392.克己
それからほどなく、ドビニーとへプランの首を包んだコクーンが音を立てて半透明になった。
「あ、仮死状態モードになっちゃったかぁ」
シジマが残念そうな声を上げる。
脳は想像以上にエネルギーを消費する器官だ。
コクーン内部のナノ・マシンの機能によって、血液中の酸素・二酸化炭素のガス交換と浄化はできるが、エネルギーである糖質の供給は外部から補充されないかぎり、すぐに尽きてしまう。
だから、ナノ・コクーンを使用する際、通常は、すぐに肉体組織の生体レベルを落とし、仮死状態にして代謝を押さえるのだ。
今回はアキオが設定を変えて、ふたりの意識を保たせていたが、伯爵たちを包んだコクーンが、内部の糖質不足を検知して、自動的に彼らを仮死状態にしたのだった。
「アキオには、新開発したスーパー多糖類のネオ・グリコーゲンを使ったコクーンを渡してなかったからね。あれなら数時間は生首のまま意識を保つことができたのに……残念」
「また、あなたは――」
少女は、ピッと指を立ててそれをさえぎった。
「怒るのはなしだよ。でも、いろいろと面白いヒントをもらっちゃったな」
緑の髪の美少女が再び良い顔で笑う。
その蠱惑的な表情を見て、ミストラはあきらめたように肩をすくめるのだった。
一方、洞窟内に降り立ったアキオたちは、灰色の濃い雲に包まれるスぺクトラを前にしていた。
「どうだ」
アキオが尋ねる。
ナノ・マシンが空気を振動させて答えた。
「材料となるアミノ酸物質が不足していますが、とりあえず、できる範囲で健常状態に戻しています――しかし」
「問題があるのですか?」
アルメデが尋ねる。
「2つある心臓の付近から、ナノ・マシンを排除する力が発生しているため、効率が上がりません」
アルメデが、アキオの腕につかまるヨスルを見た。
魔法使の少女がうなずく。
彼の腕を離すと、背中にかついでいた小さなアサルト・パックを下して、ケースを取り出した。
指を触れると蓋が開く。
中には、様々な色のナノ・カプセルがぎっしりと詰まっていた。
少女は水色のカプセルを取り出す。
「アキオ、どうぞ」
「これは?」
初めてみるタイプのカプセルを手にした彼が、ヨスルに尋ねる。
「彼女の身体がナノ・マシンを拒むのは、おそらく、胸にドレキ=WBが多数イニシエーションされているか、生まれながらWBの機能を持つ器官があるからです。正確にいうと、その部位から放出されるベルゾ波が原因です。アイリンさんを回復させる過程で判明したのですが、ベルゾ波を受けると、ナノ・マシンの活動が鈍るのです」
アキオは思い出した。
長い眠りから目覚めてすぐに、少しだけその話は聞いていたのだ――
「つまり、魔法使は、ナノ・マシンと相性が悪いのか」
「いいえ」
アルメデが、急いで答える。
「後天的にイニシエーションを受けただけの魔法使程度なら問題ありません。さすがに、ヨスルほど傑出した魔法の力を持っていると、少し実害があるのですが」
アキオは菫色の瞳の少女を見た。
「そうなのか」
「はい。でも心配しないでください。実害といっても、ほんの少しです。それにカマラとサフランが協力して、このナノ・コクーンを作ってくれましたから」
アキオは改めて水色のカプセルを見る。
「PSを実際の物理現象に変換する、つまり魔法を使う際に発生する、ベルゾ波だけを遮ることが可能な、ベルゾスマが仕込まれたコクーンです」
「スマ――脊髄性筋萎縮症に関係が」
「地球語ではありません。スマとはサイアノスの古語で『通さないもの』という意味です」
「ベルゾスマ、か」
アキオがつぶやき、アルメデが彼の腕に手を掛ける。
「報告が遅れてすみません。あなたが目覚めて、しばらく休んだら、まとめて色々とお話をするつもりでした。ですが……」
「そうです。アキオは、皆さんと出かける先で次々と、その――」
ヨスルが言葉を濁す。
「問題を起こす、か」
アキオが苦笑した。
アルメデは彼の腕を強く抱きしめる。
「あなたは悪くありません。でも、実際に事件が起こっているのは事実です。そのために、なかなかお話する時間を取れなかったのです。少し落ち着いたら、まとめて全部報告しますね」
アキオはうなずき、手にしたナノ・カプセルを見た。
「これで、スぺクトラの魔法発生部位を包めばいいんだな」
「そうです」
