040.乱闘
突然わっと泣き声がした。
道端に子供が倒れている。
その前には、軍人らしい集団が立っていて、怒鳴り声を上げていた。
どうやら、子供が兵隊にぶつかり、それに怒った男たちが倒れた子供を蹴り飛ばしたようだった。
いま、軍人たちの怒りは少年に駆け寄ろうとした母親に向かっていた。
まだ二十代前半らしい母親は美しかった。
暴力に飢えた男たちは格好の獲物を見つけたわけだ。
兵士たちが母親を捕まえ、1人の男が子供を再び蹴ろうとしている。
周りの人間は、ハラハラした様子を見せているが、荒くれた兵隊たちを止める勇気はなさそうだ。
アキオはチラリとそれを見て、興味なさそうに視線をそらした。
軍隊のいる場所ではよくある話だ。
とりあえず、刺激の強い光景を見せないように、彼はシアの手を引いてその場を離れようとした、が――
「いけません!」
アキオの手を振り切って、少女公爵は兵隊たちに向かって走り――
今、まさに蹴られようとした子供に覆いかぶさった。
人々は、突然現れた美しい生き物が、男の乱暴な脚に蹴られるのを見て悲鳴を上げる。
次の瞬間、彼らは、兵士の足がいつの間にか現れた男の手によって止められているのを目撃した。
黒髪黒服のその男は、手にした足をつまらないものを捨てるようにぽんと跳ね上げ、少女と子供を立たせた。
兵士は派手に尻もちをつく。
少年が母のもとに走り去ると、
「アキオ!」
少女が男の胸に飛び込んで頬をすり寄せる。
男たちは、肌を惜しげもなくさらした少女と、その美少女に全力で抱きつかれている男をしばらく茫然と眺めていたが、すぐに二人を取り囲んだ。
少年の母親を捕まえていた男たちも女性を放り出してやってくる。
「おい、お前はなんだ。黒い髪に黒い服――怪しい奴だ。なぜ邪魔をしやがる」
「さあ――」
男、アキオが困った顔をする。彼にもなぜこうなったかわからない。おそらく、シアが飛び出したからだろう――
「興をそいですまない」
「アキオ。謝る必要はありません。この人たちがいけないのです」
少女公爵がアキオの胸に頬を当てながら舌足らずな口調で傲然と言い放った。
「なんだ、お前?その裸同然の格好は――娼婦か」
兵士の言葉にアキオの悪戯心が動く。
「シア」
アキオは胸に顔をうずめる少女に言った。
「君は娼婦か?」
「しょう……」
少女公爵は顔を上げ、眉を潜めて少し考えて――
「そう娼婦――わたしは娼婦。大好きな殿方と夜をともにする遊び女」
やはりシアは変わっている。
自分の思いついた考えと、兵士にそう見られたのがよほど嬉しかったのか、アキオから離れると女公爵はくるりと回って、未だ彼が目にしたことがないような優雅なカーテシィを見せた。
片足を引き、膝を軽く曲げてミニスカートの裾を引っ張って持ち上げる。頭を深々と下げる。
「下着が見えている」
アキオがいうと、
「見せています」
少女は既視感あふれる返事を返す。
美少女の振る舞いに、バカにされていると感じたのか、兵士のリーダー格の男が怒鳴りだした。
「陛下の剣たる我らを愚弄するか」
「違います」
少女が凛とした声で答える。
「あの方の剣は、あなたほど汚れていません」
「お、おのれ……」
男が背後の兵士たちに叫ぶ。
「捕まえろ!」
男たちは、河を背にするアキオたちを扇形に取り囲んだ。
服装や振る舞いから、男たちは水兵ではなく、船で移送される歩兵のようだった。
数はざっと見るところ、4個小隊、いわゆる1中隊200人程度の人数だ。
もちろん、軍の規模把握は、地球でのアキオの知識によるものなので、この世界の組織とは違うだろうが、数はだいたい正確なはずだ。
さすがにライフルは持ってきていないが、アキオの足にはP336がある。
キイの短剣と合わせて使えば、殺してさえよければ20分とかからず沈黙させることができるだろう。
