379.鉱道
暗闇の中、自由落下するアキオの前方が明るく照らされた。
ミストラが、コートの袖に仕込まれた面ライトを点灯したのだ。
少女は、ところどころ壁から飛び出している昇降機用の梁を、手で器用にさばきながら縦穴を落下していく。
「ブレーキを掛けます」
インナーフォンに声が響くと同時に、ミストラが腕を壁に突き刺すのが見えた。
石壁を削りながら減速する
アキオも同じように、落下速度を落とした。
「なかなかスリルがありましたね」
地面に降り立ったアキオに、少女が飛びついて嬉しそうに叫んだ。
「無茶はするな」
注意する彼にうなずくと、ミストラはライトを消してあたりを見まわした。
天井には、多くのメナム石が輝いていて、地下50メートルとは思えないほど明るい。
「思ったより広いですね」
ふたりの降り立った昇降機の乗り場は、15メートル四方はあった。
高さは4メートルほどだ。
鉱道へと続く、扉のない出口も見える。
少し離れた場所には、ロープを切られた昇降籠が斜めに傾いて転がっていた。
「でも、あの短い時間で160名の人間が地下におりられたのでしょうか」
「いや」
アキオは首を横に振り、
「鉱夫は、朝から鉱道に降りていたのだろう」
「誘拐事件には、直接関係していないということですね」
彼はうなずいた。
だから、男爵は、彼らの襲撃を察知すると、クルコスを連れて裏切った警備兵と金鉱の警備兵、あわせて40名ばかりの男たちだけで地下におりたのだ。
「鉱道をさぐろう」
そう言って、アキオは、再び小型の探査ドローンを飛ばした。
調査用レーザーを照射しながらドローンは見えなくなる。
「どうしました」
まばゆいレーザー光を見送ったアキオに、少女が尋ねる。
特に考えを顔に出してはいないはず――そう考えて彼は気づいた。
少女は、ナノ・マシンのシンクロ作用で、彼の疑問に気づいたのだ。
アキオはミストラを見下ろして答える。
「この金鉱は変わっている」
「はい」
「さっき、洞窟をドローンで調べたが、組成の多くは石灰岩だった」
少女が可愛く顎に指をあてた。
「確かに――石灰岩地帯に金鉱があるのは奇妙ですね」
ヌースクアムの少女たちは、新しく開発された学習パックで、さまざまな科学知識に精通している。
石灰岩、つまりカルシウムを含む大地は、もともとが海底にあって、貝やサンゴや魚類の死骸が、長期間にわたって何層にも堆積したものが、マントル対流によって隆起することで地上に現れたものだ。
一方、金の鉱床は、火山地下のマグマによって地下水が熱せられ、マグマから分離した金が、熱水と共に地表に染み出し、金を含有した石英脈となることで生まれる。
つまり、このあたりの土地は、海底から盛り上がった部分と、火山の噴火で溶岩が流れ出て冷え固まった部分が、ごく近くに混在して出来上がっているのだ。
「山肌など、いかにも火山地帯らしい金山の趣でしたが」
「だが、そのすぐ背後は石灰岩地帯だ」
「アキオ、ということは――」
少女が何かに気づく。
「可能性はある」
そういって、彼は戻ってきたドローンをつかんだ。
アームバンドで収集したデータに眼を通す。
「105メートル先に、大きな空間があり、そこに鉱夫たちが集まっているようだ」
「行きましょう」
アキオがうなずくと、ふたりは鉱道を走り出した。
数メートルおきにメナム石がはめ込まれた、崩落防止の武骨な支柱がむき出しの狭いトンネルを、素晴らしい速さで駆け抜けていく。
「ここだ」
比較的新しい木製の扉の前で、アキオが止まった。
そのまま、あっさりとドアを開けて中に入る。
室内は、これまでの鉱道と違って、滑らかな壁面を持つ、巨大な空洞だった。
奥行きが150メートルはある。
