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004.移譲

 今度は、前から抱き着いて首筋に頭をこすりつけている少女の髪を撫でながら、アキオはさらに考える。


 髪の色からして、彼女はこの世界の人間なのだろう。

 地球では、生まれついたままの『あい色の髪の乙女』は存在しない。


 この洞窟で、原始的な生活をしているが、先ほど台所キッチンで見た食材、使っているランタンの細工や彼女の着ている服などから、ここ以外の場所に、より高度な文明を持つ集落が存在するはずだった。

 なぜ彼女がこんな僻地へきちで世捨て人同然の生活をしているかは不明だ。

 また、食料を届ける者たちが彼女を放置している理由もわからない。


 アキオは、少女が太ももに付けている革製のシースからナイフがのぞいているのを見つけ、声をかけてから手に取ってみる。


 やはり――

 ナイフのブレードには文字らしき刻印(こくいん)(ほどこ)してある。

 この世界には文字が存在するのだ。

 当然、言語もあるだろう。

 ならば、なぜ彼女は言葉を話せないのだ。


 わざわざ食料を運び与えながら人間の生活から切り離し、ほぼ4本足であるく獣のような生活をさせているのが謎だった。

 犯罪者を、氷の地へ流刑(るけい)にしているのならわかるが、少女に犯罪を犯すだけの知性があるとは思えない。

 凶暴性もなさそうだ。


 アキオはゆっくりと首を振った。

 いま重要なのは彼女の事情ではない。


 地球ではない、この世界を知るために、彼女がどれほどヒトに近いかを調べる必要があるのだ。

 ジーナで検査すれば詳細がわかるだろうが――


 アキオは、少女を見る。

 今の状態の彼女をジーナまで連れ帰ることは難しいし、昨日の獣のような猛獣に出くわす危険もある。

 一度戦って、相手の戦闘能力は把握(はあく)したので、負けることはないだろうが、どう行くか分からない少女を連れていれば話は別だ。


 なにより、()()()()()()()少女を(だま)すようにジーナに連れ去ることに抵抗があった。

 行くなら彼女自身が決断すべきだ。


 だが、そのためには――

 アキオは、膝の上に乗ってしっかりと体に抱き着く少女を、持ち上げて引き離すと彼の前におろした。


 自分を指さして言う。

「アキオ」

 少女を指さして、

「カマラ」

 ()()()()()の名を与える。

 名前がないと意思疎通がしにくいからだ。

 地球において、狼少女として有名な女性の名だが、便宜上(べんぎじょう)使うだけのものなので許してもらうことにする。

 それまで何度か、彼女の名を尋ねたが、(かんば)しい答えが帰ってこなかったために、勝手に命名することにしたのだ。


 何度か繰り返すと、少女は理解したようだった。

 名前を決めたのには理由がある。

 これから行うことに、彼女自身の承諾(しょうだく)が欲しかったからだ。

 おそらく理解はできないだろう。

 だが、説明だけはしておきたい。


 戦時であれば、無理やり連れ去っていただろう。

 だが、今のところ、アキオは戦闘状態にはない。

 だから丁寧に説明をしたかった。

 少女にとってみれば、この洞窟は、貧しいながらも穏やかな馴染(なじ)みの場所に違いないのだから――


「カマラ、これから君にナノ・マシンを投与する。君の体を調べ、できるなら君と話せるようになりたいからだ」

 少女は真剣に彼を見て、ゆっくりうなずいた。

 言葉の内容ではなく、アキオの真剣な表情に(こた)えたのだろう。

「君は話せるようになりたいか」

 今度もカマラはうなずいた。

「わかった」

 こうして少女の承諾(しょうだく)は得た。

 だが――これは卑怯(ひきょう)なやり方だ。

 アキオはわずかに眉を(ひそ)める。

 そしてカマラの頭を撫でた。

 

