432.転倒
ナノ・ゴランがアキオに襲いかかった。
巨体で彼を覆うようにして上から攻撃を仕掛けてくる。
通常の人間なら、その大きさだけで恐怖を感じて動けなくなるほどの迫力だ。
もちろん、彼はそんなものに動じはしない。
人間と比べれば巨大だが、通常の外骨格の1.5倍サイズの対装甲車用外骨格程度なので、彼としては戦い慣れたサイズだからだ。
素晴らしい速さで彼に向けて振り下ろされる巨大な拳を受け流そうとするところへ、反対の腕が、背中周りに真横から薙ぎ払うように飛んできた。
通常の人型生物の関節ではあり得ない動きだ。
すでに、魔獣は、本能的に、ナノ・マシンによって関節の制約に囚われない攻撃方法を身に着け始めているのだろう。
咄嗟のことで、避けられないと判断したアキオは、腕を曲げ肘関節の外の部分で魔獣の攻撃を受けた。
かなり高レベルのナノ強化をしているために、骨折はしないし骨も砕けない。
しかし、さすがに巨大な手に籠められた凄まじいパワーを全て吸収することはできず、敢えて力の向きにそって後方にジャンプして、エネルギーを逃がした。
ナノ・ゴランは攻撃の手を緩めない。
宙を飛ぶ彼に向かって、四肢で地面をつかんで追撃を試みる。
すでにナノ加速を行っているため、その速度と動きの柔軟性は、機械的な外骨格の比ではなかった。
アキオは改めて感心する。
自分が開発したものではあるが、ナノ強化とは大したものだ。
飛びながら、彼は走り寄るゴランを見た。
衝撃を避けるためとはいえ、戦闘の最中にジャンプするのは愚策だ。
普通の人間は、空中で向きを変えられない。
特に相手が銃を持つ場合や、追いつけるだけの速さを持っている時は、恰好の的になってしまう。
だが、空中における方向転換は、少年の頃から彼が得意とした戦法だ。
後ろ向きに飛ぶ彼は、凄まじい速さで地面を穿ちながら迫る魔獣を見て複数の対処方法を考えた。
その一つを選択する。
本能で戦う魔獣に、過去数百年に渡って彼が工夫をしてきた戦闘法を見せてやろう。
アキオは、ナノ・コートの下襟にある、射手座のマークの襟章に偽装されたボタンに手を触れた。
普段はアーム・バンドを用いてコートを操作するのだが、今は使えないため、緊急時に使用するダイレクト・スイッチを使ったのだ。
音を立てずにコートがフライング・モードに変形し、風の抵抗を利用してアキオは瞬時に地面へ急降下した。
地面に着地した時点で、フライング・モードが解除される。
そのまま全身を使って跳ね上がり、彼の上を通過しようとするゴランの心臓、鳩尾、腹を連打する。
ナノ・マシンの痛覚遮断機能のおかげで、魔獣は苦しい顔も見せずに走りながら手を伸ばして彼を捕まえようとした。
もちろん、そんなことは想定内だ。
アキオは攻撃の手を緩めない。
彼を捕まえるべく伸ばされた魔獣の腕をつかんで一回転して上に乗り、ナノ・スパイクを出したブーツで駆け上がる。
魔獣は立ち止まって彼をつかまえようとするが、アキオはつかまらない。
肩の上から顔に向かってキックを放った。
さすがにナノ強化されたゴランだけあって、少し顔の向きが変わるだけだ。
通常の魔獣なら頭ごと消滅しているはずなのだが。
さらに伸ばされる腕をかいくぐって、頭頂部へ肘を撃ち込む。
腕の半分ほどしかめり込まないため、脳にそれほどのダメージは届かないだろう。
だが――
彼は身を高く跳ね上げると、ゴランの頭を飛び越えて反対側の肩に乗り、魔獣の耳に向けて膝蹴りを放った。
尖った耳介がふっとんで、耳の周りの骨が陥没する。
「こんなものか」
そうつぶやいて、後頭部を蹴って地面に降り立った。
魔獣を見上げる。
ナノ・ゴランは、大した損傷を受けていない様子で、頭を振って彼に飛び掛かろうとし――膝を着いて横転した。
やはり、強靭な魔獣の身体であっても、頭部への攻撃は有効なようだった。
アキオは、頭の三方向から、ゴランの脳を過激に揺らしてやったのだ。
特に、最後の膝蹴りで、三半規管のリンパ液も、かなり泡立ったことだろう。
開発者である彼は知っている。
ナノ・マシンは、身体器官の修復は行うが、半規管内のリンパ液が不規則に揺らされることで混乱した脳を回復させることはできないのだ。
さらに、痛みは感じなくとも、胸から腹部に受けたマシンの修復能力を越えた損傷は少しずつ体内に蓄積されている。
もちろん、彼の生み出したナノ・マシンが体内にある限り、ほどなく身体は修復され、ナノ・ゴランは再び起き上がるだろう。
次はどんな戦闘能力を見せてくれるか楽しみだ。
闘いながら、彼は改めて自己の二面性を確認していた。
兵士としての自分と、戦闘者としての自分を。
兵士としての彼は、闘い自体に楽しみを求めない。
友軍を失わないこと、作戦に従って勝つことが最優先事項だからだ。
先の封印の氷戦は、まさしくそれだった。
だが、今回、彼がこの任務に志願した目的は、異常な強さの襲撃者と戦うためだった。
戦闘者としての興味ゆえの行動だ。
さらに今、基礎体力が、ヒトより遥かに高いゴランのナノ強化体との戦闘が始まって、かつてないほど彼は――おそらく気分が高揚しているのだった。
断定できないのは、彼が、まだはっきりと自分の感情を把握できないからだ。
「あなた」
背後から声がして彼は振り返った。
道路の端からリリーヌが彼を睨んでいる。
「あなた、どうしてそんなに強いの」
「どうして」
言われてみて、改めて彼は思い出した。
この世界に来たばかりの頃、カマラを助けようとしてノーマル・ゴラン一体に手間取り、初めて会ったマーナガルの球電を受けて動けなくなったところを、言葉を理解し始めたばかりの彼女に救われたことを。
もちろん、P336等、兵士としての標準装備をしていれば、簡単に排除することはできただろう。
油断もあった。
敵に対する知識もなかった。
今は、それらすべてに対して備えがある。
だが、それだけではない。
彼が身にまとうコートは、シジマによって、雷球、火球に対して厳重な対策が施され、体内のナノ・マシンは、カマラの改良で耐電性を獲得し、ナノ強化も以前よりはるかに強度を増している。
彼の装備する道具、武器類も日々改良が加えられ、もはや地球にいた頃の装備とは別物といってよい性能になっているのだ。
それらすべては、少女たちが、無謀な愚行をくりかえす彼を守りたいと願って与えてくれたものだった。
まるで、かつて彼女から聞かされた地球の――
「あなたと、わたしのザイアンやゴランの何が違うの」
再び、叫ぶように言う少女に向かって、彼は答えた。
「俺には、お節介でやさしい守護天使がついている」
「しゅご……なに?」
少女の問いにアキオは首を振った。
神の存在しないこの世界には天使もまた存在しない。
「今の俺は、独りで戦っているのではない、ということだ」
アキオは、再び倒れたゴランを見下ろして、魔獣の復活を待った。