だが、せっかくの少女の楽しい一日を、血で汚したくない。
いつの間にか人並みの考えになった自分に自嘲しながら、アキオは少女をぽんと背後に押しやって前に走り出た。
男たちに一斉にかかってこられると、少女に害が及ぶかもしれないので、自分から前に出たのだ。
敵戦力は大したことはない。
問題はどの程度の被害を与えるべきか、だ。
彼らの武器は、ほぼ剣のみだ。あとは弓。後になって槍が出てくるかもしれないが――
街中なので魔法の心配はない。
とりあえず、前の男から順に始末する。
斬りかかる剣の握りを拳で弾き、顎の先を優しく叩いて、脳を揺らし脳震盪を起こさせる。
あるいは、剣の腹を平手でたたいて折る。
血抜き溝が深く多く彫られた彼らの刀身は、予想以上に簡単に折ることができた。
相手が人間なので、身体強化は使っていない。
たちまちアキオの足元に気絶した歩兵の山が築かれ始める。
数人ずつ襲い来る兵士を、小刻みにステップを踏みながら、全体としては大きく左に移動しつつ殴っていくので、効率がいい。
初めは、前方の兵だけとの戦いだったが、何が起こっているか気づいた他の歩兵たちが、軒並み彼に向かって押しかけ始めた。
ついに彼に向かって鋭い風切り音が近づき始める。
矢が射かけられたのだ。
アキオは、滑らかな動きでコートの下の避雷器改を手にした。
一振りして伸ばすと、それを用いて跳んでくる矢を叩き落していく。
矢じりをたたくようにしているので、キンキンと金属音が姦しい。
さらに弓兵が増員されたのか、飛んでくる矢が倍増した。
やがてその攻撃が断続的になる。
弓矢の攻撃が収まると、増員された歩兵の攻撃があり、それが一段落すると、弓矢の攻撃があるという波状攻撃が始まったのだ。
1個中隊の数の力の成せる業だ。
大して運動もしていないので、それほど疲れはしないが、アキオはだんだん対処に飽きてきた。
突然、ロープが風を切るような音がしてアキオは足を取られた。
倒れながら足元を見ると、紐の両端に金属球をつけたボーラに足を絡めとられている。
銃主体の近代戦では見たことがない武器だ。
もともとは狩りで獲物を傷つけずに捕まえるための道具だが、この世界この時代では、手に負えない人間に対しても使うのだろう。
アキオは、腕のシースから短剣を抜いた。
鉄球をつないだ紐を切る。
その間に、兵士たちが頭上から斬りかかった。
傷つくのを覚悟して腕でそれを防ぐ。
少々斬られても、ナノ・マシンで直ちに回復されるはずだし、ナノ・コートは電撃以外には耐久性がある。
しかし、兵士たちの剣が腕に届く前に、彼らは急に力が抜けたように前に倒れた。
昨夜も見た光景だ。
「なぜ助ける?放っておけば俺は死ぬかもしれないのに――ピアノ」
返事はない。かわりに今までと違った殺気が生まれ、アキオは飛び起きながら素早く避雷器を動かした。
キン、という涼やかな音が鳴って、銀針が地面に転がる。
同時に彼に斬りつけようとする男たちの中に、突然気を失い転がるものも出てくる。
遠巻きに彼を狙う弓兵も倒れていく。
「俺はいいが、兵隊たちに毒を使うな」
いつの間にかアキオの背後に立っている灰色のフードの少女に声をかける。
「あなたの命令は受けないわ。わたしの勝手よ」
少女は言い、兵士に投げる銀針の5本に1本はアキオに向けて投げてくる。
「こんなところで、あなたを殺させるわけにはいかない。殺せる機会があれば、わたしが殺す!」
それ以降、アキオと少女の奇妙な共闘は続き、動ける敵兵が半数以下になったとき、
「そろそろ針が尽きるわ」
そういって、ピアノが丸い塊を足元に投げた。
激しい破裂音と共に光がはじけ、煙が巻き起こる。
アキオは身体強化して、河沿いの柵にもたれて彼の戦いを見ていた女公爵へと走り、そのまま横抱えして脱出した。
