396.才覚
しばらく湿っぽい話が続いてしまいました。
次回から新章が始まりますが、伏線を忘れ、ひさしぶりにアキオが独りで戦う明朗快活冒険物語を展開する予定です。
アキオを回復室に残した少女たちは、拘束室として使っている予備部屋に向かった。
「ここだよ」
シジマが指さす部屋の壁に、アルメデが手を触れた。
シュッという音が響いて扉が開く。
「あ」
少年が驚いたように振り向いた。
白鳥号の各部屋には、いざという時のための、ナノ防御障壁が設置されている。
囚われの兵士たちは、透明な壁の向こうでおとなしくしていた。
「皆さま、どうされました」
少年が落ちつきを取り戻して尋ねる。
「いや、伯爵さまのお帰りが遅いので、もしかしたら、そいつらが、なにか不埒なことをしたんじゃないかと――」
「シジマさま、『伯爵さま』はおやめください。まだ家督をついだわけではありませんから」
そういって少年は、年齢に不相応な笑顔をみせ、
「少し男爵さまとお話をしていたのです。それとへプランにも」
名を出され、障壁の向こうの男ふたりは、なぜか顔をそむけた。
「おふたりには、父に代わってわたしが謝罪をしました」
「え、そうなの?」
シジマが驚いて砕けた言葉遣いをする。
「何事もなくて幸いでした。それで、お話は終わったのですか」
アルメデが微笑む。
「はい。もう、すっかり」
「では、わたしたちと一緒に、司令室、シジマは艦橋と呼んでいますが、においでください。そろそろ、シルバ城につくころですので。お姉さまも、身体が回復され次第、艦橋に来られると思います」
「わかりました」
「じゃあ、行きましょう」
少年は、シジマについて部屋をでていく。
部屋に残ってそれを見送ったアルメデは、少年の後ろ姿を見る男爵の表情が微妙に歪むのを見た。
「すぐに、城から兵士たちがやってきます。それまで、おとなしくしていなさい」
男たちにそう言い残すと、彼女はヨスルと共に部屋を出て行った。
「うん、わかった。待ってるから」
別件の用事をすませてから司令室に入ると、シジマが、前方の巨大スクリーンに向かって通信を終えるところだった。
「いま、ノランから連絡がきたよ。シルバ城の背後、サンクト山の麓にある台地に着陸してくれって」
「いま、わたしたちはどこにいるのですか」
少年がたずねる。
「お城の上、1万エクル(2キロ)をゆっくり回りながら飛んでいます。それより降下すると、城下の人たちを驚かせてしまいますから」
アルメデが説明し、スクリーンに向かって言う。
「アカラ、聞こえましたね」
「はい」
「着陸地点にむかいなさい」
ほどなく、アキオとミストラも司令室にやってきた。
「姉さま」
「クルコス」
姉弟が歩み寄って手を握る。
「お身体は」
「すっかりよくなりました」
彼は、詳しい事情は知らされないまま、ミストラが体力回復の処置を受けるとだけ聞かされていたのだった。
「すごいですね。ヌースクアム国は」
少年がつぶやく。
首を斬っても死なない医術。
それをたちまちつないで元に戻す高位魔法。
言葉を話す蟻と灰色の霧。
角の生えた巨大な少女。
城が浮かんだような船。
今日、目にしただけでも、世界がひっくりかえるほどの奇跡の連続だ。
「ええ、でも、そのことは、わたしたちだけの秘密ですよ、この世界に、高位魔法の普及は、まだ早すぎます」
「この世界?姉さまのおっしゃりかただと、他に世界があるみたいに聞こえますね」
「そのことは、また別の機会に話しましょう」
「わかりました」
「ところでさ」
背後から、シジマがくだけた調子で話しかける。
「さっき、ひとりでドビニーたちと会って何を話していたの?」
「あの男と話したのですか」
ミストラが目を険しくする。
「特に何も。父上のことを憎んだままだといけないので、代わりに謝っただけです」
「そうなんだ」
そう言うと、シジマはすっかり興味を失ったように、アキオの許に駆けて行った。
少女が、身振り手振りでアキオに話しかけるのを見ながら、ミストラがさりげなく尋ねる。
「それで、本当はどんな話をしたの」
「さっき話した通りです」
「クルコス」
「はい」
「あなたは、わたしを侮っているのですか」
「そんな」
少年は顔色を変える。
「隠し事をするには、あなたはまだ甘い。わたしはこの数年、平和の海戦で、無為に失われようとする人々の命を、駆け引きだけで救い続けてきたのです。どんなに苦しくても表情を変えずにね。そんなにすぐに、感情が顔に出るようでは外交は行えませんよ」
