399.傷痕
「おせぇんだよ」
アキオが戻ると、ボルズが彼を殴りつけてきた。
無茶な話だが、軍隊ではよくあることだ。
傭兵部隊では個人の戦闘能力が尊重され判断材料となるが、国軍では階級と、彼にはよくわからない、それまでに培った人間関係によって扱いが決まる。
よって、新兵には、どちらが上かを示すための、いじめまがいの洗礼が行われることが多い。
面倒なことだ。
すくなくとも、彼にとっては何の意味もないことだ。
そのまま受けてもいいが、そうすると相手が手首を折ることになる。
手で払ったら、骨がバラバラになってしまうだろう。
仕方なく、かれは上半身を軽くスウェイさせてボルスの拳を回避した。
戦いなれた兵士だけあって、身体が泳ぐことから免れたボルズは、続いて蹴りを放ってきた。
腰の回った良い攻撃だ。
だが――軽くバックステップしてそれも回避したアキオは疑問に思う。
初めのパンチはともかく、今の蹴りは、普通の人間なら当たれば怪我をする威力を秘めていた。
新兵への手荒い歓迎というには激しすぎるような気がする。
やはり、何か理由があるのだろうか。
さらに続いた攻撃をすべてかわすと、デッカーと呼ばれた男がボルスを後ろから羽交い絞めして止めてくれた。
「いい加減にしろ、ボルズ。酔ってるのか」
「酔っちゃいない。俺はただ、こんな得体のしれない奴と任務につくのが嫌なだけだ」
「わかった、わかった、おい、バラッド、小隊長が探していたぞ、早く会って来い」
アキオは踵を返し、先頭の馬車の横で、板に挟んだ行程表を確認している男の許へ歩いた。
さっき集合場所の中心にいたことと、階級章が中尉であることから、この男が護衛隊の指揮者であることはまちがいないだろう。
アキオは、彼の前で、指二本を使うサンクトレイカ軍特有の敬礼を行った。
久しぶりに行う敬礼だ。
長らく兵士であった彼は、挨拶を交わす時、命令を受諾する時、友軍が死んだ時、別れの時、様々な場面で何万回も敬礼を繰り返してきた。
幼いころから軍隊生活しか知らなかった彼は、敬礼を行わない一般人が、どのように人と会い、挨拶し、永別しているのか想像できなかった。
だが、少女たちと出会い、旅をし、暮らすうちに、人々が表情や軽いうなずき、笑顔など、様々な優しい表現でそれらを行っていることを知ったのだ。
中尉は、きれいな形で答礼すると、彼を馬車の後ろに連れて行った。
「わたしの名はカーロンです。アキオさま」
彼はうなずく。
指揮官には、ある程度の事情を話すとノランは言っていた。
「アルトだ」
「はい、あなたのことは国王陛下と宰相さまからうかがっています。新兵として扱えとのことですが――」
「それでいい」
「さきほど、ボルズが何か非礼を働いているようにみえましたが」
「何でもない」
そう言ってから、思いついたように続ける。
「が、乗り込む馬車は別にしてくれ」
あまり絡まれて、不可抗力で怪我をさせてもまずいだろう。
「わかりました。あ、あなたのことを知っているのはわたしだけです。副官のシンガー軍曹も知りませんのでご安心を」
「了解だ」
ノランたちの話だと、あまりに警護が手薄な隊商のみが狙われるため、商人、あるいは護衛兵の中に敵と通じた者がいる可能性も否めないとのことだった。
その調査も含めてアキオが出向いてきたのだ。
それには彼の身分は知られない方がいい。
アキオは馬車の陰から出て、もとの集合場所に戻った。
ほどなくカーロンがやってくる。
シンガー軍曹が兵隊たちを6人5列に整列させた。
中尉が、今回の任務について、皆に再確認を行う。
「よし、解散。0:25に出発する。もうあまり時間がないから、すぐに荷物を持って、割り当てられた馬車に乗れ」
説明を終えた中尉を敬礼で見送ると、男たちは、三々五々に荷物を持って、列ごとに分けられた馬車に乗り込み始めた。
