389.挺身
地上から、グリムが身体を伸ばした。
変形して巨大な梯子の形になる。
「体重はおよそ1トンだ。耐荷重は大丈夫か」
「もちろんです」
「アキオ、女性の体重をあからさまに推測するのはよくないと思います。それに――長くは生きていても、中身は少女のような子なのですから」
「気をつけよう」
彼はうなずくと、
「ミストラ」
あらためて彼女の名を呼ぶ。
「はい」
「最後に確認しておく。スペクトラはこの洞穴を出るといったのか」
彼女にしてみれば、気の遠くなるような時間をこの場所で過ごしてきたのだ。
今さら、新しい環境で暮らしたくないかも知れない。
「会話が成り立つことを確認して、最初にそれをたずねました。外に出るそうです」
「そうか」
少女が、くすぐったそうな顔になって続ける。
「その時に、アキオに名付けてもらったら絶対守ってもらえる、という話をしたのですよ」
「守る、か」
アキオは、口の中で、その言葉を転がしてみる。
果たして、その力が俺にあるのだろうか。
自分は、ついさっきミストラを傷つけたばかりなのだ。
子供のころから、攻撃型の戦闘を得意としてきた俺は、守るのは苦手だ。
しょせんは破壊することだけが得意の戦闘機械に――
「アキオ」
少女が飛びついて、彼の分厚い胸に顔を押し付ける。
「私やヌースクアムの皆さんを守ろうなんて考えないでくださいね。今朝、あなたがそういってくれて、すごくうれしかった。でも、わたしたちは、あなたに守られたいのではありません。わたしたちがあなたを守りたいのです」
アキオは少女の髪を軽く叩く。
彼女たちは、いつも、口をそろえて彼を守りたいと言う。
受けた恩を返したいから、と。
だが、彼自身は彼女たちに、何かしたという意識はない。
ただ、成り行きで行動した結果に過ぎないのだ。
「結局、今回も、あなたはわたしを守ってくれました。それが事実です。同じようにスペクトラも守ってくださいね」
「――わかった」
アキオはうなずくと、巨大な美少女に向けてエストラ語で言った。
「スペクトラ、その梯子を上ってくれ」
ふたりのやりとりをじっと見ていた少女は大きくうなずく。
「わか、た」
スペクトラはオレンジの髪を揺らすと、黒い梯子につかまった。
筋肉質の長い手足をうまくつかって、力強く上っていく。
「あ、待ちなさい」
その時、穴の上から切迫した声が響いた。
何かが下に落ちてくる。
アキオの眼は、素早くその物体を確認した
ダイナマイトだ。
筒状の本体から伸びた導火線が煙を上げている。
おそらく、ニューメアから供給されている旧式の爆薬だろう。
上の男たちの誰かが、グリムの監視をすり抜けて投げ込んだのだ。
P336で撃てば爆発するだろうし、銀針では弾くことはできない。
だから、彼は言った。
「伏せろ」
ダイナマイトは、天井に空いた穴の縁に当たると同時に爆発した。
大した威力はなさそうだが、すでにグリムによって穴をあけられ、もろくなってていた石灰石の天井は、轟音をあげて崩れ落ちてくる。
膨大な量の岩石が一度に崩落したため、洞窟内に逃げ場所はない。
ミストラだけなら、加速状態で強引に身体を掴んで地上に脱出することも可能だが、彼女の傍らには生身のクルコスがいるのだ。
加速状態で動かせば、身体がちぎれ飛んで即死するだろう。
かといって、加速を手加減して動けば、間に合わず岩石に押しつぶされる。
アキオは決断すると、ナノ・カプセルを指で弾いてガラリオ姉弟の上に展開し、その傍らに立つと、落ちて来る巨大岩石に向けてP336をレイルガン・モードで連射した。
巨岩が砕けて、かなり小さくなる。
直径10メートル程度になった岩石をアキオは拳を使って砕いていく。
