038.変装
朝がきた。
体内のナノ・マシンのおかげでアキオは寝過ごすことがない。
今日も、朝6時ちょうどに目を覚ます。
が――目を開けると、見慣れた馬車の中が桜色だった。
驚いて起きようとすると、
「うう……ん」
と耳元で声がする。
声の方を見ると、そこには青灰色の瞳があった。
アキオは身体を起こす。
彼の上に乗り、頬と頬を合わせて横になっていた女公爵は、その勢いでするりとベッドに滑り落ちた。
アキオの顔にかかっていた彼女の髪も滑り落ち、彼の視界がクリアになる。
「アキオどの――もう少しこのまま……」
「なぜこの世界の女は、男とみれば一緒に寝たがる?」
アキオが呆れた。
「それは違います。アキオどの!」
グレーシア・サラヴァツキー女公爵が凛とした声を出した。
「失礼を申してはなりません。生まれ落ちて15年。わたしが殿方と褥を共にしたのは、これが初めてです」
「あ、ああ、それは申し訳ない。しかし、なぜ、ここで初体験を?」
「さて?」
ふたたび、ほよんとした表情になる。
「成り行きでしょうか」
これではユイノと変わらない。
「冗談です。本当は、あなたが心配だったのですよ」
「心配?」
アキオは首を傾げる。
身分は高くとも、戦闘能力もない、か弱い少女に心配される理由がわからない。
AIならきっとこう言うだろう。
これがアキオの限界だ、と。
物事を物理的、肉体的にしか捉えられない。
神話的に言えば、最強の巨人の心を支える小さな妖精の存在が理解できない。
おそらくシアは、夜半にアキオの声で目を覚ましたのだ。そして――
「よくわからないな」
つぶやくアキオを、少女公爵は目を細めてアキオを見、
「アキオどの、お腹が空きました。何か食べましょう」
少し舌足らずの話し方で話題を変えた。
アキオは少女に言って、ギャレで顔を洗わせる。
上流貴族だけに自分でできるか心配だったが、躾は良いようで洗面歯磨きなど全部独りでこなした。
その間に、彼はテーブルにレーションと濃縮ミルクを用意する。
「美味しい。これはなんという食べ物です?」
例によって、少女公爵が目を丸くしてレーションを称賛する。
「遠い俺の国の食べ物だ」
アキオが適当にごまかすとシアはそれ以上追求しなかった。
「これからどうする?屋敷まで送るか?」
食事が終わるとアキオは尋ねた。
「そうですね――早く帰らないと皆が心配するでしょうが……」
少女公爵は可愛く顎に手をやって考えると――子供のような口調で続ける。
「せっかくこうやって自由になったから、街を歩いてみたい」
「いいのか」
「家の者には心配させておきましょう。テルクはじめ、あの者たちの警護が杜撰であったゆえ誘拐されたのですから――それよりアキオどの、一緒に街をまわってたも」
少女公爵が変わった言葉遣いをする。
「それは女公爵としての命令か?」
「命令?そうした方がいいなら――」
小首をかしげる少女。
「断る」
間髪をいれないアキオの拒絶に、少女公爵は、え、という表情になる。
「俺は、この国の人間でもないし君に雇われているわけでもない。昨夜、たまたま君に出くわしただけの赤の他人だ。命令を聞く理由がない」
「そ、そう――では仕方ありませんね。アキオどのは意地悪です。わたしは独りで街をまわります」
しゅんとした少女公爵は年相応の声を出す。
「それも駄目だ」
「なぜ?」
「君あてに手紙を預かっている。それを今日中に渡して、シュテラ・ザルスへ帰る予定だ。屋敷に君がいないと正式に文を渡せない」
「ザルスからの文……もしかしてミストラ・ガラリオから?」
少女が目を輝かせる。
「ミストラを知っているのか」
「わたしをシアと呼ぶ数少ない友人のひとりです。あとは――」
「ヴァイユ・モイロ、か」
「そう。アキオどのは彼女も知っているのですか?」
「偶々な……」
少女公爵は何かを思いついたように青灰色の瞳を輝かせる。
「では、いますぐ文を受け取って、時間ができたら、わたしと街をまわってくれますか?」
「それはどうかな――文はこれだ」
アキオはダンクから渡された文箱を見せる。
「見てよろしい?」
「君宛てだ」
シアはアキオから箱を受け取ると、子供のように封を破り蓋を取った。
文を開けて読む。何度も読み返す。
「素敵なこと!」
そういって、少女公爵は頬を緩めて文をたたんだ。
箱の中には、文書とともに小さな長方形の箱が入っていた。
少女は大切そうに箱を手に取る。
「それは――」
「意地悪ばかりいうアキオどのには教えません」
つんと澄ました声でシアが言う。
「もっともだ」
アキオは苦笑した。
「確かに、文は受け取りました。あとは――アキオどの、何か書くものはありますか?」
彼はナノ・ペンを渡す。
「これが筆?変わってますね。インクをつけなくてよいのですか?」
少女がペン先を、角度を変えて眺める。
ペン先との摩擦熱を利用して、ナノ・マシンが対象物の色を変色させるペンだ。空中以外のどんな場所にでも書くことができる。
実際は、うまく使えば空中にも書くことができるのだが――
