409.地下
フロストは、地下に続く石段を降り始めた。
壁に明かりはないが、後ろから来るマフェットがメナム石を掲げてくれるから、足下は暗くはない。
20段ほど降りたところで、石段は行き止まりになり、左右に道が分かれていた。
「そこは左さ」
マフェットの言葉に従い左の道を行く。
また石段だ。
通路はさらに下に続いていく。
かなり深くまで降りたはずだが、美人の持つメナム石の乏しい光では、まだ終点が見えない。
再び石段が自然に左に曲がると、目の前に分厚い扉が現れた。
「ここが終点さ」
背後から声が聞こえる。
「鍵を開けるよ」
彼女の言葉でフロストは道を譲った。
すれ違う時、また彼女のよい香りがして少年は陶然とした気持ちになる。
美女は扉の前に立つと、再び胸の谷間から鍵を取り出し、鍵穴に差し込んでひねった。
カチリと硬質の音が響いて扉が開く。
「ここで待っとくれ」
そういって先に彼女が中に入った。
扉が自然に半分ほど閉まるが、すぐに、その隙間から明るい光があふれだした。
部屋の中に備えつけのメナム石を点けたのだろう。
「入っておいで」
呼びかけに応じて、フロストは扉を大きく開けて中に入った。
目を見張る。
そこは地下深くに作られたと思えないほど立派な部屋だった。
窓こそないが充分な広さがあり、壁や床は磨きこまれた木製で、それが落ち着いた雰囲気を醸し出している。
天井には数多くのメナム石が埋め込まれ、部屋のものすべてが光に輝いていた。
大貴族の居室と呼んでもよい豪華さだ。
「そこにお掛け」
手で示された豪華な椅子に彼は座った。
向かいに座った美女は、足を組んで膝の上に手を乗せた。
彼を見つめる。
「どうだい」
「高そうだ」
ぷっと、マフェットが噴き出す。
「いいねぇ。まず、金額で計るのは大事なことだ」
彼女は、真面目な顔になると、
「ここは、もともと公爵さまの隠れ家だったんだ」
「公爵?」
フロストは首をひねる。
確か、王家に近い血筋だと思うが、あまりに高位貴族過ぎてよくわからない。
「そうさ、国防の要、戦術の天才、ブリスカル・サラヴァツキーさまさ」
「サラ……?聞いたことがない」
「たまに起こる西の国との小競り合いで作戦を立てるお方なんだ。今は、子息のマルケスさまに家督を譲られて引退の身だけどね。その方が、西の国との最前線で戦ったあとで、密かにお休みになられたのが、ここなんだよ。常に命を狙われる方だからね」
「追い詰められたら、ここの方が危ないんじゃないか」
「逃げ道はいくつかあるのさ」
少年は、来る途中で見た分かれ道を思い出す。
おそらく、この部屋にも違う脱出路があるのだろう。
彼は改めて部屋を見回した。
ここは、王に次ぐ高位貴族が、身の安全を図り、息抜きをするために作った部屋なのだ。
マフェットがしばらく黙りこんだ。
口を閉じると、普段、その表情を優しく見せている気立ての良さが影を潜め、彼女本来の、あたりを冷たくするほどの美しさが蘇る。
わずかに瞬くメナム石の揺らぎが、美貌の女性を神秘的に浮かび上がらせた。
「今回の計画をどう思った?」
唐突に彼女が尋ねる。
「まるで、これから何が起こるか知っているような計画だった」
少年の言葉に彼女はうなずき、
「そうだろう」
満足げに言う。
「でも、うまくいった」
フロストは、まだ信じられない、といった様子でつぶやく。
正直にいうと、初めのうちは、彼にも不安があった。
もし警備の連中が、ちょっとした気まぐれを起こしたら……歩く速さがいつもと違ったら……
それだけですべてがダメになるほど、細かい計画だったのだ。
「あれは、その公爵さまが立てられたものなんだ」
話の流れから、そういうことだろうと予想はしていたものの、やはり彼は驚く。
それほど高位の貴族が、酒場の女主の盗みに力を貸すということ、それはつまり――
さっとマフェットが立ち上がった。
壁に向かって形よく歩き、クブの木でできた頑丈そうな隠し棚の扉に手をかけて、
「こっちへおいで」
彼を呼んだ。
フロストが近づくと扉を開ける。
棚の中では、三角の形に、色とりどりの宝石が並べられていた。
それぞれの宝石の前には名前が貼られている。
すでに半分近くが埋まっていたが、まだ空席も多い。
彼女は、手にした宝石を、三角形の頂点付近にあるグラン・アズロと書かれた場所に置いた。
振り向いて微笑む。
「64ある宝石のうち、30は取り戻した。今日のを加えれば31だね」
だが、少年の耳に、その言葉は入っていなかった。
独学ながら、彼はなんとか文字が読める。
その彼の眼が、三角形に並べられた宝石の一番上の空いた棚に、ひと際大きな字で、空色光玉と書かれているのを見つけてしまったからだ。
空色光玉、それが女王のもの、つまりサンクトレイカの国の宝であることは、さすがの彼も知っている。
「姉さん」
掠れた声で彼が言う。
「なんだい」
「姉さんは、盗まれたものを取り戻す、といった」
「そうさ」
少年は、多くを聞かず、核心のひとことで真実を知りたいと願って、ひと呼吸おいて回りくどい尋ね方をした。
「つまり、姉さんは空色光玉の正当な持ち主なのかい」
「そうさ」
その内容の重さに比べて、あまりにそっけない返事だった。
「わかった」
それに対する少年の返事も簡潔だ。
「事情は聞かないのかい」
「姉さんは綺麗で俺たちは家族だ。それだけでいい」
「なんだい、あんた。子供のくせにうまいこというじゃないか。大きくなったらきっといい男になるよ――わかった。今はそうしとこう。一緒に暮らせばおいおい分かってくるだろうからね」
そう言って小さく笑うと、ふと思いついたようにつけ加えた。
「ひとつだけいっておくよ。あたしの名はマフェット・アスフェル。それは本当さ。これから死ぬまで、その名で生きていくんだからね。でも昔は違う名前で呼ばれていたこともある――」
美女は苦いものでも吐き出すように続ける。
「ユーフラシア・サンクトレイカ、と」