418.健闘
女だったのか、と、アキオは言わなかった。
黙って彼は、彼女と魔犬女王の子供の間に立つ。
ジャッケルが再び剣を構え、銀色に輝く2体のマーナガルと戦おうとしていたからだ。
「邪魔をするな」
よく通る声で彼女が叫ぶ。
「戦わないでくれ」
「馬鹿にするな。あんな奴に負けはしない」
「わかっている」
彼の言葉に虚を突かれたように少女が黙った。
「魔犬を傷つけて欲しくない」
「おまえ、宰相から派遣された兵士じゃないのか」
少女が表情を険しくする。
それにアキオは答えず、
「君は、国の機関からやって来たんだな」
自らの推理を述べる。
その問いに、ジャッケルも答えない。
魔犬女王とその子供たちは、彼を覚えていたようだ。
強敵であることを知っているためか、牙をむいて唸るだけで飛び掛かろうとはしない。
不意に少女が矢のように飛び出し、剣をひと薙ぎして彼の横を駆け抜けようとした。
アキオは、彼女の進路上に立つと、ナノ・ナイフを抜いて刃の腹で剣を受けた。
刃先で受けると、彼女の剣を切断してしまう。
「なぜ、化物の味方をする」
「頼まれたんだ」
「はあ?」
少女が強い力で剣を押しながら呆れる。
「お前はバカか」
その通りだ――
アキオは口元を僅かにゆがめた。
苦笑しているのだ。
「いいから、どけ」
少女の叫びとほぼ同時に、黒い影が彼らの頭上を飛び越え、道の向こうへ走って行く。
マーランガが、ラミオを咥えたまま、子供たちと逃走したのだ。
「あ、くそっ」
一瞬、気を逸らした少女から、手首を捻って刀を取り上げると、肩を押して重心をずらし、地面に押しつぶすように倒した。
ナノ・ナイフをしまい、押さえつけながら言う。
「しばらく、じっとしていてくれ」
「おまえ、王命に背くのか」
「王命――」
アキオは少女の言葉を無表情に繰り返した。
彼は命令など受けていない。
彼自身が申し出て、結果、頼まれただけだ。
シミュラなら言うだろう。
この世界の、誰がおぬしに命令できるのか、と。
おまけに依頼は、隊商を襲う謎の男を捕まえてくれ、だった。
そこに、銀色に輝く大きな女王を捕まえる仕事は入っていない。
その時、彼らの傍を、土煙を上げてマーナガルたちの群れが走り去って行った。
ふたりには見向きもしない。
女王の後を追って逃げ出したのだろう。
魔犬の集団が過ぎ去ると、アキオは少女を押さえるのをやめ、手を持って立たせる。
身を起こしたジャッケルは、掴まれた手を引き寄せながら、空いたをが閃かせた。
アキオが彼女の腕を押さえる。
どこから取り出したのか、鋭利なナイフが、彼のわき腹の手前で震えていた。
さらに空いた手が彼に殴りかかる。
拳には、地球で言うナックルダスターのような武器がつけられていた。
先から針のようなものが突き出している。
アキオはもう片方の手で少女の手首を掴んだ。
間髪をいれず少女の足が跳ね上がる。
ブーツの爪先からナイフが飛び出しているのを見たアキオは、ジャッケルを軽く突き放した。
「おもしろいな」
ごく自然な感想が口から零れる。
彼女は、諜報員のように全身に暗殺武器を仕込んでいる。
小柄な彼女が、身体能力は高くともその先に存在する絶対的な体格差を埋めるためだろう。
後ろに弾かれながら体勢を立て直した少女は地面に落ちていた剣に飛びついた。
立ち上がって、地球のフェンシングのように片手で持つ。
この世界では初めて見る構えだ。
アキオは素手のまま、少女と対峙した。
ぴたりと静止した剣先を彼につきくけ、隙をうかがっていたジャッケルが、矢のように飛び出して彼に打ちかかる。
侮れない速さだった。
