384.照明
アキオは暗闇を見つめ続ける。
すでに、彼の身体は完全修復されていた。
破損したコートも元に戻っている。
ナノクラフトを操る彼が、自らの身体を傷つけたところで、ほとんど意味はないのだ。
もちろん、自覚はしている。
そんなものは、ただの自己満足に過ぎない、と。
だが、たとえそうであったとしても、彼にはそうする必要があった。
彼女が受けねばならなかった痛みを、彼も感じなければならなかった。
そして、敵にもその痛みを味わわせてやるのだ。
彼を使って、ミストラを傷つけさせた報いを受けさせる――
その意味で、これからの戦闘は、彼にとって初めての報復行動だった。
パリン、とガラスの割れるような音が響いた。
「アキオ――」
暗闇に少女の声がする。
意識を取り戻したミストラが、コクーンを破って立ち上がったのだろう。
「動くな」
そう言って、アキオは、コートからP336を取り出すと、薬室に弾の無いことを指で確認してから、特殊弾のマガジンと交換した。
彼にとっては、暗闇の中の作業など児戯にも等しい。
これも手探りでアームバンドを操作し、弾頭内のナノ・マシンにコマンドを送り込む。
ダブル・アクションで全弾を速射した。
例によって一発の銃声にしか聞こえないうちに発射された弾丸は、洞窟内の天井壁に当たって粉々になり、内部のナノマシンを飛散させた。
ぱ、っと洞窟内が、太陽に照らされたように明るくなる。
彼が使ったのは照明弾頭だ。
もちろん、それは、かつてのM314照明弾のように、マグネシウム粉を燃焼する発光体をパラシュートからぶら下げて、数分間だけ周辺を照らすような原始的なものではない。
拡散されたナノ・マシンが、洞窟内の上部に漂いながら、大気の熱を使って、太陽光に近い可視光スペクトルを発生させ続けるのだ。
面光源に近くなるため、影はほとんどできない。
基本的に、大気が250ケルビン程度の温度に下がるまで発光可能なため、この洞窟なら十時間は照らし続けることだろう。
敵を探す彼の眼が、地底湖の端から舞い上がる湯気を確認した。
どうやら、温泉が湧いているようだ。
これなら、いつまでも照明弾が消えることはないだろう。
「アキオ」
ミストラが走り寄って来る。
眼も腕も――身体は完全に元に戻ったようだ。
破損のひどかったナノ・コートは、裾の部分を短くして、失くした袖と胸の修復に当てたらしく、きれいな足がより多く露出していた。
少女がアキオに抱き着く。
彼は――
彼女の背に手を回そうとして躊躇する。
ミストラは、そんな様子に敏感に気づいて、彼の腕を持つと自分の背に回させ、
「女の子が抱きついたら、きちんと抱き返すものですよ」
そう言って笑う。
「ミストラ、俺は――」
少女はアキオの唇に指を当てた。
「つまらないことは、いわないでください」
そういって、辺りを見回す。
「夜光虫は全滅させたのですね?」
気を失っていた少女は、さきの爆発を見ていない。
「そうだ、だが、まだ終わっていない」
「アキオは、プランクトンと苔を操っていた者がいると考えているのですね」
聡い少女が尋ねる。
「そうだ」
「逃げ出してはいない?」
「まだ気配がある」
「ソリトン波を使いますか」
アキオは首を横に振った。
おそらく、数多く分岐した鍾乳洞がここから伸びているだろう。
そのどれかに敵は身を潜めている。
すべてをソリトン波で検出することは不可能だ。
少女が黙り込む。
しばらくして、
「見つけ出す方法はあります――あまり気は進みませんが」
そういって、ポケットに手をいれ、透明の、小さなキューブを取り出した。
上部には短いチェーンがつけられ、キーホルダーのようにも見える。
少女が、キューブを眼の高さに持ち上げる。
中には黒い液体が入っていて、揺れながら姿を変え、時に王冠現象のように奇妙な形を見せている。
「それは――」
「ギデオンです」
言って少女はキューブを軽く揺する。
「正確にいえば、アカラ・ギデオンの融合体です。昨夜、出かける前に、アルメデさまから渡されました」
少女がアキオの顔を見て微笑む。
「不思議ですよね。こんな小さなキューブに入れたギデオンが何の役に立つのか――よく見てください」
そう言って、ミストラが、アキオの眼に見えやすいように手を上げ、背伸びした。
「これは――」
キューブ内のギデオンは、激しい動きを見せている。
「このキューブは、センサーなんです」
「センサー」
「近くに、ギデオンがいるかどうかを知るための。いれば、このようにキューブ内のギデオンが激しく反応します。それともうひとつ」
少女は悪戯っぽく彼を見る。
「アルメデさまはこうも仰いました――ギデオンはギデオンを呼ぶ」
「つまり」
「このキューブを持って移動すると、先日解放した野良ギデオンがついてくるのです。理由は不明ですが、彼らは、特にアカラ-ギデオンの融合体を好むようです。ヌースクアムでは、厳重に絶縁してあるので彼らは近づきませんが――」
ミストラは、キューブを揺さぶる。
「見てください、この激しい動きを。今もこの近くに彼らはいるはずです。与えられた行動規範によって、呼ぶまでは姿を見せませんが」
「敵探知にギデオンを使うのか」
「はい。先日与えたプログラムで、ギデオンはわたしたちの命令を聞くようになっていますから」
ミストラは、キューブを掲げると凛とした声で叫んだ。
「姿を現しなさい」
ボコッ、とくぐもった音がして、洞窟の壁の一部が吹き飛び、黒い奔流が噴き出した。
ギデオンだ。
黒蟻の群れは、地底湖に落ちると、一部は温泉に向かって伸び、一部は地底湖から海龍のように首をもたげた形で二人を見た。
「まるで、シミュラさまみたいですね」
アキオの考えとまったく同じ感想を少女が述べる。
「話せますか」
「イエス、マム」
ドッホエーベの時と同様の発声機構を構築したのか、流暢な地球語でギデオンが応える。
「エネルギーはありますか」
「イエス、湖底に熱源があります」
ギデオンの答えに少女はうなずき、命令した。
「この鍾乳洞付近に敵が潜んでいます。探索して、ここに追い立てなさい」
「イエス、マム」
崩れ落ちるようにギデオンの首が湖に消えた。
ミストラがアキオを見る。
「少し甘えていいですか」
彼がうなずくと、少女は彼に背を向けてもたれかかった。
アキオは背後から彼女を抱く。
ミストラは、腕の中で目を瞑った。
静かに時が流れる。
アーム・バンドに眼を落としたアキオが口を開く。
「ミストラ」
「大丈夫です。戦ったわたしたちは知っていますが、あの子はなかなか優秀ですから――」
「ホット・ジェルは必要ないか」
アキオに言われて、少女が自分の勘違いに頬を染める。
「え、だ、大丈夫です」
彼の腕に手を乗せた。
「心配しないで、もうすっかり――」
少女が言い終わらないうちに、鍾乳洞を突き破って、巨大な生き物が地底湖に倒れこんできた。
水柱を上げる。
アキオは少女を離すと、コートからP336を抜き出して言った。
「現れたようだな」