437.太陽の黄金の心臓、
彼女はまだ生きていた。
かろうじて――
生きている。
アルメデのように短くなった髪で、蒼ざめた頬をして口から血を流していた。
「マフェット・アスフェル」
アキオは、彼女の傍らに膝をつき、声を掛ける。
傷口を見た。
胸の中心より、若干左寄りに大きな穴が、縦に2つ貫通している。
即死してもおかしくない傷だ。
「ケ、イブは……」
アキオが傷口を広げて調べようとすると、マフェットが掠れた声で尋ねた。
「あいつは大丈夫だ、姉さん。どういうわけか、千切れた足と手も元通りになっている」
彼が答えるより前に頭の上から声がした。
シッケルだ。
青い髪の少女に肩を貸してもらって立っている。
腕の切断面を布で縛っていた。
「なぜ目を覚ました」
アキオが尋ねる。
彼はコクーンで保護したはずだ。
「さっきゴランが飛ばした黒いナイフが当たって、目を覚まされたんです」
彼を支えるジャッケルが説明した。
「そうか」
ナイフでコクーンが破壊されて、彼の意識がもどったのだろう。
「姉さんは?」
「かなり悪い。生きているのが不思議なくらいだ」
「なんとかできるのか」
「ああ」
「頼む、助けてくれ」
「もちろんだ」
彼はそう言ったが、厳しい状態であるのは確かだった。
マフェットは、心臓の大部分を石の直撃で破壊されている。
おそらく胸の中心、心臓の裏側のWBも破壊されているだろう。
それなのに、出血が少なく、まだ彼女の意識があるのは、攻撃を受けたのが強化魔法の発動中で、その効果がまだ残っているからだ。
だが、逆に、そのことが彼女のナノ治療を難しくしている。
残留魔法が継続しているかぎり、通常のナノ・マシンの性能は著しく制限されるからだ。
かといって、先ごろ彼が開発したPSを利用するナノ・マシンは、体内にWBが残っていない限り効果がない。
重要臓器の心臓と肺が大ダメージを受けているのも問題だ。
「ア、ルト」
マフェットが囁くように言った。
「なんだ」
「許し……て、あんた、に……お礼ができ――」
「心配するな、たっぷり礼はしてもらう。胸に手を入れるぞ」
そういって、アキオは彼女の体内に手を差し入れた。
彼の表情が僅かに動く。
「シッケル、マフェットは逆か」
初め、彼の言葉の意味を、はかりかねた兵士は、すぐに理解して答えた。
「あ、ああ、そうだ。姉さんは珍しい体質なんだ」
アキオはうなずいた。
「マフェット・アスフェル」
彼は声をかけるが、意識の混濁が始まったのか、彼女は夢見るような表情でうわごとを言い続けている。
「ああ、あ、んたの体……温かい……う、れしい。あんたの女に――」
言葉が途切れた。
涙を流しながら開けたままの目から光が失われていく。
ほぼ同時に、ピン、と音がなってアーム・バンドが再起動した。
ここからは時間との競争だ。
まずナノ・マシンを、マフェットの体内に入れる必要がある。
アキオは、ベルトのポーチに手を伸ばそうとし、ゴランに破壊されたことを思い出した。
ナイフを取り出して手首を切りかけるが、思い直したように唇に傷をつけ、かつてカマラにしたように彼女に口づけた。
貫通した胸からは効率的に血をいれることができない。
首をそらせて、彼の血が体内に流れ込むようにする。
唇を合わせたまま、手探りでアーム・バンドにコマンドを撃ちこんだ。
一瞬で、マフェットの体内のナノ・マシンが新機能にオーバーライドされる
まだ温もりの残る彼女から顔を離したアキオは、マフェットの唇を濡らす彼の血を手でふき取った。
そっと地面に横たえて、マフェットを見下ろす。
心臓が破壊されたため血流は止まっているが、彼の流し込んだナノ・マシンは、分子運動を利用して彼女の体内に拡散しつつあるはずだった。
「まだ胸に穴があいたままだ。アルト、姉さんは助かるのか」
シッケルが叫ぶように言う。
それに答えず、アキオは、ナノ・コートのボタンを外した。
前をはだける。
彼が改変したナノ・マシンは、周辺のPSを用いて細胞を作り、通常では不可能な、大規模損傷を一気に修復する性能がある。
だが、まだ原型であるそれの発動には4つの条件があった。
周辺のPS濃度が濃いこと。
負傷者が使用可能なWBを持っていること。
損傷部位が重要臓器でないこと。
PS濃度は問題ない。
さらに、先ほど調べたところ、心臓の裏側にあるWBも奇跡的に残っていた。
マフェットは、臓器の位置が左右逆転した内臓逆位だったのだ。
だから、彼女の胸部左寄りに穿たれた穴は、心臓の大部分を破壊していたが、胸部右寄りにあるWBは無事だった。
最大の問題は、マフェットが重要臓器である肺と心臓を損傷していることだ。
右肺がほぼ無傷なので、肺は問題ないが、今のままでは、心臓が再生できない。
ではどうするか?
