417.王城
「つまり、アキオはこの城にはいないということですね」
桜色の髪を揺らして、心持ち少女が沈んだ声を出した。
「そうだよ、気がついたら朝で、一緒に寝たはずのアキオはいなかったんだよ。ナノ・マシンで意識レベルを落とすなんて、ひどいことするよね」
「本当です。どうせ出かけるなら、一緒に連れて行ってくれれば良いのに。アキオは冷たいです」
拳を握って熱弁する少女の薄青色の瞳を見つめながら、ピアノがつぶやく。
「姉さまのそんな姿を初めて見ました」
朝になって、アキオがいないことに気づいた少女たちが騒いでいるところへ、ヌースクアムから小型連絡艇駒鳥号が到着した。
ユスラ、ピアノ、ヴァイユがタラップから降りると、着陸場所であるシルバ城の空中庭園まで迎えに来たシジマが状況を説明したのだった。
「わたしが怪我をしたから、アキオは独りで行くと決めたのでしょう」
ミストラが申し訳なさそうに言う。
「何をいうのミストラ。そんなことはないわ。アキオは、もともとそういう人なのです」
ユスラが少女の肩を抱く。
ドン、と彼女の腕に衝撃が走ると、シジマの声が耳元で響いた。
「これでボクとミストラだけが、アキオに斬られたことになるね」
「あなたは斬られたけど、ミストラは腕で身体を貫かれたのでしょう」
ヴァイユが言い、少女たちが黙った。
この場にシミュラがいたら言いそうな言葉が頭をよぎったからだ。
「ねえねえ、シミュラさまの代わりにボクがいってもいい?」
空気を読めないシジマが無邪気な声を出す。
「あやつも無粋な男よ。どうせなら腕でなく、他のもので貫いて――」
「やめなさい」
少女たち全員が彼女を遮る。
ヴァイユがシジマの口を押さえた。
「冗談はともかく、とりあえずノランとシェリルに事情を聞きましょう」
ピアノの言葉に皆がうなずいて、少女たちは城の最上階近くにある宰相の執務室を目指して歩き始めた。
ユスラは、アーム・バンドに手を触れて髪色を黒くする。
シルバ城は、地上50メートルの広い空中庭園から、さらに尖塔がいくつか天に向かって伸びている造りになっている。
庭園と尖塔とは空中回廊ともいうべき廊下で繋がっていて、そこには様々な絵画が飾られていた。
「お城にはよく来ましたが、この回廊を歩くの初めてです。ここに描かれているのは、皆、ユスラのご先祖さまですか」
ヴァイユが、古くからの友達らしい率直さで質問する。
「そうです。ノランも、新しく王になるなら、こんなものは全て撤去すればよいのに」
「でも、さすがに王族、男も女もみんな綺麗だよねぇ」
シジマが廊下に掛けられた肖像画ひとつひとつに目を通して感心する。
「ボクも一応貴族だったからね、王さまの顔と名前はわかるよ。これが、あのルミレシアでしょう」
先代女王も、彼女にかかれば呼び捨てだ。
「次が、ユスラさまの父王シゲルソンさま、これが、その先代のアトラシアさま、優しそうな顔をしておられる、ユスラさまのおばあさまだよね。それで、これが悪名高いルクレシア女王。ガズル女王の二つ名のある人だ。麻薬を吸い過ぎたために早く死んだんだよね。そして、その父君のバルディアさま――あれ、その横に小さい肖像画があるけど、これは誰?知らないなぁ」
「ああ、その方の肖像画も飾られていたのですね。悲劇の女王ユーフラシアさまですよ」
立ち止ったユスラが、他のものの4分の一ほどの大きさの画を見つめる。
「それは、たしか、あなたの――」
ミストラが言いかけるのをユスラが引き取り、
「大叔母さまにあたるお方よ」
「不敬ながら存じませんでした。小さい絵だからそう思うのかもしれませんが、触れば切れるほど美しい方ですね」
ヨスルが息を詰めるようにして言う。
「歴代王族の中で最も美しいといわれた王女さま。15でお亡くなりになった――その美しさのみ語られることが多い方だけど、見かけに反して中身は優しく温かい人だったと聞いています。たくさんの逸話をお持ちで……子供の時に、おばあさまから色々と聞きました」
ユスラが最大限の敬愛を込めた声で語る
「そういえば、ユスラさまと似てるところがあるね」
「ありがとうシジマ。そういわれると嬉しいわ。王族の中で、唯一、わたしの憧れる方だから。この方が居られるから、わたしは自分の中に王族の血が流れていることを許せるのです」
「わたしもまったく知らなかった」
ヴァイユがユスラの肩を抱く。
「それは仕方がないわ。なぜか歴史から完全に抹殺されている方だもの――」
名残惜しそうに額に指を触れると、ユスラは廊下を歩きだした。
少女たちはその後を追う。
「すみません。潜入任務だから独りでいく。皆様がお知りになると、必ずついてくるというだろうから黙っておいてくれ、といわれたのです」
シェリルが頭を下げた。
「あなたが謝る必要はありません」
カマラが優しい声を出す。
「彼はそういう人なのです」
「単独任務なのですか」
ピアノが尋ねる。
「ひとりの方が自由に動けるというんでな」
ノランが答えた。
