398.古詩
「西の国へ向かう隊商の護衛任務の者は集まってくれ」
かがり火の燃える城門前の広場に男の声が響く。
壁にもたれて、血のように赤い2つの月を見上げていたアキオは、ゆっくりと身体を起こすと、集まり始めた男たちの集団にまじって歩いていった。
髪の色は灰色に、瞳の色は緑色に変えている。
ケルビの引く大きな馬車が10台並んだ傍に、指揮官らしき男が立っている。
その前に集まった兵士たちは一個小隊、およそ30名だ。
アキオは一番後ろに立って、彼らの状態を確認した。
コートの着方、装備装着の慣れ方で、彼らの多くが歴戦の兵士であることがわかる。
「注意していただきたいことがあります」
打ち合わせを終えて小部屋を出る時、シェリルが申し訳なさそうに言った。
「今回の護衛任務は、国の威信をかけて山賊を退けるために、腕の立つ兵士を集めました。結果、その小隊は、くせ者ぞろいになってしまいました。下級士官として参加すれば、嫌な思いをすることになるかもしれません」
「それはいい。だが、ひとつ頼みがある」
「はい、なんでも」
「俺は黙って出るつもりだが、残していく彼女たちに伝えてくれ、すまない、と」
ドビニーたちの処置は、ミストラがうまくやってくれるだろう。
彼の背後を、違う隊商を護衛する兵士たちが通り過ぎていく。
シェリルの話では、王都近郊ではすっかり魔獣が姿をひそめたため、街道の混雑回避と経費節減で真夜中に出発する隊商が多いとのことだった。
「ですが、あなたが向かわれる辺境地域では、まだ魔獣が出ます。お気を――いえ、いらぬ気遣いですね」
少女はアキオの強さを思い出したのだろう。
相手が生き物である限り、彼に倒せないはずがないのだ。
魔獣が姿を見せなくなった理由は、まだはっきりとわかっていない。
だが、アルメデの追跡調査によると、人の多い場所からいなくなって荒野に移動している。
そこに、なにか意味があるのか偶然なのか――もちろん、彼は偶然を信じない。
「おい」
考えにふけっていたアキオは、自分が誰かに話しかけられていることに気づいた。
顔を上げる。
頭の禿げた大男が彼を睨んでいた。
「アルト・バラッド、お前、自分の名前を忘れたのか」
そう言われて彼は、自分の偽名を思い出した。
偶然にせよ、シェリルたちの用意した名前が、古い叙事詩とはでき過ぎている。
この国では、よくある名前なのだろう。
「おまえ、金鉱の護衛をしていた傭兵なんだってな。今回、有力貴族の後押して国軍に入隊したって聞いてるぜ」
アキオはうなずく。
設定されたアルト・バラッドの経歴はひととおり聞いていた。
魔法は使えない。
剣と体術は人並み。
結婚していて、シュテラ・ナマドに妻を置いて首都に出ていることになっている。
ひとり身の彼に、なぜそんな設定がなされたのかは理解不能だ。
何を言う、おぬしには10人以上妻がいるではないか、とシミュラなら言うだろうが――
「投石に弩で守られた金鉱の護衛は、さぞ楽だっただろう。ここじゃ、そんな楽はできねぇから、そのつもりでいな」
アキオは無表情に男の顔を見る。
内心では苦笑していた。
どこの世界でもある、新入りへの洗礼だ。
面倒なら、本来の力を見せつければいい、実力第一の兵士社会では、それだけでことは収まる。
しかし、彼は今、波風を立てたくなかった。
山賊が現われるまではおとなしくする計画なのだ。
「だんまりかよ」
男は吐き捨てるようにいい、
「新兵はお前だけだ、階級もお前が一番下だ。だから、皆の荷物を馬車に積み込め」
アキオは、馬車の傍に置かれた荷物を積み始めた。
「おいボルズ、あまり新兵をいじめるなよ」
「デッカー、お前たちとは前々回の任務で同じ隊だったから気心は知れてる。だが、こいつはよそ者だ。ナメられないように、ガツンといっておかないとな」
