043.順応
翌朝、いつものように爽やかにアキオは目を覚ました。
目を開けると同時にあたりを見回す。
見慣れた馬車の中の部屋が目に入る。
他に人はいない。
彼は満足げにうなずいた。
昨夜、寝る前にピアノに対して、絶対に彼の部屋に入らないように厳命しておいたのだ。
かならずいい子にしていろ、と。
懸命にも少女は言いつけを守ったらしい。
久しぶりに、独りの朝を彼は満喫する。
広い寝台に身体を伸ばした。
目覚めとはこうでなければならない。
その時、彼のパーティションのカーテンが開けられピアノが入って来た。
裸同然の格好だ。
「おい」
寝ぼけ眼のまま、少女はシーツを上げてアキオの上に乗る。
彼は自分の服の前がはだけられているのに気づいた。
ピアノは、アキオの上で肌の感触を楽しむように体を色々と動かし、すりつける。
「ピアノ」
アキオの硬い声音に、少女は片目を開けた。
「ああ、おはようございます。アキオ」
そういって、首に手を回し、しっかりと抱きつく。
「何かいうことは?」
「え――あの、あの、おかげさまで便所もさっきまで起きずに――」
「そうじゃないだろう」
「え?」
「なぜ、お前がここにいる」
「なぜでしょう」
「昨日、約束したな」
「はい」
「お前は自分の部屋で寝る、と」
「そうです」
「では、なぜおまえはここにいる」
「だからここにいます」
(まさか)
アキオは半身を起こしあたりを見回した。
(違う)
なぜか、彼は自分の部屋ではなく、ピアノの部屋で寝ている。
「いったいどうやって――」
言いかけた彼は、体の上にのる少女を見て体を寝台に戻した。
「乙女の秘密ですよ」
そういって、少女はアキオの耳を甘噛みする。
アーム・バンドを見なくとも、同種株のナノ・マシンのシンクロによって、彼女の体調が万全になったことがわかる。
アキオはピアノの頭をポンポンたたき、体を入れ替えて少女の上に乗った。
「重いか」
体格がまったく違うので、かなり重さを感じるはずだ。これくらいの罰は与えてやりたい。
「ああ」
しかし少女は苦痛とはまったく違う声を発し、
「アキオの重さが嬉しいです」
諦めた彼は身体を起こしベッドから降りる。
「朝だピアノ。起きるぞ」
まず少女に服を着させて顔を洗わせる。
朝食にレーションを用意しようとして、その前にアーム・バンドでピアノの体調を再確認した。
身体の調整は万全のようだが、タンパク質が少し不足しているようだ。
アキオはムサカの肉を取り出す。
状態維持を解除し電熱で焼いた。
この馬車の熱源は、メナム石ではなく地球科学の太陽発電を利用した電気を使っている。
「おいしい!」
ピアノが喜びの声を上げる。
「ただの塩焼きだ」
「本当に?こんなにおいしいムサカの肉は初めてです!」
喜ぶ少女の顔を眺めてアキオは考える。
樹にぶら下げる肉の熟成を半日でやめたのがよかったのだろうか?
いや、おそらくガブンの街で買った岩塩の質が良かったのだろう。
味に無頓着なアキオはそう判断した。
ミーナがいれば、きっとこう言っただろう。
一緒に居たい人と食べるのが最高のスパイスなのだと。
食事を終えたピアノは、独りで狩りに行くと言い出した。
朝から野営地の周りを調べた時にムサカの痕跡を見つけたらしい。
「暗殺以外にもできることがあるのをアキオに見せたいのです」
「魔獣が出たらどうする」
「見かけたら逃げるから大丈夫です。あなたのお陰で体調も万全だし……」
「武器は」
少女は、服の下から取り出した銀針を三本ほど見せる。
おそらく、昨日も使ったであろう、ギャレーに置いてあった肉串だ。
「それなら殺せそうだな――俺も」
アキオが苦笑すると、少女は熱いものにでも触れたかのように串を投げ出した。
「冗談だ。串を拾え」
ピアノは串を拾う。
おそらく、シュテラ・ミルドの街でも同様の串を手に入れ、武器にしていたのだろう。
アキオは、灰色の髪のガラス人形のような美少女、昨夜まで自分を殺そうとしていた暗殺者を見た。
紅い眼を見る。
細い肩を見る。
形の良い胸を見る。
大人になりかけの腰を見る。
綺麗に伸びた足を――
「な、なぜ、そんなにじっと見るんです?恥ずかしいです」
「風呂では裸を見せていたのに?」
「お風呂は裸が当たり前です」
アキオは決めた。
アーム・バンドに触れて、少女に言う。
「お前の体を強化した――ナノクラフトで」
「え?」
「体力と身体能力が数倍になるから、慣れるまで、この辺りを走ってから狩りにいけ」
「アキオ!きゃっ!」
彼に飛びつこうとして、凄いジャンプを見せたピアノが彼の頭の上を飛び越えていく。
さすがに運動神経は人並み以上で足から華麗に着地した。
「これはすごいです」
感動する少女に、馬車に向かうアキオは、背を向けたまま後ろ手で手を振った。
「気をつけろ――」
これで、もし彼女がひそかに暗殺者のままであるなら危険度は数倍になった。
「だが、それもまた成り行きだ――」
アキオは小さくつぶやく。
馬車の前方に回り、ラピィに声をかけ水を与える。
しばらくして、完全にナノ強化をコントロールできるようになったらしいピアノが狩りに出ると、アキオは浴槽から湯を抜いて分解した。