シアは、送られてきた文を再びあけて、その最後にさらさらと文章を書き足し最後に花押らしき記号を描いた。
それを文箱に入れる。
「これを持ち帰れば、確かに届けた証になるでしょう――用事はおわりましたね」
そういって、ほっこりとアキオに微笑む。
「これで時間ができました。いっしょに街をまわってくれますか?アキオどの」
笑顔から一転して不安そうに尋ねる。今は少女公爵ではなく15歳の少女の顔だ。
「依頼は果たした。あとは夕方にでも街を出ればいい。それまでは暇だ」
「はい」
「俺は街を見物するつもりだが……一緒に来るか?君が――シアがそう望むなら」
わっと叫んで、少女がアキオに抱き着く。
「感謝しますアキオどの」
ミストラとヴァイユの知り合いなら仕方ない。
「女公爵さまは、普段から、こんなにすぐ男に抱きつくのか?」
「抱き……もちろん、こんなことをするのも初めてです。アキオどのは少々不躾ですね」
首にぶら下がられたまま文句を言われてもサマにはならない。
「街に出るについて、やってほしいことがある」
苦労してシアの手を首から外したアキオが言う。
「なんでしょう?」
少女が甘えた声を出した。
「君の髪の色は美しい」
「ありがとう」
少女公爵が照れずに礼を言った。
「だが、その髪色を俺は見たことがない。珍しい色なのか?」
「サンクトレイカ王族特有の髪色です。この国に20人といないでしょう」
アキオはうなずき、
「1つめは髪色を変える。君の好きな色でいい。後で元に戻せるから安心しろ」
「よろしいです」
「2つめ、服を替える。その服ではまずいだろう」
少女は誘拐された時に来ていたうす布の部屋着のままだ。
「承諾しました」
「3つめ、もしこれを守ってくれないなら、君を連れていけない」
「な、なんです」
シアが不安そうに胸の前で手を合わせる。
「時々顔を出す、その女公爵的な話し方をやめて15歳の娘らしい話し方にしろ。街娘でそんな話し方をするものはいないからな」
「は、はい」
「生まれ変わったつもりで――」
それは、アキオが何気なくいった言葉だった。
だが、シアは想像以上に強く反応する。
「生まれ変わったつもりで……わかりました。アキオどの――いえアキオ。そうします……いえ、そうする。そうする――ね」
「では、これを飲んでくれ」
アキオは果実味にしたナノ・マシン液を女公爵に飲ませる。
「おいしい!」
「髪の色は何色がいい?」
「アキオど……アキオと同じ黒がいいかな」
「わかった」
アーム・パッドを操作し、シアの髪は見事な黒髪になった。
髪を黒に変えると、この国の一般人と違って鼻や目元の造りがやわらかいシアの容貌は、地球のアジア地方のものに近くなった。
アキオは、今更ながら少女公爵が、かなりの、いや有体にいって凄い美人であることに気づく。
「瞳の色は?」
「よくある色なので、こちらは、このままでよいでしょう」
「そうか」
着替えの服として緊急衣料改を渡した。
アキオが後ろを向く暇もなく、彼の目の前でシアはさっさと服を脱いで下着姿になり着替える。
首のリングに手を触れ、シュッと服がしまった瞬間、少女公爵は「きゃっ」と可愛い声を出した。
例によってタイトに締まる服のせいで、シアの綺麗な体のラインが浮かび上がる。
昨夜の袋越しの感触と朝の接触でなんとなく感じてはいたが、15歳という年齢と口調からは考えられないほど、よく発達した身体だ。
アキオは、さらに首のダイアルを調節して、ウェアの上に作り出すスカートと上着の長さを調節させた。配色も、数百パターンある中から好きなものを選ばせる。
「ちょっと、短すぎないか?」
出来上がった服装を見てアキオがつぶやく。
そう彼が心配するほど上着もスカートも短かった。きれいな形の臍が見えている。
この格好で出歩くと、街行く男たちがうるさいかもしれない。
「うーん、こんな可愛い服は着たことがないから――生まれ変わるならこんな服を着たい……」
服の過激さと正反対のふんわりとした口調のギャップが激しい。
「どう……かな?」
そういいながら少女公爵は、馬車に作り付けの大きな姿見に自分の姿を映している。
「気に入ったか?」
「ええ、ええ、アキオ……はどう思いますか?」
「いいんじゃないか?」
シアが気に入ったのならそれでいい。
今日は隠密行動ではない。彼女の正体さえバレなければよいのだ。
「行くか――」
2人は馬車から外に出た。
今日も良い天気だった。
空には雲一つなく、地平線に落ち切らない3つのうちの最後の月が、モーニング・ムーンとなって浮かんでいる。
「どこに行きたい?」
尋ねるアキオに、ポフンと軽く少女が抱き着く。
「ヴィド桟橋に行きたい」
アキオは記憶を探る。
たしか、街を南北に貫いて流れる大きな川に作られた船着き場の名前だったはずだ。
「わかった」
2人は並んで歩き出す。
黒髪、黒いコートの男と、派手で過激な衣装に身を包んだ濡れるような黒髪の美少女の組み合わせはひどく目立つものだったが、ふたりはまったく気にしていなかった。