
〈あたしは若返ったのかい〉
〈そうだ〉
〈あんたの言葉は本当だったんだね。それなら頼みがあるんだ。もとの年に戻してほしい。できるかい〉
〈できる〉
〈なら、お願いだよ〉
〈どうしてだ〉
〈年寄りのほうが店をやるのにいいからさ。それに何より――あたしの若さは、あんたのためだけに使うんだ。他の男には見せたくない。また若くすることはできるんだろう〉
〈ああ〉
〈じゃあ、たのむよ〉
〈わかった〉
美形の多い王族の中にあって、幼少時からその美しさを称えられた女性が、その若さと美しさをアキオだけに見せると断言したのだ。
彼女は、周りの少女たちを見た。
多少の差はあれ、皆、彼女と同様の表情をしている。
ピアノだけがいつもと変わらず冷静だ。
「あなた、気にならないの」
「ええ、だって、アキオに見かけの美しさは関係ないから。ただ――あの人の強い意志、美しい決意、あれはおそらく彼の心を掴むでしょうね」
「そのとおりね」
少女たち全員が同時にうなずく。
一方アキオは、マフェットたちから目を離すと後ろに立つシッケルを見た。
ジャッケルにつかまって立ってはいるが、痛みと出血のためにかなり辛そうだ。
彼に近づいた彼は、
「これを飲んで強化魔法を使ってくれ」
ナノ・カプセルを差し出した。
「わかるさ。マフ姉を見ていたからな」
「それで腕が元通りになる」
「それはありがたい。だが、ひとつ心配があるな」
アキオが眉を上げる。
「マフ姉みたいに髪の毛が伸びると困る」
「それはない。意識のない人間を再生すると稀にああなることがあるだけだ」
「冗談だよ」
そういってシッケルは、カプセルを飲むと魔法を使った。
瞬時に腕が元通りになる。
「すごいわねぇ」
彼を支えるジャッケルが感心したようにつぶやいた。
「礼をいう。これでまた女房を両手で抱くことができる」
その言葉に、アキオが何かを思い出したように少しだけ目元を和らげた。
シッケルは照れたように鼻の頭をかくと、
「ま、まあ、そんなことより、そいつは人間以外にも効くのか」
アキオはうなずき、
「シジマ」
呼びかけに応えて美少女がやってくる。
「なんだい、アキオ」
ジャッケルが呆けたように彼女を見ている。
「ん、ボクの顔に何かついてる?」
「小さくてきれいで、まるでお人形さんみたい。喋るのが不思議なくらい……」
「だってさ、アキオ」
少女は悪戯っぽく彼を見上げる。
「俺もそう思う」
アキオがぽつりと答えた。
「おいおい」
シッケルが笑い出す。
彼の言葉で、少女が真っ赤になって固まってしまったからだ。
どんだけ愛されてやがんだよ――
アキオは、ポンポンと少女の頭を叩いて言う。
「このシッケルといっしょに、道の向こうにナノ・コクーンで眠らせているマーランガを治療してきてくれ」
「マ、マーランガ?」
「マーナガルの亜種だ。言葉は理解するはずだ」
「わ、わかったよ」
「わたしも行きます」
そういって、ジャッケルを含む3人が道の向こうに駆けて行った。
その姿を見送って、アキオはマフェットと話をする少女へ目を移した。
彼女に確かめなければならないことがある。
彼がふたりに向けて足を踏み出した時、少女が身体をよろめかせた。
再び気を失ったようだ。
横にいた青年が、素早く彼女を抱き上げる。
「どうしたんだい」
マフェットが近づくアキオを見上げる。
アーム・バンドに目を走らせた彼が答えた。
「バイタルは正常だ。気絶は一時的なもの、おそらく――精神的なものだ」
アキオが青年を見る。
マフェットは、そんな彼の表情をみて、何かを察したように青年に尋ねた。
「ケイブ、話しておくれ。さっき目を覚ましたこの子は、あたしたちを襲わせた子じゃなかったね」
彼は、腕の中で目を閉じる少女を見て、
「わかった」
少女にまつわる物語を話し始めた。