彼に聞こえるように、わざと大声を上げるボルズを無視して、アキオは荷物を積み終えた。
どうやら、理由はわからないが、ボルズは彼のことが気に入らないらしい。
いや、そもそも理由などないのかもしれない。
彼には理解できないが、人間には会ったとたんに好き嫌いが発生することが、ままあるのだ。
「おい、次は、隊商の荷物だ。商品は積み終わってるようだから、水や食料を積み込むのを手伝え」
アキオはうなずくと、隊列中ほどの商人の馬車に向かった。
数多く燃やされているかがり火に照らされて、広場は明るい。
その明かりの中で、薄緑の髪、碧い眼の小柄な少女が顔を赤くして、水の樽を運んでいた。
アキオは手を伸ばして、彼女から樽を取り上げた。
石畳に置かれた他の樽も、2つほど軽々と持って馬車に向かう。
「あ、何をするんですか、泥棒――って、こんなところで、水を盗むのもおかしいですね」
少女は自分で言って、笑う。
「手伝おう」
アキオの言葉と軍服で、彼が善意で荷運びを手伝ってくれることに気づいた少女が、彼を追いかけて言う。
「兵隊さんにそんなことはさせられません。それに、水を運ぶのはわたしの仕事です」
「上官に命じられたんだ」
アキオが応える。
実際、ボルスは上官ではないだろうが、それは、今、重要ではない。
男手はたくさんあるのに、こんな小さな少女が、ひとりで荷物を積むことが気に入らなかったのだ。
この世界に来て少女たちと暮らすようになってから、自分はずいぶん甘くなった、内心そう彼は自嘲するが、不思議なことに、そんな自分の心の変化が不愉快ではない。
「ダメです。仕事がなくなったら、クビにされてしまいます」
次々と重い荷物を運びこむ彼の腕にすがって少女が言う。
「君は荷運びだけに雇われているのか」
「本来の仕事は、隊商の料理と、商人さまの身の回りのお世話です。でも。この荷物も運びこむように命じられたのです」
「なら、重い荷物だけは俺が運ぼう。君はその小さいのを運んでくれ」
「そ、それなら」
少女は小さな紙の小袋をいくつか抱きかかえると、果物の入った木樽を4つ抱えて運ぶアキオについて行く。
「商人は何人だ?」
たしか、エカテル商会という屋号だったはずだ。
「さ、3人です」
「西の国までは5日ほどのはずだが、なぜ、こんなに食料が多い」
「皆さま、お食事にはうるさい方ばかりなので」
「その世話を君がひとりでやるのか」
アキオは歩きながら彼女を見下ろした。
痩せた少女だ。
手足が棒のように細い。
「そうです」
「金は多めにもらっているのか」
「お給金はいただいていません」
荷物を馬車に積んで、荷置き場に戻るアキオを追いかけて少女が言う。
「なぜだ」
「商家だったうちの家が、エストラへの隊商を魔女に襲われて潰れてしまったのです。父母はいま家業の再建中で、その資金を借りる代わりに、わたしがエカテル家で働いているのです。使えないと思われたら、ご主人さまはわたしをクビにして貸したお金の返済を迫るでしょう」
だから、初めに彼女はアキオの助けを断ったのだ。
奴隷制をいかに無くそうとも、人は様々な方法で他者を支配しようとする。
それほど人を操るのが楽しいのだろうか、300年生きても彼にはわからない。
しかし、奇妙な話だ。
アルドスの魔女、シミュラは、キャラバンは襲っても、手ひどい実害がでるようなことはしなかったはずなのだ。
「ありがとうございました」
荷物を運び終えた少女が、笑顔で会釈する。
「あ、あの、お待ちください」
アキオが集合場所に戻ろうとするのを慌てて引き留めた。
「わたしは、フレネル・ディフラクトと申します。あなたのお名前を」
あやうくアキオ、と言いかけた彼が答える。
「アルト、アルト・バラッド」