405.寝顔
「いうじゃないか。あたしの半分も生きちゃいないくせに」
「そう見えるか」
「だって、あんたは……いや、でも、どう見たってまだ30以下だろう」
自信なさげにそう言うと、ふぅ、とため息をついて、
「あんたに興味がわいてきたよ」
それに応えず、アキオは目を閉じた。
眠るふりをする。
寝れば必ずうなされるから、どうせ今夜も眠らないのだが――
はじめのうち、身を固くして膝を抱えていたマフェットも、時が経つにつれて、馬車の揺れと水に濡れた疲れからか、彼にもたれて寝息をたて出した。
メナム石に照らされて、年に似合わぬ、あどけない、といってよいような寝顔を見せている。
ふいに車内の明かりが消えた。
彼も、この任務で初めて知ったのだが、夜間は、走り出してしばらくたつと、軍の規定により御者の操作でメナム石が消されるのだ。
もっとも、食料を傷めないよう、外の冷気を取り入れるために、大きく切られた窓から月光が差し込んで車内はかなり明るかった。
窓に嵌った格子によって、月明かりにまだらに照らされる樽を見ながら、アキオは、ナノ・マシンとPS細胞の融合による身体補完について考え始めた。
どうせ眠らないのなら、その時間を有効に使おうと、ここ数日、馬車に揺られながら、思いついたアイデアを実現する方法を考え続けていたのだ。
個人的には、かなりよいところまで進んでいるという感触があった。
魔法によって生み出されるPS細胞をナノ・マシンで強化、増殖してやることで、身体の欠損部位を緊急再生させるシステムだ。
彼のナノ・マシンは、身体を損傷した場合、肉体の他の部位から材料を持ってきて修復を行っている。
そのため、欠損部分が大きいと材料が足りなくなって、身体全体に悪影響が出てしまうのだ。
ナノ・マシンは万能ではない。
その最たるものが、元素変換ができないことだ。
もし、炭素、窒素、酸素などの大気成分を変化させ、カルシウムや稀有元素あるいはチタンやタングステンなどの金属を生み出せるなら、事実上、無限の再生と強化が可能になる。
金属製の外骨格を、裸の身体に一瞬でまとわせることもできる。
もちろん、そんな魔法は存在しない。
宇宙の誕生と成長によって生み出された元素のしばりは、すこしばかりの知恵とエネルギーで変えられるほど甘くはないのだ。
だが、空気から金属は生み出せなくとも、PSからPS細胞は生み出せる。
もちろん、それは人の細胞とは、まったく異なるものだが、シミュラの例から考えても、かなり人の肉体と親和性が高いのは確かだ。
それを使って、一時的に身体を修復し、生命維持と戦闘続行を可能にする――
もちろん、PS細胞はヒトの細胞とは異なるために、心臓、肝臓、腎臓、膵臓などの重要臓器をそっくり補完することは難しい。
だが、欠損した臓器の一部を埋めたり、単純な構造の手足に対してなら充分代用することができるだろう。
WBが発するベルゾ波はベルゾスマによって防ぐことができるため、理論上は、ナノ・マシンの活動を阻害させずにPS細胞を扱うことが可能なはずだ。
つまり、魔法と紗法との融合を、彼は考えていたのだ。
気づくと、いつの間にか、眼を開けたマフェットが彼を見上げていた。
「真面目な顔をして何を考えてるんだい。あんた、寝ないのかい」
「眠れないんだ」
「おかしいね。あんたみたいな男が……まさか心配事があるんじゃないだろうね」
アキオはそれに答えず、
「君は、もっと寝たほうがいい」
「あんた、あたしの寝顔を見たんだね」
「見えたんだ」
「失敗したよ。今まで男には見せたことがなかったんだけどね」
そういって薄暗がりに笑顔を浮かべるマフェットは、ヌースクアムの少女たちと同じぐらい若く見える。
「男と暮らしたことはないのか」
「若いころは人を信じられなくてね。子供は作りたくなかったし……男と暮らしたら子供ができちまうだろ」
「そのようだな」
女が笑う。
「えらく他人事じゃないか。あんただって女ぐらい知ってるんだろ」
この質問は、シミュラ以来二回めだ。
「女は知らない」
アキオは同じ答えを返した。
マフェットはすこし黙り、
「男が好きなのかい」
アキオは首を横にふる。
それを見た彼女が、静かに言う。
「あんたが並みの男じゃないのは分かるさ。何か事情があるんだろう。ああ、あたしがあと30年若ければ、あんたの相手をしてやるんだけどねぇ。信じないだろうけど、若いころのあたしはすごく綺麗だったんだよ。国を傾けるほどにね」
「そうだろうな」
アキオがうなずく。
年をとってはいるが、彼女の顔の造作の比率は、ヌースクアムの少女たちと似ている。
つまり、美しいということだ。
再びマフェットは黙り、しばらくは馬車の走る音だけが車内に響いた。
「ひとりが好きなのかい」
「自分だけならどうにでもなる。それに俺は――」
その後の言葉は飲み込む。
先ほどのマーナガルとの戦いで、彼は再確認したのだった。
やはり、自分は、戦いの好きな殺戮機械で、ヌースクアムの優しい生き物たちにはふさわしくない、と。
「あたしもそう考えていたよ。ひとりがいい、ひとりでなきゃダメだって。でも、ある程度、歳をとると考えが変わってね。孤児を引き取って育てたのさ。でも、その子供たちにも寝顔を見せたことはなかったんだよ」
アキオの表情が緩む。
「笑ったね。妙なことにこだわると思ったんだろう。そうさ、昔から決めてたんだ。寝顔を見せるのは惚れた男だけってね。婆さんが何をいうか、って思うだろうけど」
「思わないさ」
「そういうと思ったよ」
女は笑う。
ユイノの時にも思ったが、実のところ、彼にとっては美醜同様、女性の老若も、あまり意味を為さない。
ナノ・マシンを使って自由に若返らせることができるからだ。
肉体改変など、彼にとっては粘土細工と同じだ。
だから男たちが、そしてその影響から女たちまでもが、見かけの若さを貴び、内に宿る精神をないがしろにするのを不思議に思うのだった。
若くして美しい精神をもつ少女もいれば、老いてさらに醜い心を持つ老人もいる。
若い肉体に老人の魂を持つものもいれば、老いて瑞々しい心を保つものもいる。
重要なのは、すべてを一律に捉えてはいけない、ということだ。
多様性を無くせば、あらゆるものは滅んでしまうのだから。
「夜も更けた。もう寝たほうがいい」
アキオに言われ、マフェットは優し気に微笑んだ。
「そう、そうだね。一度、見られてしまったら同じことだろうから」
そういって、遠慮がちに彼にもたれた。
眼を閉じる。
「アルト・バラッド」
眼を瞑ったまま彼女が言う。
「なんだ」
「毒を……飲まされたことはあるかい」
「――ないな」
あったかも知れないが、多少の毒なら強化された彼には効かなかっただろう。
いや、彼を強化し感情を奪った薬物こそ、ある意味、毒だったかもしれないが。
「あたしは15の時に飲まされてね。その時以来だよ、寝る時に、誰かが傍にいてくれるのは」
「そうか」
「アルト・バラッド」
「なんだ」
アキオは苦笑する。
マフェットは、彼をあんたかフルネームのどちらかでしか呼ばない。
「ありがとう」
そういうと、再び彼女は穏やかな寝息をたて始めた。