438.二王
「アキオのアーム・バンドが壊れた」
シジマが、午後のお茶を飲む手を止めて言う。
場所は、うららかな陽光がふりそそぐ、シルバ城空中庭園の野営卓だ。
「場所はわかるの」
柔らかな生地のソフレーヌ、地球で言うワンピースのような服に身を包んだピアノが尋ねる。
「壊れた時に、バンドが持ってるデータを送ってくれたからわかるよ」
ティーカップを皿に置いた少女たちが、さっと立ち上がった。
足早に、少し離れた場所に止めてある駒鳥号へ向けて歩き出す。
ピアノ、ヨスル、ミストラ、ユスラ、ヴァイユそしてシジマの6人だ。
みなそれぞれに、ピアノと同様の髪色に合わせた薄布のソフレーヌを来ていたが、手首に触れると一瞬でナノ・コートに変化した。
ユスラだけは、髪の色も黒からコートと同じ本来の桜色に戻す。
少女たちの最後尾を歩いていたヨスルが、テーブルを振り返った。
「あなたはこないのですか」
「いえ、わたしは――」
テーブルの端に座っているオレンジの髪の少女は緩く首を振る。
「行きましょう、サフラン」
少女はテーブルに戻り彼女の手をつかんだ。
「その遠慮は無用です」
ヨスルは握る手に力をこめる。
「わたしたちが行くのは、アキオの力になれるかも知れないからです。わたしは暗殺者、これからの彼の役に立つことはあまりないでしょう。でも、あなたなら、その知識と能力で、いくらでも彼の力になることができる。だからわたしは、あなた自身ではなく、あなたの能力をアキオの許へ連れて行きたいのです」
サフランは、優しく笑った。
「わかりました。ヨスル。あなたは優しいのですね」
少女は立ち上がると、片付けにきたライスにカップを返し、服をオレンジ色のナノ・コートに変え、駒鳥号のタラップへ向けて歩き出す。
「アキオは怪我をしているの」
白鳥号に比べ、極端に小さい駒鳥号の司令室に全員が座ると、ヴァイユが尋ねた。
「いや、データによると、バンドが壊れた時点では怪我はしていないね」
「準備はよろしいですか」
アカラの声が部屋に響く。
「発進して」
「アイ、マム」
ユスラの言葉にAIが答え、軽く身体が床に押し付けられる感覚がすると、駒鳥が飛び立った。
「どれぐらいで着くの」
ミストラの質問にアカラが答える。
「30分余りです」
ヌースクアムでは、地球標準時間が採用されている。
しばらく飛行すると、アカラが報告した。
「サンクトレイカ王から連絡が入っています」
「つないで」
ユスラが命じると司令室前面のスクリーンにノランが映し出される。
「ユスラさま」
「どうしました」
「駒鳥号が飛び立ったと報告を受けました」
「アキオの身に異変が起こったようなので、出ました。事後報告になりますが」
「いえ、それはかまいません――ノランは画面の端に映りこむシェリルにうなずく」
カメラが動いて、絹糸のように細くしなやかに輝く金髪の少女が映った。
「先ほど、隊商に紛れ込ませた王国内務部調査員から、ガルを使って報告が届きました」
「続けてください」
「隊商は、昨夜と昼前にマーナガルの大群の襲撃をうけたようです」
「噂のあった人間ではなく魔犬ですか」
「はい。それ以降の連絡は、まだ届いていません」
「わかりました。ありがとう」
「また、情報が入り次第連絡します」
画面が暗転し、再びスクリーンは元の各種データ表示画面に戻る。
「マーナガルかぁ」
シジマが両手を頭の後ろに回し、椅子の背にもたれて呟く。
「魔犬にアキオが後れをとるとは思えません」
ピアノが言う。
「そうですね。あるいは、変異種のような強敵が現れたのか……」
ユスラもつぶやき、軽く頭を振って続けた。
「考えても仕方がありません。ETAまで、あと20分足らず、それまでに、想定される事態に対処できるよう準備をしておきましょう」
「駒鳥号、指定地点に接近。目視可能距離に接近しました」
やがて、アカラが伝えた。
「映像を出して」
ミストラの言葉に応えて、スクリーンが切り替わる。
アキオたちは、両側を切り立った崖ではさまれた路上にいた。
すでに戦闘は終わっているようで、多数の兵士と数体の魔獣が横たわっている。
崖に開いた複数の巨大なクレーターが戦闘の激しさを物語っていた。
アキオは、地面に膝をついて、誰かを抱きかかえている。
「ユスラさま、行きます」
ピアノとヨスルが、司令室の隅に張られた透明なコクーン・シールドを抜けて、先に見える外部ハッチに手を触れた。
音を立てずに扉が開く。
気圧差と飛行速度のため風が吹き込み、美人姉妹の髪を激しく舞い踊らせるが、コクーンのおかげで室内には何の影響もない。
かつて野外風呂の入口に使っていた浴槽コクーンを応用した隔壁だ。
二人の姿が空中に消える。
「わたしたちも行きましょう」
ユスラが言い、ヴァイユはうなずいてサフランの手を取った。
シジマとミストラはすでに飛び出している。
「アカラ、駒鳥号を崖の上の適当な場所に着陸させておいて」
金色の瞳の少女はそう言い残すと、隔壁コクーンを越えた。
ユスラに続いて、ハッチから空へ飛び出す。
真っ先に飛び出したピアノとヨスルは、コートのフライング・モードを見事に操ってほぼ無音で降下する。
地上の人間を驚かせないためと、状況確認のため、アキオから離れた路上にそっと降り立った。
背後に残りの少女たちも到着する。
画面で確認した通り、アキオは誰か――髪の短い女性を抱き起こしているようだ。
ユスラは、漏れ聞こえるアキオの呼びかけを聞いて、我知らず足早に歩み寄った。
ちょうどその時――
「戻ってこい、ユーフラシア。もう二度と独りで行こうとするな」
アキオの声が響くと、昼間であるにも関わらず、あたりを明るくするほどの青い光が輝いた。
アキオに抱かれた女性の髪が一瞬で再生し、長く伸びる。
その色は美しい桜色だった。
「まさか……」
ユスラは、思わず声を上げた。
「ユーフラシアさま!」
そのままアキオの近くに走り寄ると、振り返って、背を向ける女性の顔を見た。
息を呑む。
「ああ……なんて、なんて美しい方」
その言葉で、女性は自分の手を見、胸を見た。
アキオと、いくつか言葉のやりとりをする。
彼はうなずいてアームバンドを操作した。
瞬時に彼女の髪が白くなる。
ユスラの目の前で、老人になった女性は、彼女に顔を向け声をかけた。
「その髪の色、美しさ、あんたはサンクトレイカの王族だね――まさか、グレーシアかい」
「はい、いまはユスラと名を変えていますが、わたしはかつてグレーシア・サンクトレイカでした。ユーフラシアさま」
老女は白髪を揺らして優しく笑う。
「その人物は50年以上前に死んでるよ、グレーシアさま。わたしの名はマフェット、マフェット・アスフェル」
聡い少女は、それ以上追求せず、うなずくと、言った。
「グレーシアも死にました。わたしの名はユスラ、ユスラ・モラミスと申します」
そして――
名と身分を捨てたふたりの女王は、お互いに微笑みあったのだった。