 ナノ・マシンで検査し、可能な限り彼女の認知(にんち)能力を向上させるためには、カマラの体内にナノ・マシンをいれなければならない。

 つまりアキオの血を飲ませる必要がある。


 彼は、カマラから借りているナイフを右手に持つと、自分の左腕に傷をつけようとしたが――

 これまでの様子から、彼女が()()()()()()()に等しく、影響を受けやすい状態であることに思い至って手を止めた。

 ()り込みによって、今後、腕から流れる血を見るたびに、何らかの反応をすることを恐れたのだ。


 しばらく考えた後で、下唇の中ほどにナイフを走らせる。

 そのままカマラを引き寄せて、少女に口づけした。

 嫌がるかと思ったが、カマラはなすがままだった。


 唇が触れた時は、さすがに驚いたように目を見開いたが、すぐに目を閉じてアキオの唇を吸い始める。

 これならば、あからさまな吸血行為ではなく、単なる親愛の行為としてごまかせるかもしれない。


 カマラが受け取ったナノ・マシンは、ただちに彼女の食道および胃壁から体内へ吸収されるはずだ。

 しばらくして、充分な量のナノ・マシンを与えたことを確認してから、アキオは唇を離そうしたが、少女は顔を寄せて離れようとはしなかった。

 うっとりとした表情で、舌まで入れようとしてくる。

 唇の傷は、ナノ・マシンの治癒効果でとうにふさがっていた。


 アキオは、カマラの頭をポンポンして顔を離させる。


 ようやく彼から離れたカマラの頬は、心なしか赤らんでいるように見えた。


 失敗だったか――


 その様子を見てアキオは思うが、

「終了だ、カマラ」

 顔には出さずにそう言った。


 研究所に(こも)るより前、長らく兵士として戦い続けてきた彼は、子供、特に幼児の扱いが苦手だった。

 少年兵として最前線で戦ってきた彼自身には、幼年期(キンタイト)さえなかったのだ。


 アキオはカマラを見た。

 彼女は、ペタンと床に座り込んで茫然(ぼうぜん)としている。


 あまり離れると、アーム・バンドがカマラの体内のナノ・マシンの情報を受信できないので、彼は少女を横に座らせた。


 バンドのディスプレイ情報を見ていると、カマラが徐々(じょじょ)にもたれてくる。

 彼が見ると、さっと身を起こすが、しばらくするとまた倒れ始める。

 何度かそんなことを繰り返した結果、胡坐(あぐら)をかいた彼が、膝枕(ひざまくら)をして横にならせることにした。


 ディスプレイに表示される、大まかな情報は――

 ここが他世界であることから考えれば、彼女の身体構造は驚くほどアキオの体に似ていた。

 数値を見ても、極端な違いは見当たらない。


 つまり地球人を基準として、カマラに対応しても問題ないということだ。

 何かあっても、対処はできるはずだ。


 カマラの体全体の健康状況は、(おおむ)ね良好だった。

 食生活の不規則さからか、多少栄養不足になっているが問題はなさそうだ。


 次に脳を調べる。

 彼女の脳に物理的な損傷(そんしょう)はなかった。

 脳内物質つまり、各神経伝達(でんたつ)物質、脳内麻薬物質の分泌(ぶんぴつ)も問題はない。


 小脳はすばらしく発達していた。

 アキオはカマラと怪物の戦いを思い出す。

 それが彼女の身体能力の高さの理由のひとつだろう。

 だが、海馬や前頭葉の発達が著しく遅れている。

 言語野も未発達だ。

 つまり――彼女は、人との触れ合いを極端に減らされ、言語教育をはじめ、多くの教育を与えられずに育ったということだ。

 いみじくも、名前をもらった狼少女と似た境遇(きょうぐう)だったというわけだ。

 例の怪物の件もあるので、ケガなどによって、記憶喪失や言語消失が引き起こされているのかと思ったが、そうではなさそうだった。


 彼の膝の上で安心したのか、丸くなって眠るカマラの穏やかな寝顔をアキオは見つめる。

 ナノ・マシンを用いて彼女の脳の状態を幼少期に戻し、記憶野(きおくや)を活性化させて濃縮(のうしゅく)した知識を送り込んで普通フツウの成人にすることはできるだろう。


 とりあえずカマラの承諾(しょうだく)は得てあるし、技術的には()()()難しいことはない。


 目的は違えど、世界最高のナノ・マシン工学者アキオ・シュッツェ・ラミリス・モラミスは、マシンを用いた脳の研究に人の()()()()()()の人生をつぎ込んできたのだから。


 だが、この猫のように穏やかに眠る生き物に、彼の勝手な都合で()()を見せて良いものだろうか?

 彼女は、この()()()()()()で満足して穏やかに暮らしているのだ。

 

 『世界』は残酷(ざんこく)で人生は悲劇の連続だ。

 心は涙の海であふれ、得るものより失うものの方が(はる)かに多い。

 手を伸ばしても届かず、触れたら崩れ去る――


 静かな寝息を立てて眠る少女は、世界など知らず、この閉じた完全な世界パーフェクト・ワールドで生きるべきではないのか。


〈いいえアキオ、世界はこんなにも美しいわ〉

 突然、彼の耳元で声がした。

 あたりを見るが誰もいない。


 アキオは、壁に立てかけたコフを見る。


 広い世界で生きたから、わたしはあなたに会えた――


 今度は()()の声が、はっきりと脳裏に(よみがえ)る。


 アキオは、再びコフを見た。

 そして頭を振って幻聴(げんちょう)を振り払う。


 アーム・ディスプレイを自分に切り替えて、幻聴の原因を調べるが何も発見できない。


 いつものことだ。


 しばらく身じろぎもせず虚空を見つめていたアキオは、カマラの頬を撫で、ナノ・マシンのプログラムを開始するのだった。

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