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421.欽慕

 俺は、どうした。

 青年は、朦朧もうろうとした意識の中で少女の声を聞きながら思う。

 自分はひどくやられてしまった。

 もう立ち上がれないほどに。

 もう戦うのは嫌だ。


 こんなに恐ろしい眼に会うのは二度とごめんだ。

 だけど――

 彼女の声がまだ聞こえている。

 あの声で、闘えと言われたら、彼女が闘って欲しいと願うなら、俺は、まだ……



 コンケイブ・アスフェルが、まだザイアン・ファレノであった頃、彼女と初めて出会ったのだった。


 当時、ディフラクト商会の会計主任であった父に連れられて、慰労いろううたげなるもよおしに参加した時だ。



 幼い頃より、傭兵だった祖父から、心躍るような血沸ちわ肉躍にくおど冒険譚ぼうけんたんを聞かされて育った彼は、大商会の勤め人として働く父と、何不自由のない生活が退屈でしかたなかった。


 彼に母はいない。

 少年と同じ金色の髪を持っていたらしい母は、彼の誕生と同時に亡くなっていたからだ。

 昔も今も、サンクトレイカでは、出産は危険を伴う行為だった。


「今日の分の勉強は終えたのかい」

 仕事から変えるたびに、父はそう尋ねたが、それに対して彼はいつも生返事なまへんじで答えていた。


 文字や言葉、数字を覚えて何になる――


 少年は、朝早くに出かけ、夜遅く疲れた顔で帰る父を、その髪色および身にまとう外套がいとうと同じ、灰色に塗りつぶされたつまらない人間だと思っていた。


 本当の人生は、祖父が話してくれるような、見知らぬ土地に出向き、見知らぬ食べ物を食べ、闘いと冒険に明け暮れる極彩色ごくさいしきに輝くもののはずだ。


 いずれ大きくなって、()()()()()をつけることができるようになれば、彼は広い世界に打って出るのだ。

 自分の生きる場所は、そこにこそある。

 そう信じて疑わなかった。


 そしてもうひとつ、きらびやかな人生には必要不可欠な要素があった。


 美しい女たちだ。


 祖父の語る話には、必ず美女、美少女が登場した。

 甘い果実のように良い香りのする美しい女たち。

 その語る言葉も甘く優しく、うるわしいものばかりの美姫びき佳人かじんたちだ。


 彼女たちは、ある時は戦いの原因であり、またある時は冒険の途中に現れる、守るべき対象だった。



 だが、現実は無慈悲むじひだ。


 普段の少年の生活圏せいかつけん、家と学習所サライラムや近くの公園で見かける少女たちは、いかにも庶民といった容姿で、祖父が言うような、ひと目見るだけで胸が高鳴るような者は見たことがなかった。


 心の中の密かな願望を吐露とろした友人は、憐れむような目で彼を見て言う。


 俺たちの周りには、美しい女性などやしないさ、本当に美しいのは、上位貴族か、その血を引く大商会のお嬢さまくらいだからな。


 つまり、普通に暮らしていれば、彼らが美しい女性に出会うことなど、ついぞ無いということだった。


 彼が十歳になった時、祖父が死んだ。

 貴族の乗る馬車にき殺されたのだ。


 祖父をいた貴族は、わずかばかりの金を渡しただけでおとがめなしとなる。


 杖をつく身で、わざとゆっくり貴族の馬車の前を無理に横切ろうとしてかれた、というのが、事故を目撃した者の一致した意見だったからだ。


「これで、あのホラ話につきあわなくてすむな」

 父と共に正装して墓穴の横に立つ少年の耳に、花を手向たむける人々が話す、心無い会話が聞こえてくる。

「戦いで片足を失ってからは、人の顔を見ると、行ったこともない西の国(サイアノス)の洞穴の話や、エストラの荒野の話をまくしたてるから迷惑していたんだ」

「エストラの魔女としとねをともにしたという話も聞いたな」

「しっ、お孫さんの前でする話じゃないよ」


 祖父は()()()()()()傭兵だった。

 何も知らない奴らが勝手なことを言ってやがる――

 少年は拳を握るが、どうすることもできなかった。

 父は、そんな言葉を完全に無視して、ただ愛想よく笑いながら頭を下げていた。



 祖父の死は、鮮やかな色を持つ()()()()だった。


 その日から彼の周りの世界は、父の髪色、日々身にまとう外套がいとうと同じ灰色になる。

 彼は父の姿を見るのが嫌いだった。

 父の現在は、彼の未来だった。

 自分も将来、あの灰色の服を着て商会を往復するだけの人生になり果てるのだろうか。


 そんなことは、まっぴらごめんだ。

 だが、何の力もない、冒険に憧れるだけのコドモに何ができるというのだ。


「今度、商会でうたげもよおされるんだが、お前もこないか」

 普段、職場に関係した場所には決して連れて行こうとしなかった父が、そう彼に声を掛けたのは、単なる気まぐれであったのか、祖父が死んでから、沈みがちな彼の気を引き立たせるためであったのか――


 そして、少年は宴に出かけ、彼女と出会った。


 初めて経験する大人のうたげは、きらびやかな、数多くのメナム石で照らされた広い屋敷の庭で行われていた。


 普段、街中では見かけない、肩を大胆に出した女たちの何人かは、明らかに貴族の血を引くと思われる美貌を持っている。


 その場の雰囲気ふんいき気圧けおされた彼は、情けないと思いながら、父の陰に隠れるように会場を歩いていた。


 彼と同年代の少年少女たちもいるが、皆、彼より見栄みばえがよく優秀そうに見える。


「あ、ディフラクトさま」

 突然立ち止った父の背中に鼻をぶつけた彼は、あやうく倒れそうになった。

「うふふ」

 鳥が鳴くような愛らしい笑いが響いて、彼は声の主を見た。

 そこに、()()が立っていた。

 風に揺れる薄緑ライトグリーンの髪、青い(ひとみ)、それは祖父がよく話してくれた、闘いの原因となり、守るべき対象となる美少女だった。 


「これは、わたしの息子ザイアンです。ザイアン、会長のディフラクトさまと、お嬢さまのフレネルさまだ」

 父が、赤い髪の壮年そうねんの男とその横に軽やかに立つ少女を紹介する。


 硬直したように少女を見続ける息子に困ったような目を向ける部下へ、助け舟を出すように赤髪の男が言った。


「ご子息も、大人ばかりの集まりで退屈しているのだろう。フレネル、彼を連れて何か甘いものでも食べておいで」

 少女は、軽く腰を落として優雅なカーテシーを披露ひろうすると、彼に手を差し出した。

 なおも彼が彼女を見つめ続けていると、また、クスっと笑って、

「女性が手を差し出したら、うやうやしく手に触れて導くものよ」

 その言葉で慌てて伸ばされた少年の手は、触れてはならないもののように、少女の指先の前で止まった。

「さあ」

 少女が彼の手を取って歩き出す。


 彼女の手が触れた瞬間、祖父が死んで以来ずっと灰色だった彼の世界が極彩色ごくさいしきに変わったのだった。

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