397.旅立
城へ向かう前に、スペクトラの様子を見に貨物室に行ったアキオは、そこにサフランの姿を見つけた。
「来たのか」
厳しい表情で、じっと水槽を見上げる彼女に声をかける。
さっと振り向いた少女は花が咲いたような笑顔を浮かべて、彼に駆け寄った。
「さっき、ここについて、白鳥号が来るのを待っていたのです」
「そうか」
アキオはスペクトラを見上げる。
「どうだ」
「体調は回復しています。ベルゾ波を抑えられているから、ナノ・マシンがよく働いているのですね」
「魔法を使っていないくてもベルゾ波は出ているのか」
「ええ、微小ながら、魔法使は常に身体からベルゾ波を出しているのです」
「君もか」
「はい、わたしもです」
サフランは、オレンジ色の四角い虹彩でアキオを見つめる。
「彼女の生まれのこと、何も聞かないの?」
「時期がくれば話すのだろう」
「ありがとう、優しいのね」
「アキオ」
スロープからアルメデの呼ぶ声がする。
「行ってアキオ。わたしはもう少しこの子を診ています。アイリンのことでシェリルに話があるので、あとでお城に向かうから」
さらに人格の融合が進んだのか、シスコの活発な性格は身をひそめ、ずいぶん落ち着いた言葉遣いになっている。
「わかった」
そう言うと、彼はスロープに向かって歩きだした。
アキオたちが、ドビニーたちを連れて地面に降りると、ケルビの引く馬車が8台待っていた。
6人ずつに分かれて乗り込む。
先頭の馬車に、アキオ以下ヌースクアムの少女たち4人とクルコスが乗った。
アキオの隣にはミストラとヨスルが座る。
シジマはクルコスの相手をしていた。
15分ほどでシルバ城に着く。
「アキオは、この城は初めてですね」
アルメデが尋ねる。
「そうだ」
外から見る限り、シルバ城は、この世界におけるオーソドックスな造りの城だ。
「こちらへ」
衛士に案内されて、いくつか階段を上り、長い通路を歩く。
「謁見の間には行かないのですか」
アルメデが尋ねる。
暗殺その他の安全対策もあって、この世界において王に見える広間は、城の出口近くに作られることが多いのだ。
「王の私室に向かっています。シェリル宰相が、ヌースクアム王は堅苦しい儀式など好まないだろう、と申されまして」
「そうだな」
エストラの時もそうだったが、この国の王たちは、彼の性格をよく理解してくれているので助かる。
「こちらです」
小さくはあるが、重厚な木づくりの扉の前で衛士は言った。
ドアを開けてくれる。
少女たちを先に入れようとしたアキオは、後ろからシジマに押されて先頭で部屋に入った。
「来たか」
深く、よく通る声が部屋に響く。
部屋の隅で燃えている暖炉の炎を背に受けて、サンクトレイカ王、ノラン・ジュードが立っていた。
彼の横には、金色の髪の美少女が控えている。
部屋の中ほどには、楽器を持った男たちが、笑顔で彼らを見ていた。
天井の高い部屋は、大きくはないが十分な広さがある。
テーブルには、様々な飲み物と食べ物が並べられていた。
アキオはノランに近づく。
ノランもアキオに向かって歩いてきた。
「何日か前に意識を回復したと聞いていた。本当は俺の方から出向かなければならなかったのだが、いろいろ忙しくてな。すまない」
エストラで初めてあった頃から、話しぶりはまるで変っていない。
「気にするな」
アキオが応える。
口調が率直なのは、お互いさまだ。
彼にとっては、過去の遺恨などまったく関係がない。
ノランは、激烈な戦場で共に戦った友軍なのだ。
「お久しぶりです。ヌースクアム王」
ノランの傍に立つ美少女、シェリルが声をかける。
「アキオでいい」
彼は少し考えて、続けた。
「シェリル・アーク宰相」
「わたしも今までどおり、シェリル、と」
「わかった、シェリル。母親の具合はどうだ」
「ゆっくりとですが確実によくなっています。サフランさまが親身になって治療にあたってくださっていますし、父も傍にいますので――」
「さっき、サフランと会った。あとで、君に会いに来るといっていた」
「わかりました」
「さあ、堅苦しい挨拶はここまでだ。あとは好きにやってくれ」
ノランは部屋にいる少年少女たちに向かって声を張り上げる。
それを合図に、部屋の隅に控える小編成の楽団が陽気な音楽を奏でだし、シジマたちがテーブルの食べ物に飛びついた。
「なにせ、俺は荒くれ傭兵上がりだからな。真面目なのは苦手だ」
骨っぽく笑う王に、美しい瞳の色の少女が顔を近づけて囁く。
