383.贖罪
かろうじて次の攻撃を回避した少女は、距離をとって、無表情に彼女を見るアキオと対峙した。
眼と腕を失い――しばらくすれば回復するだろうが――決定的な戦力差もあって、彼女がアキオを制圧できる可能性はまったくない。
いや、可能性ならある。
少女は残った左手をポケットにいれて、中の小さなキューブに触れる。
これを使えば――
だが、こんなものは使いたくない。
彼女は、自分がどんなに傷ついてもアキオを傷つけたくないのだ。
最初の出会いの時も、彼は自らの身を犠牲にして彼女を守ってくれた。
その後の戦いでも、いつも真っ先に傷つくのはアキオだった。
彼は当たり前だと言うだろうが、彼女は――彼女たちはそれでは嫌なのだ。
だから、少女たちは、仕事の合間を縫って戦闘の訓練を繰り返す。
だから、シジマとカマラは、より強力で有効な武器を開発し続ける。
だから――
ヌースクアムの少女たちの意見は一致しているのだ。
何があっても、自分たちはアキオを傷つけない、と。
彼は、もう充分過ぎるほど傷ついてきたのだから。
彼を傷つけるぐらいなら、いっそ自分が――
そう考えた彼女の頭に計画が閃く。
おそらく、それが彼女の最後の作戦だ。
これが失敗すれば、彼女は死に、クルコスも死に、男爵たちも死ぬだろう。
そして、アキオは、捜索に来たヌースクアムの少女たちと戦うことになる。
それだけは避けなければならない。
ミストラは、胸に手を当てた。
意を決して彼に近づく。
一歩、二歩、三歩――
「アキオ」
少女の呼びかけと、ほぼ同時に彼の手が閃く。
少女の口から血が流れた。
最愛の男の手が、彼女の右胸を貫いていた。
だが、ミストラはとまらなかった。
「ア……キオ」
血と共に言葉を発しながら、そのままゆっくりと恋人に近づいていく。
なぜか――アキオは少女を払いのけなかった。
彼の手は、動こうとする力と止めようとする力が拮抗するように震えている。
少女はアキオに対して微笑んだ。
さらに彼に近づく。
ふたりの距離が短くなるにつれ、彼の腕はより深く少女を貫いていく。
「ああ、アキ……オ」
ついに、彼女はアキオの身体に触れた。
残った左手で、しっかり彼を抱きしめる。
背中をなでさすった。
「アキオ」
少女は、再び血と共に言葉を紡ぐ。
「目を覚まして――ください」
彼の表情は変わらない。
だが、彼の腕は、痙攣するように小刻みに震え続けている。
早く殺せ、と、ばかりに赤い光の明滅は激しさを増していく。
「愛しています――アキオ、アキオ」
そういって、少女は片手を彼の首にかけ――身体を持ち上げて恋人に口づけた。
アキオの眼が不自然に瞬き、瞼が下りる。
「ああ、アキオ、わたしの……英雄さま」
彼の身体が一瞬震え、ゆっくりと眼が開いた。
その瞳に、今までと違う意思の光を見て取った少女が微笑む。
「目が……覚めましたか?よかった」
ミストラが、愛を囁くように甘い声をだす。
「ああ、俺は意識を――ミストラ!」
アキオは少女の細い体から腕を抜いた。
一瞬、血が吹き出るが、ナノ・マシンの治癒効果ですぐにそれは止まる。
彼は、倒れかかる少女を抱きかかえ、そっと地面に寝かせた。
アーム・バンドに触れ、ミストラのナノ・コートに仕込まれた発熱機能を稼働させる。
「ア、キオ――」
「大丈夫だ。すぐに元通りになる」
そう言って、少女の頬に手を当てると彼は立ち上がった。
アーム・バンドに触れて、しばらくの間、少女の意識を奪う。
ポーチから取り出したカプセルをミストラの上に弾いて、ナノ・コクーンを展開した。
同様に、広場で気を失っている男爵たちもコクーンで包む。
先の戦い以来、さらに強固になった防御バリアだ。
これで、物理的にほぼ彼らは安全だ。
少女の様子から、何が起こったかは、だいたい理解していた。
自分は、敵による光催眠で操られていたのだ。
少年時代から洗脳を繰り返されたアキオは、過剰なまでに、催眠攻撃に対する耐性訓練を受けている。
だから、今まで、敵の暗示などに影響を受けたことなどなかった。
まして光催眠などに――
ミストラは、期せずして彼が行った視覚制限のために、催眠にかからなかったのだ。
アキオは、地面に横たわる少女を見た。
腕の再生は、ほぼ終わり、眼も復元され、胸の傷も治りつつある。
突然、彼は、胸の中に不快な何かが沸き起こるのを感じた。
それが、何かは分からない。
ミーナが傍にいれば、それは、あなたが初めて明確に感じた怒りなのよ、と教えたことだろう。
自分自身と敵に対する怒り――
今の彼には、その感情がわからない。
だが、その原因が、己がミストラを傷つけた、という事実であることは彼にもわかる。
ナノ・ナイフの刃と鞘で金打を打って、彼女を守ると誓ったのは今朝のことだ。
ミストラを傷つける敵は許さない、と。
今回、俺の敵は俺だった――
彼はその言葉を胸の中で繰り返す。
その罪を、彼は贖わなければならない。
そして、自分にそれを強要した、さらなる敵には思い知らせてやるのだ。
そう意識した瞬間に、胸の不快さは消え、熱を持ったように熱かった頭は氷のように冷え切った。
取るべき方針が明確に定まったからだ。
敵を、完膚なきまでに破壊し、焼き尽くし、その原子の一粒たりともこの次元には残さない――
アキオは、ポーチから黒いナノ・カプセルをいくつか取り出すと、指で弾いて鍾乳洞にばらまいた。
これから起こる事態に恐怖を感じたように、夜光虫は赤い光を激しく点滅させる。
「ダメだ」
アキオはゆっくりと首を振る。
「お前は、俺にミストラを傷つけさせた――消滅しろ」
そう言い放つと、アーム・バンドをタップする。
洞窟全体に、一瞬で紅蓮の炎が広がった。
爆発の衝撃は、ほとんどない。
彼が使ったのは、PSを熱エネルギーに変換するナノ・カプセルだ。
空間内の濃いPSを使って発生した、凄まじい炎が洞窟内を埋め尽くす。
アキオは炎を避けない。
防御もしない。
そのまま巻き起こる炎の渦に身体を包まれる。
髪が焼け、顔が焦げ、眼が爆ぜた。
指が炭化して消滅する。
あらかじめ、痛覚遮断を解除しているため、凄まじい痛みが彼を襲った。
だが――
足りない。
まるで足りない。
耳と鼻が炭化して焼け落ちるのを感じながら彼は思う。
この程度では、とても少女の苦痛に釣り合わない。
炎が消え、鍾乳洞内は静寂に包まれた。
夜光虫とヒカリゴケが消失したため、漆黒の闇が全てを覆う。
その中で、パリパリ、と小さな音が響く。
ナノ・マシンによって、急速に修復されるアキオの皮膚の焦げた部分が剥がれ落ちる音だ。
「姿を表せ」
アキオが闇に向かって言う。
あの程度のプランクトンやコケに、彼が操られるはずがない。
また、夜光虫が群知能を持っているとも思えない。
そいつらを操る、もう一段上の敵がいるのだ。
もっと利口で、もっと狡猾な敵が――