アキオも、シェリルから渡された軍配給の背嚢を担いで馬車に乗った。
剣を、鞘ごと抜いて肩に抱いて座る。
形状は剣だが、中身は噴射杖だ。
音色豊かなベルが鳴り響くと、馬車が動き出した。
サンクトレイカ軍は、軍の合図にハンドベルのような楽器を使うようだ。
車内は、メナム石によって照らされていたが、ガラスの嵌らない小さな窓しか開けられていないため、景色をみることはできない。
アキオは眼を閉じる。
先進的なヌースクアムの馬車と違い、振動も揺れもひどいが、その乗り心地の悪さが、傭兵時代のT地帯の悪路を思い出させ、彼を郷愁にさそった。
揺れに身を任せたアキオは、残してきた少女たちのことを考える。
今夜は、ノランが与えてくれた、城の最上階に近い客間の大きなベッドで全員一緒に寝たのだった。
サフランは城にやってこなかったため、アキオを中心に、左にヨスル、シジマ、右にミストラが横になる。
彼は、1時間後に目が覚めるようにナノ・マシンにコマンドを与えて眠りに落ちた。
本当に寝ないと、少女たちに怪しまれてしまうからだ。
最初から、彼女たちには何も言わずに出るつもりだった。
計画を知ったら、全員がついて来るというのはわかっている。
だが、彼女たちをつれて正規軍にもぐりこむことはできないし、なにより、もう誰もミストラのように危険な目に合わせたくはなかった。
自分の身一つなら、何とでもなる。
習い性で、白鳥号に戻った時に、銃弾とカプセルの補給はしてあり、出かける用意も整っている――
予定通りに眼を覚ますと、いつものように少女まみれになっていた。
左右の腕をシジマとミストラに押さえられ、意外にもヨスルが胸の上に乗って両手で彼の頭を抱いて、頬寄せ寝ている。
アキオは、左右のふたりによって、きつく胸に抱きしめられた両手を抜き、優しくヨスルを持ち上げるとベッドにおろした。
床におりると三人にシーツをかける。
彼女たちが目を覚ます心配はない。
自分が覚醒するのとほぼ同時に、ナノ・マシンによって、少女たちの眠りを深くするように、あらかじめ設定しておいたからだ。
アキオは、ヨスル、シジマ、ミストラの頬に手を触れ、髪を撫でて、一方的に別れの挨拶をし、部屋を後にした。
「なあ、あんた」
声が掛けられ、アキオは目を開ける。
隣に座った男が彼を見ていた。
見たところ、30半ば――いや40歳ばかりの壮年の兵士だ。
身体はそれほど大きくはないが、目の上、頬の横、顎の上についたものものしい傷と、それに反した穏やかな目の光が、歴戦の兵士であることを物語っている。
アキオが自分を見たことに気づくと、男は続けた。
「さっき、ボルズにからまれてたな。気にしないでやってくれ。もともとあいつは、ああいう奴だし――特に今夜は機嫌が悪い」
そう言って、男は低く笑い、
「ボルズは、昨日、馴染みの女に家を追い出されたんだ。頭にきているところへ、夕方、あんたが綺麗な女の子たちと馬車でやってくるところを見ちまったらしい。それで勝手に腹を立てているんだ」
アキオはうなずく。
これで、ひとつ疑問が減った。
「ああ、失礼。俺はシックル」
名乗りながら、男が手を差し出す。
これも傷だらけだ。
いくつもの戦場、修羅場を経験してきた者特有の、枯れて寂しく穏やかな眼が彼を見つめる。
兵士として信用できる眼だ。
「アルト、アルト・バラッドだ」
アキオは男の手を握った。
「あいつを壊さないでくれてありがとう。礼をいう」
声に出さずに口だけ動かしてシックルが言った。
「何のことだ」
アキオも同様に答える。
「さっきのじゃれ合いで、あんたがとんでもなく強いのは分かる」
危うい感じで、ギリギリで躱すように動いたはずなのだが、シックルにはバレていたようだ。
「理由はいえないが、黙っていてもらえると助かる」
「いわないさ」
顔中、傷だらけの男は笑顔になった。