「いいえ、あなたは騎士よ。ノラン・ジュード。わたしにとっては最初から」
「君にそういわれたら、だらしない俺には戻れないな」
「申し訳ありません」
その様子を見ていたアキオに、硬い表情で近づいたアルメデが声をかけた。
「どうした」
「ニューメアのクルア・ハルカから、火急の用事があるから会いたいとの連絡がはいりました」
「俺も行こう」
「あなたは、ここにいて――」
アルメデは柔らかく笑い、
「たまには、王としての務めをはたしてください。ね」
アキオの腕に手をかけて優しく言う。
「わかった」
彼女の、形の良い後姿が扉に消えると、アキオは、部屋の隅の椅子に腰かけた。
傭兵の頃から、仲間の兵士たちと酒を飲んで騒ぎはしなかったが、ある時期から、今のように、酒場の隅に腰かけて仲間の笑う姿を見ることは多くなった。
密林や砂漠に建てられた酒保は、決して快適とは言えなかったが、そこで笑って騒いでいた仲間たちの記憶と相まって、彼にとってはよい思い出だ。
その男たちも、ほとんどは後の戦闘で死んでしまったが――
「今夜、出発する隊商に交じって出ようと思う」
「正気ですか?あなたは王なのですよ」
皆の歓談する部屋の隣の、明かりを絞った小部屋に密かに移ったノランとシェリルが、薄闇の中で口論している。
「だが、相手はなかなかの手練れだ。俺が出ないと相手にならないだろう」
「だからといって、一国の王が兵士に交じって辺境へ赴くなど考えられません」
「このまま捨て置くわけにも行かない」
「あなたは英雄ノラン・ジュードなのよ。この国のほとんどの者があなたの顔を知っています。いったいどうやって一兵卒になるのですか」
「変装するさ――つけ髭なんかどうだ」
シェリルは、青とオレンジの混ざった異国情緒ただよう瞳を伏せ、しばらく黙ったあと、言った。
「わかりました。行きましょう。わたしもお供します」
今度はノランが慌てる。
「い、いや、ちょっと待て、国の要であるお前まで留守にさせられない」
「国は、わたしがいなくても代わりに担う者がいます。今は外敵もいません。でも、あなたの供は、わたししかできません。いえ、させたくありません。だからわたしが行きます」
「落ちつけ、シェリル」
「ここ数年で、一番、落ちついています」
美少女は怒った顔も美しい。
「やれやれ、どうしたものか」
ノランが天を仰ぐ。
「俺が行こう」
突如、隣の部屋から漏れくる陽気な音楽にまじって男の声がした。
「アキオ!」
シェリルが、暗がりに立つ人影を見て目を見張る。
「それは駄目だ。あんたも王だろう」
ノランが呆れるが、アキオは何でもないように答える。
「俺は王じゃない、兵士だ。今までも、これからも。話を聞かせてくれ」
「しかし――俺はユスラさまになんといえば……」
「わかりました」
迷うノランを押さえてシェリルが言った。
「サンクトレイカ西方の辺境地で、西の国へ向かう隊商が襲われて荷を奪われる事件が頻発しているのです」
「略奪か」
「護衛は傭兵ではなくサンクトレイカ兵士たちをつけているのですが、そのつど全滅させられるのです」
「鏖か」
「いいえ、商人たちは無傷、兵士たちも怪我はしますが命を取られたものはいません」
「兵を増員すると襲われない。だが、守りが手薄だとすぐ狙われる」
ノランが首をふる。
「手練れの略奪団だな」
「いえ、それが……」
シェリルが眉をひそめた。
「相手はひとりらしい。戦うのを楽しむように兵士ひとり一人に戦いを挑んで打ち負かし、積み荷を奪うんだ」
「ひとり、か」
「とんでもなく強い奴だ。その戦いぶりは、まるで魔王だと――あんたを見たことがある者がいっている」
「あれは、偽物を見たのでしょう」
シェリルの言葉にアキオが苦笑する。
「一国の王が一兵卒に身をやつして出かけようとしていたのか」
「兵たちに動揺が広がっているからな」
アキオはうなずく。
「やはり俺が行こう」
彼が眠っている間に、少女たちが、この世界の安定を考えて作り出した新生サンクトレイカの王を危険にさらすわけにはいかない。
「俺は兵士だからな。偽装する必要もない――出発は今夜か」
「真夜中だ。だが用意が必要だろう」
彼は黙って、拳で自分の胸を叩く。
必要なのは身一つ、ということだ。
アーム・バンドに触れると、彼の特徴的なコートは、サンクトレイカの軍用コートに変わった。
アキオが言う。
「名前と身分はそっちで決めてくれ。指揮はしないほうがいいだろうから、階級は一番下でいい」