アキオは、ナノ・ナイフを取り出すと、刃先を使わないようにして彼女の剣をさばいた。
一般人にとっては、目にもとまらない早業に見えただろう。
さらに、剣戟の合間に、おそらくは毒を塗られているであろう、湿った暗器の拳とブーツのナイフが襲ってくるのだ。
それは、手足の連携のとれた良い動きだった。
片手剣は単なる威嚇として使い、本命は腕と足の暗器に仕込まれた毒だ。
少女は、様々な手をつかい、戦いのリズムを崩し虚を衝き、自らのペースに持ち込むんで有利に戦おうとする。
アキオは楽しくなってきた。
まるでユイノと踊っているような気分だ。
彼は、その攻撃のことごとくを紙一重で躱し続けていた。
弱体化をしていないので、手足で受けると彼女の身体を壊してしまうからだ。
ジャッケルが、後ろに跳んで距離をとった。
乱れた荒い息を整えている。
そのたびに、崖の間から射し始めた陽光で少女の水色の髪が揺れて輝いた。
「おいおい、腰抜け同士が何をしている」
横から声がかかる。
ボルズだった。
他の兵士たちも一緒だ。
逃げる魔犬を追ってここまでやって来たのだろう。
もう少し時間を稼げば、魔犬女王は逃げ切ることができるはずだ。
彼女に咥えられたエカテル商会の主については――彼の知ったことではない。
フレネルに行った仕打ちの報いを受けることだろう。
運がよければ、胴体を噛み切られてあっさり死ぬことができるかもしれない。
だが、兵士の声を耳にした少女は予想外の行動に出た。
立ち止まって眺めるボルズに走り寄ると、彼を突き飛ばして兵士たちの背後を通り、魔犬を追いだしたのだ。
アキオは、反射的にナノ強化して少女を追跡しようとして一瞬考える。
まだ予定の敵が現れていない。
この場で、衆人環視のもとで、完全なナノ強化を見せて良いものか――
結果、彼は強化を行わず、彼女を追い始めた。
ジャッケルとの距離は20メートルばかり、これなら、ボルズたちの目が届かない場所まで走ったあとで、加速して追いつけるはずだ。
アキオは黙ったまま、尻もちをつくボルズの横を通り過ぎる。
兵士から離れ、少し加速して走りだそうとした時、ジャッケルが空中を飛んできた。
さらに少し加速して彼は小柄な少女を受け止めた。
大きな怪我はしていないようだが気絶している。
一回転して、彼女を地面にそっと下すと、彼は魔犬の走り去った方角を見た。
そこには、すらりとした男が立っていた。
顔全体を覆う白い仮面をつけている。
そのため表情はわからないが、痩せて締まった体つきから、まだ若いことが察せられた。
アキオの五感が強く警戒を発する。
ただの人間には感じたことのない感覚だ。
確信があったわけではない。
ただ、機械的に彼は何かに備える。
結果的に、それが彼を救った。
少年の姿が幻のようにブレると、いきなりアキオの直前に現れた。
すさまじい速さ、威力のパンチが彼を襲う。
人間の出せる速度ではなかった。
かつて、戦闘狂アレク・ミードが使っていたナルコティック・アクセラレーターを使っているかのような速さだ。
そしてその威力は、硬化外骨格顔負けだった。
ただの人間と対峙しているつもりでいたなら、死なないまでも、一撃で、かなり重大なダメージを受けたことだろう。
土煙を上げて15メートルばかり後退させられたアキオは、殴った体勢から身を起こす相手を見た。
激しい動きのため仮面が吹っ飛んで素顔が現われていた。
予想通り、まだ若く、わずかに少年の面影が残る顔だ。
「さすがに、魔犬女王を追い返すことはあるな」
青年が笑う。
まだ青さの残るその声は、楽しげだった。