なんとかコクーンを守ることができた、と思った瞬間、最大規模の岩が、あらたに頭上から降ってきた。
さすがにこれは防げない。
先に落ちた石灰岩の粉塵で、視界は極端に悪い。
アキオは、ナノ強化を最大にして、巨岩の重みに備えた。
だが、岩は落ちてこなかった。
代わりに、蒼白い光が粉塵を通して彼らを照らす。
ほこりが収まると、パリン、とコクーンが内部から割れ、ミストラが立ち上がった。
天井を見上げ、叫ぶ。
「スぺクトラ」
彼らの上には、オレンジの光が輝いていた。
スぺクトラの眼だ。
最後の崩落の前に、梯子から飛び降りた彼女が、身を挺して、アキオとミストラのコクーンを守っていたのだ。
「は、やク、逃げテ、モウ、もた、なイ」
スぺクトラの言葉に、ミストラはクルコスをつれて外に逃れる。
「ああ、なんてこと!」
振り返った少女は、悲鳴のような声を上げた。
両手を地面についた少女が、途方もない量の岩石を背中に受けて耐えていたからだ。
その体は青白く輝いている。
ゴランの血を引く少女だけに強化魔法が使えたようだ。
だが、洞窟内にPSはほとんど残っていない。
おそらく、体内に蓄えたPSを使って発動しているのだろう。
それがいつまでもつか――
ぐら、と少女の身体が揺れ、そのまま岩石の下敷きになって埋もれた。
「アキオ!」
ミストラの叫びに彼はうなずいた。
上に向かって呼びかける。
「グリム」
「はい」
返事とともに、巨大な黒い塊が降ってきた。
「岩を砕け」
「わかりました」
グリムが、巨大な槍を本体から突き出して、削岩機のように岩を砕き始める。
アキオもP336を連射して岩を破壊した。
ほどなくスぺクトラの全身があらわれる。
無残な状態だった。
体の各部がつぶれ出血している。
美しかった顔も、左目ごと半分近くが無くなっていた。
角も折れている。
きれいな手足は、複雑骨折して骨が突き出していた。
だが――
「生きているな」
アキオはそう言うと、ポーチから、あるだけのナノ・カプセルを取り出すと、少女の身体に振りかけた。
治療用のナノ・コクーンを展開しようとするが、スぺクトラのサイズでは、効率的に機能しないことに気づき、
「ミストラ」
少女に声をかける。
「はい」
眼に涙をいっぱいに浮かべながら、少女が返事する。
「地上に出てアルメデとサフランに連絡。白鳥号を呼んでくれ」
「わかりました」
返事をするが、心配そうにスぺクトラを見る。
「彼女はまかせろ」
「はい」
「クルコスも連れて行くんだ」
ミストラはうなずくと、弟を抱いて崩れた岩の残骸を跳んで、地上に向かった。
アキオは、スぺクトラの頬に手を当てる。
「君は、俺たちを守ってくれた」
怖がりで、痛いのを恐れ、結局、彼との戦いで最後まで魔法を使えなかった心優しい少女だ。
その彼女が、身を挺して、彼らを守ってくれたのだ。
「苦しいか。だが心配するな。すぐに体は元通りになる」
「イたい、コワいのは……いヤ。デモ、ミストラ、アキオ、いなくなる……のは、もっト、イヤ」
少女は無事な右目から涙を流した。
「君のおかげで、全員、無事だ」
そういって、アキオは目を険しくする。
傷の治りが遅い。
彼女がドラッドであるのも理由の一つだが、問題は、その体格の大きさにある。
決定的にナノ・マシンが足りないのだ。
身体中を破壊されているスぺクトラには、もっと大量のナノ・マシンが必要だ。
「楽にしてやる」
そういって、アキオは、ナノ・ナイフで両腕の動脈を切った。
吹き出る血を少女の傷口に流し込む。
ダメだ――
致死量ギリギリまで己が血を流し込んだアキオは、地面に膝をついてつぶやく。
まだまだナノ・マシンが足りない。
どうすればいい――
彼は、しばらく考えると、言った。
「グリム」