「そうでしょうね。ということは、アキオの様子を知る術はないのですね。彼はいちいち報告などしないでしょうから」
「それについてはちょっと待ってくれ。隊商の様子が分かるかも知れん」
そう言ってノランがシェリルに目配せする。
「誰か」
彼女の澄んだ声が執務室に響くと、重厚な扉が開いて衛士が入って来た。
「リズロを呼びなさい」
男が最敬礼して下がる。
彼らすべての兵士たちは、噂の封印の氷の戦いで、英雄王と美しき宰相が手に手を携えて魔王と戦ったことを知っているのだ。
しばらくすると、衛士に付き添われて小柄、小太りの男が入って来た。
「お呼びでしょうか、宰相閣下」
「その呼び方はやめてください」
「閣下は閣下ですから」
「その話はいい、お前を呼んだのは、今、任務につかせている局員からの報告を知りたいからだ」
「さて、潜入させている隊商もあれば、そうでない荷馬車もありますからな」
「西の国へ向かうエカテル商会の隊商だ」
「さて、どうだったでしょう」
「思い出してくれ」
もと傭兵のノランは、配下の馬鹿にした様子をよく我慢する。
それを見て、ユスラは形の良い眉をひそめた。
彼女はリズロを知っている。
女公爵時代に、平和の海戦における西の国の戦略を解析するための有益な情報を何度か手に入れてくれたことがあったのだ。
直接、顔を合わせたのは数度しかないが、その時の彼女に対する応対とのあまりの違いに驚いていた。
頭はよく能力もあり、柔軟さも持ち合わせているが、極端な貴族第一主義なのだ。
なり上がりの王であるノランを認めていないのだろう。
「リズロ、王が尋ねられたのです、答えなさい」
シェリルの言葉にも、どこ吹く風だ。
ノランのこめかみが震えるのを見たユスラは、ゆっくりと男に向かって歩み出た。
リズロが彼女を見る。
髪色を黒にしている彼女が女公爵そして本来の正当な女王であることには気づいていない。
彼は、ここに集まった少女たちが、世界最強国家ヌースクアムの王妃たちであることも知らないのだ。
ただ、そのうちのふたり、ミストラとヴァイユが、この国のにわか王と宰相に国政の基礎を教えているサンクトレイカの貴族と商家であることは知っている。
「もう結構です。英雄王」
そういって、彼女は、さらに一歩、男に近づいた。
「リズロ、あなた、王に対して不敬が過ぎます」
美しくはあるが、ついこの間成人したばかりのような小娘に呼び捨てにされて、彼は眉を釣り上げた。
「お前は誰だ」
ユスラは、彼女がお前呼ばわりされた瞬間、ノランが腰に吊った剣、ほぼ飾りに等しい装飾過多のナマクラだが、に手を伸ばすのを見て再び声を放った。
「黙るのです」
そして、不本意ながら、続ける。
「身分をわきまえなさい」
それほど大きな声ではなかった。
だが、その声音には、自らの出自をはっきりと自覚し、命令して当然という意識のもとに強大な威圧がこめられていた。
リズロの身が一瞬震え、眼が大きく見開かれる。
この人は、違う!
この声音、態度、美しさ、どこかで見たことが……いや、しかし――
「あなたは、どなたです?いや、どなたであろうと、間違いない、あなたさまは――」
言葉とは裏腹に、自身なさげに彼が尋ねる。
膝が自然に折れて少女の前に跪いた。
「リズロ、あなたの役職は何です」
「内務部長、です」
「あなたが忠誠を誓うのは」
「サンクトレイカ王国……」
「その王は」
「……」
「その王は!」
「ノラン・ジュードさま」
ユスラの声が優しくなる。
「分かっているではないですか。リズロ・アズロ・カリテロ」
「なぜ、わたしの中名を」
「それは、あなた自信が考えて得るべき答えです。さあ、王の質問に答えなさい」
「は、はい」
リズロは、問われるまま、ガルを使って届けられたばかりの報告書の内容を教えた。
「えー、アキオが荷物運びさせられたの」
シジマが単純に驚く。
「問題はそこではありません。今朝、アキオを傷つけた痴れ者がいることです」
ヨスルの眼が不気味に輝く。
「殺りますか、姉さま。駒鳥号を使えば、ここから20分の距離です」
「どうするの、暗殺姉妹が怒ってるよ」
「もちろん、ピアノたちは冗談をいってるのですよ、シジマ。でも、任務のためとはいえ、アキオが傷つけられるのは不愉快ですね――現地に向かって、密かに見守るほうが良いかもしれません。目の前でアキオが殴られたら冷静でいる自信はありませんが」
「カマラまで何をいうのです。それで、参考までに、その痴れ者の名前は何といいましたか」
「ユスラこそ、あとから罰を与えそうじゃない」
ミストラが笑い、
「定期的に連絡が来るのなら、わたしたちは一度、国に帰るべきでしょうか」
「いえ、事態の急変に備えて、ここに残るべきだと思います。迷惑でしょうか、英雄王」
「とんでもありません」
彼女の言葉に、危うく跪きそうになるノランを目で止めてユスラが続けた。
「では、あと少し、この城にいることにしましょう。しばらくすればアルメデさまも戻って来られるでしょうから」