一応、ミーナに連絡を試みるが、まだ太陽フレアは収まっていないようで通信は不能だ。
昨夜、寝る前に考えたのだが、グレーシアに会いに行くのは後回しにして、先にキイと合流しミーナとも相談の上キューブを手に入れることを優先させることにした。
キューブの知識がなければ、たとえシアから情報を得ても、おそらく正しく解析できないだろう。
それに、少女公爵も今ごろ明日の海戦に備えて忙しくしているに違いない。
シアは街にいて海戦には出ないのだから危険もないし、急いで会いに行く必要もない。
アキオは工作室に向かった。
手早く予定の作業を進める。
「帰りました!」
しばらくして、戸外に出した椅子に座って空を眺めていたアキオのもとへ、風のような速さでピアノが走り戻ってきた。
三頭のムサカを手にしている。
ナノ身体強化のせいで軽々と持っているが、解体され軽量化されているとはいえ、か細い少女が自分の体格よりも大きな獲物を三つも持っている姿は、かなり異様に見えた。
「身体はどうだった」
「最高です。信じられないくらい軽くて……でも、それよりアキオがわたしを信用してくれたのが嬉しい」
そういって、ピアノは獲物を置くとアキオに飛びついた。
可愛らしい笑顔で5メートルほどの距離を飛ぶ少女を、アキオは躱そうとして、結局受け止めてやった。
まるでウサギだ。
「無茶をするな」
そういって少女の強化を解除する。
アキオは地面に置かれた獲物の足にロープをかけて、近くの樹に吊るす。
「昼まで熟成させよう」
「はい!」
良い返事をする少女の頭を撫でてやり、
「こっちへ来い。渡すものがある」
馬車へ招く。
歩きながら尋ねる。
「着替えの服はもっていないだろう」
治療した時、ピアノは荷物をもっていなかった。
「はい……フードはありますが」
ナノマシンによる浄化で黒から灰色に変わった毛布のことだろう。
「馬車には、シアの、グレーシアの服があるが――」
「嫌です!」
アキオの言葉をさえぎってピアノが言う。
「そうだな、サイズが――」
「そういう問題ではありません。気持ちの問題です。胸だってそれほど変わりませんよ。わたしの方が年上ですし……」
ピアノが嫌がるのは分かっていた。
だが、いま、ピアノは、ずっと緊急衣料を着たままなのだ。
改良したおかげで、見た目はこの世界で違和感はない。
ナノ・マシンも体内にいるし服自体もナノ処理されているので、毎日新品同様の着心地なのだが、やはり着替えは必要だろう。
「街に戻ったら何か服は買うとして、それまで今の服の上にこれを着ればいい」
そういって、アキオは、馬車内の椅子にかけてあった服を渡す。
「まぁ!」
黙っていると大人びた雰囲気の美少女が、子供のような嬌声を上げた。
「これは、ナノ――」
「あなたの、アキオのコートとお揃いですね。嬉しいです!」
アキオの言葉を遮って少女が叫ぶように言う。
「これもナノクラフト製だ。ナノ・コート。冬暖かく夏涼しい。剣では斬れないし弓矢も通さない。汚れずいつも清潔だ」
「すごいです」
「ただ、雷球には弱いから気をつけろ」
ピアノに何色が良いか尋ねると、このままで良いとのことだった。
ナノ万能布の元々の色は単純な灰色だ。
アキオはアーム・バンドに命じてピアノのコートを灰色基調の複数配色に変える。
「おまえ専用に、少し手を加えてフードが出るようにした。左袖のボタンがスイッチだ」
「はい」
「着てみてくれ」
ピアノはコートに袖を通した。
例によって、伸縮自在のタイトなコートに少女の細い体の線が浮かび上がる。
ピアノは姿見に自身の姿を映し、にっこりと微笑んだ。
「まさか自分の姿を鏡で見たいと思う日がくるとは思いませんでした」
少ししんみりと言い、
「それに、これはすごく着心地が良いです」
ピアノがボタンを操作し、瞬時に伸びた大き目のフードを被る。
フードの奥の赤い瞳が神秘的だ。
それを見てアキオが言う。
「暗殺の仕事には使うな。使うなら――」
ピアノがアキオを見る。
「俺だけにしろ」
「アキオ!」
パフっと少女が彼に飛びつく。
「わたしはあなたを殺しません。絶対に。あなたを守りたい。守るんです」
アキオは少女を引きはがしながら言う。
「殺さなければいいさ。守らなくても」
軽い冗談のつもりが、反応が激しすぎてアキオはとまどう。
どうもこの辺が彼の意思疎通の限界らしい。
昼近くになったので、アキオは食事の準備を始めた。
簡易のテーブルと少女用のイスを野外に出し、レーションを並べる。
朝が肉だったので、昼はこれでよいだろう。
ピアノがギャレーで湯を沸かし、シュテラ・ミルドで買った花を浮かべる茶を入れる。
食卓にバラ茶のような香りが漂った。
食事の終わるころ、空にイカルに似た鳥の鳴き声が響く。
「アキオ、ガルです」
彼はうなずき、空に向かって手を伸ばした。
コートの腕に、黄色の嘴で黒羽の鳥が止まる。
さっとピアノが鳥を捕まえ、足のカプセルをはずしアキオに渡した。手慣れたものだ。
そのまま彼女はガルを持って馬車に入る。
鳥籠にガルをいれるのだろう。
アキオは文を読んだ。
そこには意外な内容が書かれていた。