ドラッドの正統に近い系譜であるから、イニシエーションではなく、生まれながらに何らかの魔法器官を備えているのだろう、アキオはそう考えて言う。
「グレイ・グー」
「はい、主さま」
声が応える。
「主さま?」
アルメデが、ミストラとまったく同じ反応を見せた。
アキオは、それにとりあわず続ける。
「このコクーンを使って、患者のナノ・マシンに反発する部位を囲めるか」
「できます」
「やれ」
そういって、アキオはスぺクトラを取り囲む灰色の塊にカプセルを打ち込んだ。
少し遅れて、何かが弾ける音が響く。
たちまち、灰色の塊が目まぐるしく動き始め――
「できる限りの修復を終えました。状態は安定しています」
グレイ・グーが報告した。
「見せてくれ」
アキオが命じると、灰色の塊は流れるように洞窟の端に移動した。
地面に横たわる、大きな少女の姿が現われる。
角はまだ折れたままだが、眼も顔も美しく修復され、潰れていた体、複雑骨折していた手足も見かけ上は元通りだ。
もちろん、肉体を治癒する材料となるべきアミノ酸が与えられていないので、ひととおり目立った傷を覆い、骨をつないだだけ、という状態だろう。
「まあ」
ヨスルが可愛い声を上げる。
「なんて、きれいな人でしょう」
「ドラッドの血を引く者ですけれどね」
「アルメデさま」
ヨスルが少女の手を握る。
「なんでしょう」
「お顔とお声が恐くなっています」
「あら、気がつきませんでした――それで、これからどうしますか、アキオ。まだ彼女は自力で白鳥号には乗り込めないでしょう」
「それ以前の問題があると思いますが」
ヨスルが、少し硬い声を出した。
「なんですか」
「この人は、ほとんど裸ではないですか」
今まで、だれも指摘しなかった点を少女は衝く。
ヨスルはケースから透明なカプセルを取り出し、素早くアーム・バンドを操作してから、スペクトラに向かって投げた。
頭上で破裂したカプセルは、少女を包み込むと素早く変形して、白いワンピースとなる。
彼女は、ナノ・コクーンを操作して巨大な服をつくったのだ。
「よく気がついた」
「普通は気づくものですよ」
水色の髪の少女が、小さな声で行う抗議にうなずいて、彼は、ポーチから銀色のカプセルを取り出した。
手首を効かせて灰色の塊に投げ込むと、命じる。
「リトー、起動しろ」
パシュっと乾いた音が洞窟に響き、白い膜がグレイ・グーを覆っていく。
たちまち、ひとつの巨大な塊となったナノ・バルーンは、徐々に人形に形を変えた。
空気の比率が多いライスとは違い、重量感がある。
アキオは、腕につかまったアルメデと共に、スぺクトラに近づいた。
少女の頬に触れる。
「気分はどうだ」
美しく巨大な少女は、オレンジ色の瞳を開くと彼を見た。
「ダいじょうブ。いたクな、い」
「すぐに、元通りになりますからね」
ヨスルが、エストラ語で優しく声を掛ける。
その穏やかな様子からは、かつてサンクトレイカの秘密結社でピアノと双璧を為した暗殺者の面影はない。
「あ、リがとウ」
黙ってそれを見ていたアルメデは、アキオの腕から離れ、踵を返そうとした。
「――」
突然、腕を掴まれ、驚いて振り返る。
少女の大きな指が彼女の腕をつまんでいた。
「あナタ、あるメデ」
オレンジ色の瞳がじっと彼女を見る。
「どうして――」
「髪、短い、みすトラ、いった。イチばン気高ク、優しイひと」
アルメデは俯き、一瞬、苦しそうな、切なげな表情を見せると、さっと顔を上げた。
スぺクトラを見つめ返す。
「もう、あなたは独りではありません。これからは、わたしたちがいます――安心しなさい」
「アルメデさま」
笑顔を見せるヨスルに、100年女王が、ため息まじりに告げた。
「この子に罪はありませんから」
その様子を見ていたアキオは、洞窟の奥まで増殖したグレイ・グーをすべて取り込み、さらに小型化して、ぎっしり圧縮したロボットに命じる。
「リトー、負傷者を地上に運べ。そっと、優しくだ」
「イエス」
内部に取り込まれた時点で、グレイ・グーの制御は風船ロボットに移ったため、機械的な返事を返すと、リトーはスぺクトラを抱き上げた。
ロボットの身長は、彼女のおよそ6倍。
立つと、洞窟の天井に頭があたり、少し前かがみになるほど大きいサイズだ。
少女を抱いたまま、リトーは片手を穴の上部に掛け、軽々と地上に上がって行く。