402.先行
叫んでいたのは魔法使だった。
マーナガルの火球へ自分の火球をぶつけて相殺させようとしているが、相手にする魔獣の数が多すぎて間に合わない。
充分に破壊力のある魔法球を作るには、少なくとも3秒はかかるのだ。
ヨスルなら0.1秒もかからず複数個を同時に発生させるのだが――
そう考えると、彼女の魔法が、いかに強度の点においても速さの点においても傑出していたかがわかる。
ヨスルの話では、通常は魔法使と剣士が1対のペアか、魔法使1人に剣士2人の、3人1組で戦うのが基本らしいが、チームである剣士の方も、襲い掛かる魔犬をさばくのに必死で連携攻撃ができていないようだ。
かろうじて魔獣の火球を打ち消した魔法使は、次の魔球を作ろうとして、眼前に牙だらけの口が飛びかかってくるのを見た。
「うわぁ」
魔法使は必死に魔獣を躱すと、理性の吹っ飛んだ表情で四つん這いになって地面を走る。
その背に複数のマーナガルが迫った。
「もうだめだ」
叫んだ途端に魔獣のうなり声が消える。
振り向いた彼の眼に、頭のないマーナガルが3体、転がっているのが映った。
ぎゃん。
チームを組む剣士に飛びかかろうとしていいた2体が、空中でもんどりうって、不自然な体勢で地面に落ちる。
これも首から上が消えていた。
「いったい、なにが……」
「バカ野郎、はやく密集隊形をとれ」
剣士に怒鳴られて我に返った魔法使は、彼に走り寄り、背中合わせになって警戒する。
その時、
「全員、3号馬車前に集まって、密集陣形をとれ」
風に乗ってシンガー軍曹の声が聞こえてきた。
「行こう」
うなずき合って男たちが走りだす。
彼らを追おうとしていたマーナガル3体に、石のつぶてを放ったアキオは、潜んでいた物陰から身を起こすと夜空を見上げた。
今後の方針を考える。
見る限り、魔獣の動きは統制がとれている。
キィの話では、マーナガルは、基本的に群れのリーダーにしたがって行動するが、それはせいぜい10体程度までで、それ以上多くの魔獣が集まると、強く頭の良いボス犬が、群れ全体を束ねて指示を出すらしい。
今回の状況はそれだろう。
つまり、そいつを見つけ出して倒せば、襲撃は終わるはずだ。
いま、魔獣の急襲に慌ててバラバラに戦っていた兵士たちも、シンガーの指示で集まって戦いだしたようだ。
この状況なら、彼がここを離れても大丈夫だろう。
アキオは、剣に偽装した噴射杖をひと振りして伸ばすと、数歩助走して空高くにジャンプした。
空中でコートの色を漆黒に変え、そのまま杖に足を駆けて空に飛び立つ。
一瞬だけジェットをふかして地上150メートルほどの高さまで上がると、杖をたたみ、ナノ・コートをフライング・スーツモードに変えて無音で滑空し始めた。
暗視能力を高めた眼で地上を見る。
河原から300メートルほど離れた森林地帯にマーナガルの群れがいるのが見えた。
そこから、数十体単位で河原に向けて移動している。
アキオは向きを変え、森に向けて滑るように夜空を飛んでいく。
満月ではあるが、漆黒のコートと音を立てぬ滑空モードのおかげで、魔犬も彼には気づかない。
アキオは、森林の手前でフライング・スーツモードを解除し、空中で数回転して着地した。
ススキに似た植物の穂が揺れる。
付近にいた30体近いマーナガルたちは、突然現れた彼に驚くが、すぐに唸りを上げて、雷球と火球を発生し始めた。
アキオは待たなかった。
加速を使わず、魔犬たちに見える速さで動いて、火球を生み出しつつあるマーナガルの顔を殴りつける。
鳴き声もあげず即死した魔獣は、コマのように回転しながら5メートルほど飛んで樹に激突し、平たくなった。
続けて、素晴らしい速さで飛びかかってくる10体ばかりの集団を、握った拳で地面に叩きつけ、膝で蹴り上げ、肘で弾き、裏拳で殴り飛ばし、手刀で胴体を切断する。
