395.自問
少女が眠りに落ちてからも、彼は動かなかった。
比重が、ほぼ肉体組成と同じ再生液の中で、おだやかな表情で、たゆとうミストラを見続ける。
「うらやましいですね」
いつものように、気配をまったく感じさせないまま、背後からアルメデの声が聞こえた。
「一糸まとわぬ姿を、それほどじっと見つめられるなんて――」
同種株のナノ・マシンをもつ少女たちだけが、彼に忍び寄ることができるのだ。
アキオは振り向いて、言った。
「そうか、裸だったな」
ふっと少女が笑い、
「あなたが、男性の眼で彼女を見ていたとは思いません――残念ですが。それで、どうしたのです」
「考えていた」
アルメデは、彼の次の言葉を待つ。
「たとえ、恩を感じる出来事があったとしても、俺のような人間に、君たちほど強い気持ちで命をかけようとするものだろうか」
少女は優しく微笑む。
「あなたはどうです?ほんのわずかな関わりに過ぎない少女たちのために命をかけたではないですか」
「俺は――」
アキオは言いかけて止め、
「俺のことはいい。君たちのことだ」
「それで、何を考えたのです」
彼は、鍾乳洞でナノ・マシンの共振を利用して兵士たちの錯乱を収めたことを話し、
「君たちの、俺に対する感情は、その多くをナノ・マシンの影響に依っているのではないか。そうであるなら――」
「違います」
アルメデがアキオの腕に抱きつく。
「7歳の少女だったわたしは、あなたに出会った瞬間に恋に落ちたのです。あの時は、根がひねくれものなので恥ずかしい態度をとりましたが……まさか、あなたも、会ったばかりのわたしにナノ・マシンが影響を与えたとは思わないでしょう」
「そうだよ」
別な声が部屋に響いた。
「男だったボクが、最初にアキオにあったのは、ガブンの宿屋だった。アキオは、キィになったばかりのマキィさんと抱き合って眠っていたんだ」
「シジマ……」
「あのころ、ボクは男として生きようと努力していた。だから、裸同然の彼女と抱き合っていたアキオを見て、なんだかよくからない衝撃を受けたけど、その気持ちをごまかしたんだ。でも、いまならわかる。僕は、出会った瞬間に、アキオを好きになっていたんだ。もっと好きになったのは、監獄で心細い思いをしていたボクを助けにきてくれた時――男だったボクを抱いて温めてくれたあの時だ。どちらも、この体には、ナノ・マシンなんか1単位さえ入ってなかった……違うんだよ、アキオ。ボクたちは、ナノ・マシンで繋がっているんじゃない!」
「まさに……」
またひとり、別な声が増える。
「まさに、その時、監獄から逃げ出したあなたたちを追い詰めたのが、わたしだったのです。あなたがアキオを助けるために川に突き落とし、自分が捕まるのをわたしは見ていました」
ヨスルは眼を閉じ、ゆっくりと開けて、
「あの頃のわたしは、会ったこともない、名も知らぬ相手を暗殺し続けて、世界に色を感じられなくなっていました。心はすでに死んでいたのです。だから、体だって、いつ死んでもいいと思っていました。そして、ドッホエーベであなたに再会した……」
少女が、胸の前で手を握りしめる。
「戦いの中で、わたしの心はゆさぶられ、色がよみがえりました。やがて、わたしをかばって倒れた義妹に頼まれて戦ううちに、わたしはあなたを――もちろん、その時、わたしの体内にナノ・マシンはありません」
「ほら」
アルメデは、恋人を見上げて笑う。
「ナノ・マシンに関係なく、みんなあなたを好きになっているのですよ、アキオ」
だが、納得できない様子で、彼は首を振る。
「あなたは、自分を低く考えすぎています」
ヨスルが菫色の瞳に力をこめて言う。
「そういうところはあるかな。自分の強さは、きちんと判断できてるのに、魅力については、まったくわかってない」
