424.現出
親しく付き合うようになって、少年は、フレネルが振れ幅の大きい少女であることを知った。
それは、機嫌の良い時と悪い時が極端である、などという単純な意味合いではない。
まだ少年の彼には、うまく説明できなかったが、彼女は、清楚で愛らしい少女である時と、ひどく積極的で蠱惑的な女性である時が、はっきり分かれていたのだ。
どちらも彼にとって大切な少女に変わりはないのだが、日によって大きく変わる、その態度の違いが少年を戸惑わせるのだった。
ある時、少女は、図書館の庭の椅子に並んで座り、先日、読んだという物語について、詳しく話してくれた。
背をまっすぐ伸ばして座り、きれいに揃えた膝に手を置いて、彼女は英雄である騎士が、いかに高潔で強く優しいかを語るのだ。
目を輝かせて。
また、ある時、少女はフリュラの花咲く公園をふたりで歩きながら、人気のない場所までくると、突然、彼に抱きつくのだった。
「な、何を……」
驚く少年を、花びら舞い散るフリュラの樹に押し当てると、少女は、彼の首に顔を近づけ、熱い吐息と共に言葉を吹きかけるのだった。
「あなたに出会うまで――」
少女は彼の背に回す手に力をこめる。
「わたしはいつも独りだった。エルノさまとのやりとりでも分かったでしょう。皆さま、わたしがディフラクト商会の娘であるというだけで、冷たくされるのです」
少年はうなずく。
それは大商会の力に対するやっかみだろう。
「でも、それだけじゃない」
少女はしばらく黙ったあとで、意を決したように話し始めた。
「いいわ。あなたにだけ教える。わたし、父と召使頭をしていた母との間にできた子供なの」
言ってから、少女は彼の身体を強く抱きしめた。
「だから、家の中でもわたしはいつも独り。使用人たちは、正式な父と母の子供である弟の顔色ばかりうかがって、わたしのいうことは聞いてくれない。その上――」
フレネルは、彼の顔を見上げる。
「いつの間にか、その話が広まってしまって、それをもとに、エルノさまのような方がわたしを馬鹿にしていじめようとするの」
少女は囁くように続ける。
「わかる?家の外でも中でも、わたしの周りは敵だらけ。本当の味方は、ザイアン、あなただけなのよ。ねえ、あなたはいつもわたしの味方でいてくれる」
「もちろんだ」
少女の温もりを感じ、熱い吐息を受けて身震いしながらも、彼は力強く答えるのだった。
だが、そんな込み入った家庭の事情を打ち明けてくれた後でさえ、次に会った時に彼が少女の手を握ろうとすると、
「いけないわ、ザイアン」
そういって、少女はやんわり彼を拒絶し、お行儀よく並んで椅子に座り、新しく読んだ物語の話をするのだった。
少年は混乱する。
どちらが本当の彼女なのだろう。
女性と接する機会の少ない若者にありがちなように、彼には、少女が何を考えているか、よく分からなかった。
「女ってのはそんなもんだぜ、若旦那」
彼の唯一の大人の知り合いである元傭兵のグランプ、格闘の教師にさりげなく水を向けるとそんな答えが返ってきた。
傷だらけの顔で豪快に笑う大男を見て、聞く相手を間違えたと彼は思う。
どう考えても、このがさつな元傭兵が女性に詳しいとは思えなかったからだ。
だけど――
そんなものなのだろうか?
少年は、ますます分からなくなる。
幼くして母を亡くし、男子専用の学習所に通う彼にとって、身近な女性は屋敷の使用人しかおらず、彼女たちの多くはもう老人だった。
参考にしたり、話を聞く相手がいないのだ。
いずれにせよ、彼にとってフレネルは謎多き少女だった。
ある時は、清楚で潔癖な良家の子女、またある時は奔放、積極的で蠱惑的な美少女――
どちらも彼にとっては、守るべき大切な少女なのだ。
フレネルと知り合って半年あまりが過ぎた。
その間、ディフラクト商会は、何度か経営の危機におちいった。
当時、彼の父は、商会の副主任、つまり店主の次の地位に就いていたが、隊商が魔獣に襲われ、積み荷が取引先に届かないということが続いた結果、同業のヤフト商会に吸収されそうになったのだ。
それまで商会の経営にはまったく興味が無かった彼だったが、フレネルと知り合ってからは、頻繁に父に会社のことを聞くようになっていた。
商会の発展はフレネルの幸せにつながる。
「ザイアン」
連日、屋敷に戻らず、たまに姿を見ても、冴えない顔色でため息ばかりついていた父が、帰宅するなり彼を呼んだ。
嫌な予感がして、階段を3段飛ばしで駆け下りた彼に向かって父が言う。
「もう安心だ」
聞くと、それまで強硬にディフラクト商会を吸収しようと推し進めていたヤフト商会の副主任が落馬事故で死んだのだという。
「運が良かったんだな」
微妙な響きを含む彼のつぶやきに、父は安堵の表情でうなずいた。
「まったくだ」
その後、わずか半年足らずの間に、同じようなできごとが、数度、繰り返された。
うち1回は、また毒による死だった。
もっとも、それは、毒を持つ魚の処理を間違えて、内臓ごと食べてしまったことによる事故死であったが――
いずれにせよ、美食家として鳴らした、商売敵の商会店主が亡くなり、ディフラクトの経営は安泰となったのだった。
少女と知り合って1年が経つころ、彼は、父についてフレネルの屋敷に出かけた。
しばらく彼女に会っていなかったため、口実を見つけて父から離れて彼女を探し出し、少しでも話をしたかったのだ。
少年は、広大な屋敷前の庭園で、わざと父から離れて道に迷ったふりをして、庭の端に向かった。
独りになりたいとき、フレネルが屋敷の自室ではなく、かつて庭師が住んでいた小屋にこもることを知っていたからだ。
夕方の、この時間なら、そこにいる可能性が高いはずだ。
生い茂る植物をかき分けて彼は進む。
そこは、少女が一度だけ口を滑らせて話をしてくれた隠れ場所だ。
確かに、誰も、こんな手入れもされない庭の端に、お嬢さまがいるとは思わないだろう。
まさに、理想的な隠れ家だった。
音を立てないように進むと、ぱっと視界が開け、目の前に小さな小屋が見えた。
明り取りの窓から漏れるメナム石の光で、彼女が中にいるのがわかる。
少年は、嬉しくなって戸口に駆け寄り、扉を開けた。
そこに、少女はいた。
だが、それは彼の知る、どのフレネルとも違う別な生き物だった。
「まあ、ザイアン、いけない人。乙女の秘密の場所へ突然入って来るなんて」
口にくわえたパイプから紫色の煙を吐きながら、甘い口調で少女が言う。
小屋に籠った甘ったるい匂いを吸って、少年はめまいを感じてよろめいた。
「ああ、気をつけなさい、ガズルの煙は、慣れないと身体に毒だから」
「フレネル、これはいったい」
一歩下がって、家の外から声を掛ける彼に、少女がパイプを椅子の肘に打ち付けて灰を床に落としながら言う。
「ごめんなさい、ザイアン。わたし、フレネルじゃないの。あの子にできないことをするために生まれた別の女、名前は――そうね、リリーヌと呼んでくださいな」