わずか7歳の少年に言うべき言葉でないのは充分承知して、あえて彼女はそう言い放った。
シジマが、あのタイミングでこの話題をだしたのも、彼女に詰問させるためだろう。
「真実を――」
「わかりました」
あきらめたように肩を落とし、少年が話し始める。
「ドビニーの金鉱を手に入れようとしていたのです」
「鍾乳洞の地下の、ノワルバルトス金鉱ですね」
「はい。正確にいうと、あの金鉱とヘプランの父親の持つ炭鉱の権利を渡すよう、交渉していたのです。そうすれば王に温情を願い出る、と」
「ガラリオ家のためですか」
「とんでもありません――そもそも、ガラリオはお金に困ってはいませんし」
「国のためなのですね」
「ヌースクアムへの賠償で、サンクトレイカの財政も少なからず打撃をうけています。政変で辺境へ追いやった貴族たちも、さまざまな利権は手放していません」
少女は、初めて目にする生き物のように、弟を見る。
「クルコス、あなた……」
「僕は、父上や姉上のように交渉の才能はありませんが、姉上がアキオさまの許へ行かれたからには、ガラリオの家を継いでサンクトレイカの外交を担わねばなりません。国を背負う家系に誇りももっています。でも、僕には才能がない。父上ですら僕に期待はしていない。寄宿学校に送り込まれたのがその証拠です。姉上が僕の歳には、父上について様々な外交現場に出ておられたのに」
「あれはお父さまが無理やり――」
「問題は、父上が、姉上に学ばせたように僕を扱わないということです」
少年は歳に似合わぬ老成した笑いを浮かべ、
「それは仕方ないのかもしれません。父上は、ヌースクアムから姉上を呼び戻そうとしているのですから」
ミストラが悲し気な目で弟をみる。
ガラリオには不幸の連鎖がある。
外交に適性のある父は芸術に生きがいを見出しながら仕事から逃げられず、同様に適性ある娘は、愛する男の許に行きながら呼び戻されようする。
しかし、もっと不幸なのは、嫡男として生まれ、その仕事に誇りを持ちながら、当主から期待をかけられないクルコスだ。
しかし――
ミストラは、少年の両肩に手を置き、言う。
「あなたに良いことを教えましょう」
「何です」
クルコスは気のない素振りで姉を見た。
少女は微笑み、
「ガラリオ伯爵は、人を騙し、欺き、計略にかけて自分に有利にことを運びますが、基本的に人を見る目はありません」
「そんなことはないでしょう」
「げんに、父さまはヘプランの裏切りを見抜けませんでした。ひとは、ガラリオ伯爵は外交の天才、ゆえにひとを見る目もあるはずだ、と思っているようですが、あの人は言葉を巧みに操って、人を思い通りに動かす――詭弁家に過ぎません。人間の本質を理解してはいないのです」
少女が、小柄な弟の肩を軽く揺さぶる。
「要するに、あの人は、あなたの才能を見抜けていません」
「そ、そうでしょうか」
少年が、すがるような眼で彼女を見た。
「客観的にみて、わたしの方が人を見る目はあります。あなたの適性は、決してわたしや父さまに、引けをとりません」
「信じて……よいのでしょうか」
「姉を信じないで、誰を信じるのです」
「はい」
生気を取り戻す弟の顔を見ながら、少女は思う。
父が、ヘプランの裏切りを予想しながら護衛隊長の任につけたのは、彼のことを侮っていたからだ。
そんな大それたことはしないだろうし、やったとしても、すぐに失敗する、と。
要するに、ガラリオ伯爵とは鼻持ちならない自信家なのだ。
しかし、彼女も嘘を言ってるつもりはない。
クルコスはわずか7歳。
話をすると、生真面目な頭の良さは感じるが、その歳では、駆け引きの才能のあるなしが分かるはずもない。
これから経験を積めば、素直なクルコスも人の心の裏側がわかるようになるだろう。
人間の能力は、適性だけではないのだ。
その好例がアキオだ。
生粋の兵士であった彼は、必要に迫られて微小工学を学び、革新的な発見と発明をいくつも行った。
うわべだけで判断する者は、彼に才能があったから、と考えるだろう。
だが、彼の注ぎ込んだ時間と情熱の大きさを知る少女たちは、そんな単純なものでないことを知っている。
絶え間ない努力は、人を変えるのだ。
クルコスが、ある程度、大きくなったら、彼女が直接指導してもよいだろう。
今は、希望を持たせてやることが重要だった。
室内に鳥の鳴き声に似た音が響いた。
「白鳥号が着地したようですね。わたしたちも降りて城へ向かいましょう」
ミストラは少年に笑いかけた。