そこに100名あまりの男たちが集まっていた。
鉱夫達だろう。
「こ、殺さないでくれ、抵抗はしない」
彼らの代表らしい人物が声をかけてきた。
「殺しはしない」
アキオの言葉に、男が声を震わせて言い返す。
「で、でも、あんたは黒の魔王だろう。そして連れているのは恐ろしい魔女……」
「なぜ、そう思う」
彼が尋ねる。
ここの男たちは、本物の魔王を見たことはないはずだ。
「さっき逃げてきた兵隊たちがいっていた……魔王に襲われた、と。そして、やつらは、こうもいった。魔王は恐ろしいが、魔女はもっと恐ろしい。ゴランすら倒す砦の投石や石弓を、手と足で払いのけていた、と」
「まぁ」
ミストラが、胸の前で両手を握って可愛らしい笑顔を見せた。
「アキオ、ついにわたしにも魔女認定が――」
そして、小さな声で彼に囁く。
「今後は、薄赤褐色の魔女と呼んでください」
「ミストラ」
「はい、ふざけすぎました」
そう言って、肩をすくめると、少女は毅然とした口調で男に告げる。
「素直に質問に答えれば、誰も傷つけません。逃げてきた兵隊たちは、男の子を連れていましたか」
「はい。身なりの良い子供を連れていました」
彼女の貴族然とした物言いに何かを感じたのか、男の口調が丁寧なものに変わる。
「彼らはどこにいったのです」
「鍾乳洞の奥へ」
ミストラがアキオを見る。
先ほど少女が言いかけたのはこのことだった。
石灰岩地帯には、往々にして鍾乳洞ができる。
だから、彼らは、炭鉱につながった鍾乳洞を逃走経路にしているのではないか、と。
そして、この部屋に入った時から彼女は気づいていた。
巨大な地下空間の天井から、数は少ないが、大きな鍾乳石が地面に向かって伸びていることを。
つまり、この部屋は、鍾乳洞の一部なのだ。
おそらく、金を探して鉱道を掘り進むうちに、石灰岩地帯にできた鍾乳洞に行き当たったのだろう。
「兵隊たちは、この先へ行ったのですね」
少女の質問に男がうなずく。
「この中で、鍾乳洞の地形に詳しい者はいるか」
男たちは顔を見合わせて首を横に振った。
「鉱夫は、この先にはいきません。鍾乳洞には金がないからです」
初めに話しかけてきた、リーダーらしい男が説明する。
もっともな話だ。
「先へ進んだ兵隊たちは何人です」
「正確なことは――でも、おそらく40人ほどです」
「その中で、鍾乳洞の道について詳しいものはいると思いますか」
「男爵さまがおられます。あの方は鍾乳洞に興味を持たれて、何度も調査するために兵隊を送り込まれていましたから。ご自身も、奥さまを連れて、よく出向かれていましたし」
「奥さま――アフロスさまですね」
今回の事件の原因となった人物の名を聞いて、少女の声が硬くなる。
彼女の父は、アフロス男爵夫人を、恋人とふたり、他国に逃がしたのだ。
「その時の奥さまの様子を知っていますか。楽しんでおられるようでしたか」
「わたしは、鉱夫代表として、いつもご挨拶させていただいておりましたから、奥様はよく存じております。ここに来られる時は、いつも具合が悪そうにしておられました」
少女が拳を握りしめて、アキオを振り返った。
「噂では、アフロスさまは、閉所恐怖症気味であったとのことです。さぞ、お辛かったことでしょう」
「わざと連れてきたのか」
「おそらくは――」
そういって、少女は嫌悪の表情になる。
自分を嫌っていることが明らかな、美しい妻の苦しむ姿を見たかったのだろう。
その男爵夫人は、幼なじみの庭師と身分違いの恋を実らせ、いま、西の国で平和に暮らしているのだ。
彼女の父の世話焼きによって。
「なんだか、父の行いを認めたくなってしまいました」
少女がアキオに向けて複雑な笑顔を見せた。