方法は一つだ。
アキオは、アンダーシャツを鷲掴みにすると、音を立てて引きちぎった。
指先をナノ強化して胸に突き立てる。
血が吹き出た。
「何をするの、アルト」
ジャッケルが叫んだ。
「――」
無言の気合と共に、アキオは自身の心臓を掴みだした。
「マフェット、俺の心臓だ。受け取れ」
そう呟いて、脈打つ熱い塊を握った手をマフェットの胸に突き刺す。
心臓を失ったら、別な心臓を与えてやれば良いだけだ。
他者の臓器でもまったく問題はない。
拒絶反応のような初歩的な障害は、200年以上前に克服している。
「マフェット」
アキオは彼女の傍らに膝をつき、抱き上げながら呼びかけた。
改良されたナノ・マシンによって、凄まじい勢いで彼の心臓は再生されつつある。
「目を覚ませ」
再び呼びかける。
改良型ナノ・マシンの稼働の最後の条件は、負傷者が、自ら魔法を発動させることだ。
それをしないとPS細胞が再生しない。
つまり、意識を取り戻さないと治療は始まらないのだ。
だが、マフェットは光を失った目で虚空を見つめるだけだ。
何の反応もない。
「マフェット」
アキオは肩を揺さぶった。
短くなった白髪が揺れる。
「ユーフラシア」
声がしてアキオはシッケルを見た。
「姉さんの本当の名前だ。ユーフラシア・サンクトレイカ。その名で呼びかけてくれ」
アキオはうなずき、言った。
「ユーフラシア、ユーフラシア・サンクトレイカ、戻ってこい。強化魔法を使ってくれ」
ピク、と彼女の目が動いた。
「頼む。ユーフラシア、死んだら抱くことができない」
再び、長い睫毛が少し震える。
「アルト」
声をかけたシッケルが彼の耳元で何か告げる。
うなずいたアキオは、彼女の頬に手を当て、言った。
「お前の人生はずっと独りだった。だが、これからは違う。戻ってこい、ユーフラシア。もう二度と独りで行こうとするな」
青灰色の瞳の瞳孔がすっと締まった。
マフェット、ユーフラシアの身体が青白く発光し、バッ、と音を立てるように、一瞬で彼女の長い髪が復活した。
美しい桜色だ。
胸の傷は既に塞がっている。
凄まじい回復力だった。
彼女の瞳が彼を見る――
「ア、アルト……あたし、夢を見ていた。あんたに、だ、抱かれる夢」
アキオは、ユーフラシアの頭をくしゃくしゃとかきまわした。
「ね、姉さん……」
こちらに背中を向けているため顔は見えないが、復活した梅桃色の豊かな髪と、しっかりした声音で彼女の回復を知ったシッケルは涙を流す。
「まさか……ユーフラシアさま!」
背後から声が響いて、ジャッケルが振り向いた。
そこには、彼女が見たこともないほど美しい、梅桃色の髪の少女が立っていた。