380.夜光虫、
ふたりは、鉱夫たちを残し、男爵を追って駆け出した。
それほど速い速度ではない。
100メートル6秒フラット、時速60キロほどの速さだ。
それでも、たちまち洞窟の端に近づく。
壁には、かろうじて人が通り抜けられるほどの穴が開いていた。
隣の鍾乳洞への通路だろう。
地上から3メートルばかりのその入口には、鉄の梯子が掛けられている。
アキオは、ジャンプして、そのまま入口に入った。
ミストラが後に続く。
彼らが飛び込んだ先には、やはり鍾乳洞が続いていた。
これまでよりかなり細い通路だ。
先ほどより冷たく湿った空気が彼らの頬を撫でる。
アキオは走るのをやめ、ミストラを待って、並んで歩き出した。
ライトをつける。
光に浮かび上がったのは、足下の石すべてを鍾乳石が滑らかに覆う流華石の道だった。
さっきまで走っていた鉱道と違い、左から右に向かって緩やかに傾斜しているが、見た目ほど滑りやすくはない。
広くはないが、大人ふたりが並んで歩くことができる幅は確保されている。
高さは3メートル足らずだ。
進むにつれて、道は大きく左右に曲がり、急激に下降すると唐突に終わる。
立ちふさがる壁と、その一部を四角く切り取った入口が現われたのだ。
穴の向こうからは、眩しい光があふれている。
警戒したアキオは、穴の手前で少女を待たせ、眼だけを出して光を見た。
しばらくして少女を招く。
ミストラは、走るように彼に近づき、彼の身体の陰から頭を出して向こう側を見て――
「あっ」
思わず叫んだ。
そこは、様々な色彩が渦巻く――さながら光のキャンバスだったからだ。
彼らの立つ穴から、鍾乳洞の下まではおよそ10メートルほどの高さがあり、天井の高さは数十メートルはありそうだった。
奥行きは、はるか彼方までカーブしながら続いていて、その先は分からない。
そして――目に見える空間すべてが、色鮮やかに発光していた。
青、赤、黄、緑、紫、広大な洞穴が、様々な色の光で満たされているのだ。
床と天井をつなぐ、数多くの石柱も、色とりどりに光っている。
「アキオ、これは……」
「地球でいう、夜光虫とヒカリゴケの一種だろう。この世界では海洋性ではないようだ」
アキオがつぶやき、
「これほど明るい理由は――」
そういって、アームバンドの数値を見る。
「どうしました」
「この洞窟のPS濃度は高い。光を発している生物は、メナム石のように、体内でPSエネルギーを光に変換している可能性がある」
そういって、アキオは、ライトを消すと下に飛び降りた。
ミストラも続く。
極彩色の光に浮かぶ鍾乳洞の底には、整備はされていないものの、歩いて行けそうな平坦部が続いていた。
先を行く男爵たちも、そこを通って行ったのだろう。
「わぁ」
地面に足をついた少女が可愛い声をあげた。
「アキオ、まるで、水の上にいるみたいです」
彼らの足下の流華石をびっしり覆った苔は、鮮やかな淡青色に揺らめきながら発光し、まるで水上に立っているかのような錯覚を与えるのだった。
アキオは、アーム・バンドに指を触れ、少女の眼が受ける光刺激の閾値を上げて制限した。
おそらく問題はないと思うが、暗闇の中における、過度の光刺激は脳を疲労させてしまう。
「先に進もう」
彼の言葉にうなずいて、少女がアキオの左腕につかまった。
「この光の意味は何でしょう?」
「洞窟にとって、異物であるヒトを警戒しているのだろうな」
「わたしたちを?」
アキオは首を横に振った。
彼らがこの鍾乳洞に入った時、すでに光の洪水は始まっていた。
おそらく、先にこの世界に侵入したドビニー男爵と兵士たちに刺激されたのだ。
「聞こえるだろう」
アキオに指摘されて少女が聴力をナノ強化すると、エコーの掛かった話し声が進行方向から聞こえてくることに気づいた。
「距離は詰まっている。慌てず追いかければいい。それに――ここは明るすぎる」
「わかりました」
さらに進むと、見事な畦石池が現われた。
桶の形をした畦石に水が溜まったものを、畦石池と呼ぶ。
アキオたちが進む道の、左右の壁面には、大小さまざまの膨大な数の畦石池が形成され、それらが段々に並んで壁を埋め尽くしていた。
ただでさえ奇岩として目を引く美しさがあるのに、いまや、そのプールの一つ一つが、鮮やかに青く、微妙に色を変えながら発光しているのだ。
少女は立ち止まり、息を呑んでつぶやいた。
「こんな幻想的な鍾乳洞は初めてです。思いがけなくアキオと素敵な場所に来られました」
「ミストラ――」
「もちろん、クルコスのことは忘れていません。しかし、敵が、黒の魔王に対して恐怖心を持っている限りあの子は安全です。人質は最後の切り札にしなければなりませんから――」
そこまで言って、少女は頬を赤らめた。
「ね、アキオ。こんなふうに、わたしは、どんな時でも人との駆け引きを計算してしまうのです。たとえ、身内が関わっていたとしても――」
「当然だ」
事も無げに彼は言う。
「状況を客観的に見ることは、戦いには必須だ」
「アキオ」
「同時に、君の弟が安全だ、というのも事実だ」
「やはり、あなたは優しいですね」
美しく揺れる青い光を、水色の瞳に映した少女が、にっこり微笑む。