「あまり、アキオを責めないで」
アルメデが彼を自分の後ろに回し、守るように言った。
「な、なにも責めてはいないよ。ねぇ、ヨスル」
「そうです」
「それは――わかっています。でも、知っての通り、アキオの人との関りは、上官か部下か、友軍か敵か、あるいは無関係な民間人か、それぐらいしかなかったのです。そこには自分の魅力を使うかけひきなんか存在する余地はなかった」
「そうだね。ミーナが自我を持ってからだって、研究しかしてこなかったんだから」
「とにかく」
くるっとアルメデが振り向いてアキオを見上げる。
「あなたは、愛されていることにもっと自信を持てばいいのです」
「そうだよね」
「そのとおりです」
他の少女も同意する。
「そうだな」
少女たちの圧力に、アキオは苦笑し、
「クルコスはどうした」
話題を変えるようにシジマに尋ねる。
「なんかね、個人的に話があるって、男爵たちを閉じ込めた部屋にいったよ」
「そうでしたか」
「たしかあの部屋は――」
「うん、部屋の入り口から三分の一のところに、ナノ・バリアが張られているから、ドアから中に入って話をしても安全だよ」
「何の話をしているのでしょうか」
「恨みごとをいうようなタイプじゃないよね」
少女たちは顔を見合わせる。
「様子を見に行ってくれないか。俺は、もう少しここにいる」
うふふ、とヨスルが可愛く笑った。
「もうすぐ彼女が眼を覚ますからですね」
「いいなぁ。ねぇ、アキオ。今度ボクがひどい怪我をして昏睡したら」
「二度と君たちに、大きな負傷はさせない」
思った以上のアキオの強い口調に、シジマが言葉に詰まる。
「あ、そ、そう。ありがとう」
「でも、回復槽で目覚めて、アキオが見ていてくれたら嬉しいでしょうね」
ヨスルが眼を輝かせ、
「だよね」
勢いよくシジマが同意した。
「さあ、行きましょう」
アルメデが少女たちを促す。
「メデ」
アキオが出て行こうとする少女を呼んだ。
「はい」
「シルバラッドにはいつ着く」
「ミストラの目覚めに合わせるために、ゆっくり飛行しています。ETAは――」
アルメデは、アーム・バンドに眼を落とし、言った。
「18時20分、あと数分でシルバ城に着く予定です」
健やかな目覚めだった。
体の内側から力が満ちて、そのエネルギーが、彼女の意識を覚まさせたのだ。
ミストラは、眼を開けた。
水槽内の液体を通して明るい部屋が見える。
すべてが紫に染まる世界の中心に、黒い影が立っていた。
想い人が、彼女の眼覚めを待っていてくれたのだ。
「アキオ!」
少女は、身を翻してドルフィン・キックで水面を目指し――そのまま水上へ躍り出た。
まるでロメラ、地球におけるイルカのような華麗なジャンプだ。
ミストラは空中で身体をひねり、アキオの上に落下した。
全裸の少女を、軽々と彼が受け止める。
「ちょっと、派手すぎました?」
可愛く笑う。
「いや――元気そうだ」
アキオは少女を床におろした。
空中に踊り出た時点で、付着した溶液はナノ分解され、体はまったく濡れていない。
裸のまま、少女は大きく伸びをした。
ユイノやヨスルと違って、この世界の上位貴族の娘の例にもれず、ミストラの裸に対する羞恥心は薄い。
特に愛する者に対しては。
本来ならヨスルも上位貴族なのだが、早くに市井に出たためか、彼女はかなりの恥ずかしがりだ。
ミストラは、タンクの横に用意されていた衣服を手早く身に着けると、アキオに走り寄った。
「見てのとおり、すっかり元気になりました」
「そのようだな」
アキオがうなずく。
その時、室内に鳥がさえずるような小さな音が響き、
「現在、18時27分――予定通り、サンクトレイカ王都シルバラッド内シルバ城上空に到着しました」
アカラの声によるアナウンスが流れた。