「今日はいい運動をした――」
テルベ河から離れ、公爵邸の近く、門が見えるあたりまで来ると少女を降ろしてアキオは言った。
時刻はそろそろ日暮れ時だ。
ぎゅっとアキオの首に抱きついていた女公爵は、地面に降り立つともう一度くるりと回って、可愛くカーテシィをする。
「今日はありがとうございました。礼を言います」
少女の口調は相変わらず、ほわんとしたものだが、貴族の言葉遣いに戻っている。
言った後で美少女の顔が笑顔に崩れた。
「でも、でも、本当に楽しかった。あなたはこれを取ってくださって……」
そういって、少女は髪留めに触れる。
「あの虹も艦隊もきれいでしたけど――なにより、わたしを助けようとして、弓と剣の武装兵士200人と闘うなんて……信じられません。まるで英雄のようでした」
「生きてると面白いものも見られる」
「本当ですね!」
少女は再び、憧憬を込めた眼差しでアキオを見上げる。
アキオはその視線を断ち切って、
「君の髪の色をもとに戻す」
アーム・バンドを操作した。
少女公爵の髪色が桜色に戻る。
「これを」
思い出して、アキオはポーチから小さな長方形の箱を取り出した。
シアに渡す。
「ザルスの二人からの贈り物だ。着替えの近くに置かれていた」
「ああ」
少女公爵はため息をつくような声をあげ、箱を抱きしめた。よほど大切なものなのだろう。
「ありがとう、アキオどの。これは――」
「乙女の秘密、だろう。大事にしまっておけ」
シアはとけそうな笑顔を見せる。
「本当に……今日の一日はよい思い出となりました。アキオどの――英雄さま」
そういって、少女は膝をつき、アキオの手に口づけた。
貴族、特に公爵が平民に対して絶対にしない行為だ。
「今日は死ぬまでにやりたかったこと3つのうち、2つまで叶えることができました」
「やりたいこと?」
「ひとつは、愛しい人につまらないお願いをして、それを全力で叶えてもらうこと」
そういって髪飾りに触れる。
「ふたつめは、愛しい人に抱きしめてもらうこと――あの雨の、暖かいコートの中のように」
「愛しいのはともかく、昨日の夜から君は俺に抱きついていただろう?」
アキオが首をかしげる。
「あれは、わたしが抱きしめていたのです。抱きしめられたのではありません」
「そうなのか」
「そうなのです」
そういって、少女はアキオを見る。
「アキオ・シュッツェ・ラミリス・モラミスさま。グレーシア・サラヴァツキーは、全霊をこめてあなたに感謝いたします」
そういって、少女公爵は背伸びしてアキオの首に抱きつき、唇を合わせる。
避けようとすればできたが、あえて彼は動かなかった。
これで、シアと会うのも最後だろう。
それならば、彼女のやりたいようにさせてやればいい、そう思ったのだ。
長い口づけがおわり、目を閉じたまま彼女がつぶやく。
「ありがとう、アキオ。これが3つめのやりたいこと、でした」
そういって、ゆっくりと目を開け、彼を見つめる。
「殿方とこうしたのも初めてです。わたしの初めては全部アキオからいただきました」
「悪い思い出でなければいいが――」
「いいえ、いいえ――素晴らしい記憶です。おそらく、わたしは死ぬまで今日の日を忘れないでしょう」
そういって、もう一度、軽くアキオに口づけし、少女公爵は門へと走り去る。
邸宅に近づくと、彼女は、門からあふれ出た多くの兵士と黒服の男たちに囲まれた。
アキオはそれを見届けると少女に背を向け、ゆっくりと歩き出し――足元に落ちた黄色い花を見つけた。
シアが胸に入れていたラスの花だ。
アキオは花を拾い、その香りをかぐとコートの胸ポケットに挿した。
沈みゆく夕陽を見る。
今から馬車で出発すれば、ダンクと契約した期日ちょうどにシュテラ・ザルスに戻れるだろう。