ここ数日、馬車に揺られてばかりだった体には、なかなかよい運動だ。
もともと、彼は戦うことに特化された強化兵士なのだ。
リズムよく動かすことで、身体より気持ちが温まってくる。
背後から飛んで来た複数の雷球を、噴射杖を避雷器代わりに使って消滅させた。
カマラによって改良の加えられたナノ・コートなら、雷球程度の電撃は簡単に接地してしまえるが、杖で受ければ、シジマ考案の蓄電機能によって、吸収した電撃を逆に放出することも可能な仕様になっているのだ。
アキオは、飛んで来た大きな火球を杖で切り裂いた。
本来ならP336で撃てば良いのだが、今回は想定される敵が人間であった上に、隠密行動なので、派手な音を立てる銃は持ってきていないのだ。
植物をかき分けて走ったアキオは、手前にいたマーナガルに近づいた。
杖を当てて側面のスイッチを押すと、一瞬、魔犬が青白く光って黒焦げになる。
さっき吸い取った電撃を戻してやったのだが、自分たちで作りだしたものであっても、魔犬たちは深刻なダメージを受けるようだ。
さらに飛び来る雷球を連続で吸収し、火球を叩き切りながらアキオは森の中に入っていく。
時折、飛びかかってくる魔犬は、流れるような体さばきで、殴り、蹴り、電撃を与えて始末した。
殺すのは可哀そう、という憐憫は、彼にはない。
殺意を持って襲ってくる者はすべて敵、敵は殲滅するのが彼の基本姿勢だからだ。
少女たちがいれば、保護者として彼女たちへの影響を考慮し、鏖は避けるのだが、今、彼は単独だ。
よって敵は排除されねばならない。
あまり大量に殺し過ぎて、生態系に影響を与えてはいけないが、マーナガルが1000体程度いなくなっても大陸に影響はでないだろう。
つまり魔犬たちにとってみれば、彼に少女たちが寄り添っていなかったことが最大の不幸だった。
彼が通ったあとには、累々たるマーナガルの死体だけが残されていく。
まるで、ホイシュレッケや、マラブンタが通ったあとのような惨状だ。
彼に遅いかかる魔犬の数が減ってきた。
どうやら、密かに期待していた効果が表れたようだ。
敵を殺すことに禁忌感も後悔もないが、彼としても、特に生き物を殺すことが楽しいわけではない。
闘うこと自体は好きではあるが――
要するに襲ってこなければ、つまり敵でなければ殺す必要もないのだ。
魔犬たちに、彼が手に負えない恐ろしい生き物だと理解させれば、恐怖が先に立って闇雲に襲ってくることはなくなるはず――そう考えて、彼は眼に見える速度で、少々乱暴にマーナガルを倒し続けたのだった。
それに、また――
彼がここに来て暴れたことで、この森から河原にマーナガルが流れることはなくなったはずだ。
補充さえなければ、シックルやボルズで残りのマーナガルは何とかするだろう。
魔犬の攻撃が止み、アキオは杖をたたんでコートにしまった。
公園の遊歩道でも歩くように森の中を進んでいく。
マーナガルたちは、遠巻きに彼をとり囲むだけだ。
森が開けると、目の前に、月に照らされた大きな広場があった。
魔犬の集会所だろう。
円を囲むように数多くの魔犬が集まり、その中央に、巨大なマーナガルが座っていた。
通常の魔犬のおよそ5倍のサイズだ。
おそらく、こいつが群れを支配する王だ。
アキオを見てマーナガル・キングが吠えた。
腹に響く重低音だ。
彼を睨みつける。
その眼は、すでに死体を見ている目だった。
自分が負けることなど考えてもいないのだろう。
さらに叫ぼうとするキングへ向かって、アキオは加速して飛び上がった。
軽く頬骨を張り飛ばすと、巨犬は横倒しになって数回転した。
「静かにしろ」
倒れたまま、何が起こったか理解できていない魔犬王にアキオが言う。