381.光魔
再び、ふたりは歩きだした。
足の下の鍾乳石の色は、今は鮮やかな黄色になっている。
「まるで、黄色いレンガの路、ですね」
「知っているのか」
アキオも、彼女から、その物語は読み聞かされたことがあった。
「ラピィの提案で、このひと月、時間がある時は、地球の映画を観ることが多かったのですよ」
少女が笑う。
畦石池を過ぎ、大きく左に湾曲した鍾乳洞を進むと、あたりには巨大な石柱群が広がった。
その一つ一つが、先ほどとは違う、さざ波のような明滅を見せている。
「もうすぐ追いつきそうですね――」
ミストラが言った、ちょうどその時、前方から地響きとともに、爆発音が轟いてきた。
アキオが走り出した。
少女もそれに続く。
しばらくして、前方からエコーのかかった叫び声が聞こえてきた。
恐怖の叫び声だ。
二人は走る。
光の洪水の中を、無言のまま、そびえ立つ奇岩の間を縫って。
大きく鍾乳洞を回り込んで視界が開けると、そこには、先ほどまでとは、また違う奇景が広がっていた。
人影の見える広場と、青く輝く天井、その周りの巨大な緑色の石柱群、そして、前方に横たわる、燃えるように真紅に輝く地底湖だ。
明らかに冷水でありながら、その色と光であたかも地底湖は溶岩プールのように見える。
湖の赤、柱の緑、天井の青い光の重ね合わせの結果、広場は白く浮かび上がっていた。
光の中に、武装した男たちの集団が立っている。
ドビニー男爵とその部下だ。
兵士の一人が捕まえている小柄な人影がクルコスだろう。
今のところ無事なようだ。
だが――
「アキオ、あれを」
少女が指さす先を見ると、全身を鮮やかな光で彩られたゴランが6体、地底湖からドビニーたちへ近づこうとしていた。
身体の大きさは、通常より少し大きい程度だが、その身にまとう光の色彩によって、見たことのない魔獣に見える。
このままでは、ドビニー男爵以下、兵士たちもクルコスも全員、鏖にされてしまうだろう。
アキオは、少女を見た。
「まずはゴランを叩く。できるか」
「はい」
「行こう」
駆けだしながら会話を交わす。
「左2体を任せる。あとは俺がやろう」
「了解です」
ふたりは、矢のように、今は草原の緑色に光る流華石の上を駆けて広場に向かった。
たちまち、4体の魔獣が彼の目前に迫る。
アキオは、高くジャンプすると、素早く数回転しながら、一体のゴランの頭に踵を落とした。
エストラで最大級の魔獣を一撃で倒した技だ。
完璧な形で、鋼鉄の硬さと化したナノ・ブーツの踵がゴランの頭部に命中した――と思った瞬間、彼は魔獣に足を掴まれて地面にたたきつけられた。
予想外の反撃だった。
改良型ナノ・コートの衝撃緩衝機能がなければ、一時的にせよ、かなりの傷を負ったはずだ。
アキオは、彼の足を掴む魔獣の手を蹴って束縛から逃れる。
ミストラを見た。
少女も、攻撃が効かず苦戦している。
だが――
今の攻撃で、ゴランの意識は彼らに集中したはずだ。
少なくとも、これで男爵とクルコスは安全だろう。
アキオはミストラに指示する。
「針を使え」
言いながら、彼は、魔獣に絶大な効果を持つ銀針を投げた。
糸を引くように飛んだ銀針は、狙い過たず、ゴランの首に突き刺さる。
だが、魔獣は倒れない。
どういうわけか、ナノ・マシンの殺傷機能が無効化されている。
アキオは方針を変えた。
まず、少女に手を貸して2体を倒すことにする。
そのためには、彼が相手をしている4体をこの場で釘づけにする必要があった。
ナノ加速で、前後に並んで彼を狙うゴランの間に分け入り、前の魔獣の背中に蹴りを放った。
見つからないように素早く離れ、もとの位置に戻る。
ゴランにチームプレーはない。
よって、こういったやり方で、仲間割れに持ち込むのは、魔獣攻略の常套手段だ。
しかし、背後から蹴られたゴランは、後ろにいた魔獣を少し見ただけで、再び前を向く。
彼をにらみつける。
闘争心が激しく、怒りの沸点が低い魔獣では考えられないことだ。
矢継ぎ早に仕掛けられる魔獣の攻撃を交わしながら、アキオは考える。
なぜ、ゴランがこれほど強化されているのか。
おそらく、魔獣が身にまとう極彩色の光に答えがあるのだろう。
さらにあの光はゴランを強化するだけではなく、魔獣の意思を支配し、操っているようにも見える――
アキオの口元に苦笑が浮かんだ。
考えるのはあとでいい。
まずは、目の前の敵を打ち破ることだ。
彼の手に、魔法のようにP336が現われた。
レールガン・モードで、腰だめのまま、迫って来るゴランに向かって引き金を絞る。
6発の銃声が、ほぼ一発に聞こえるほど凄まじい連射だった。
轟音が洞穴にこだまし、首から上を失った6体のゴランが地面に頽れる。
やはり、最後に頼りになるのは、信頼できる銃器だ。
だが、事態はそれで終わったわけではなかった。
ゴランの死とほぼ同時に、今まで赤、青、緑の光を発していた鍾乳洞内の発光生物が、一斉に、血の色にも似た赤色光を明滅し始めたのだ。
不規則なリズムで、ストロボスコープのように激しい点滅を繰り返す。
これは、まさか――
そう考えた瞬間、アキオの意識が飛んだ。
「……キオ」
優しい声が彼の耳をくすぐる。
俺はこの声を知っている。
澄んだ、きれいな声だ。
だが、なぜか、少し悲し気でもある――
「……していま……キオ、アキオ」
これは――ミストラの声だ!
俺はどうなった!
唇に、ほのかな暖かさを感じて、彼の意識が一気に覚醒した。
鉛のように重い瞼を無理やりこじ開ける。
そして彼は、この、恐怖を知らない男は――おそらく、その300年を超える人生の中で、最も恐ろしい光景を目にすることとなった。
「目が……覚めましたか。よかった」
まるで、愛を告げるように少女が囁く
「ああ、俺は意識を――ミストラ!」
少女は優しく彼を抱きしめていた。
いつものように――
だが、その姿はひどいものだった。
彼女の右腕はすでになく、残った左腕だけで、しっかりと彼を抱きしめている。
さらに、顔は血まみれだった。
右目はつぶれ、口の端からはひと筋の血が流れている。
そして、彼の手は――彼の悪魔の手は、天使のように微笑む少女の胸を串刺しにしていたのだった。