377.金鉱
ポルド子爵邸前に佇みながら、ミストラは空を見上げた。
かすかに雲のたなびく空には、明るい太陽と、蒼白く浮かぶ三つの月が見えている。
陽は昇ってはいたが、中天に至るまでには、まだ時間がありそうだ。
屋敷前の広い通りを歩く人々は、それほど多くはないが、そのほとんどすべての者がミストラに視線を向けて歩いていく。
艶やかな栗色の髪、細い身体をぴったりと包む薄赤褐色のコート、ほんの少し短かめの裾から伸びたしなやかな足。
洗練された王都の人々の中にあっても、飛びぬけて美しい少女が、飽かず夢見るような瞳で空を眺めているのだ。
人の眼を引かないはずがない。
その様子は、さながら才能ある画家の手になる一枚の名画のようだった。
ざっと風が巻いて、少女は眼を地上に戻す。
アキオが、出かけた時そのままに立っていた。
「待たせた」
「いいえ」
ミストラは、首を横に振って尋ねる。
「どうでしたか」
「ポルドの仕業だった」
アキオが言い、少女が、ほうと短く息を吐いた。
彼女の願いのひとつが外れてしまったのだ。
アキオは、黙って少女の手をとって子爵邸の門へ向かう。
彼らが前に立つと、内から門が開かれた。
「アキオ?」
黙って中に入っていく彼の後を追いながら少女が名を呼ぶ。
「庭にセイテンを呼んだ」
「クルコスの居場所がわかったのですね」
「ノワルバルトス山だ」
「ああ」
少女が納得したようにつぶやき、
「子爵の義弟が管理する鉱山です。場所はシルバラッドとシュテラ・ロイットの北方20キロにあります」
アキオがうなずく。
ほどなく、空から風を切る音が響いて、彼らの前にセイテンが直立したまま着地した。
蓋が開く。
赤い天鵞絨風の布に包まれた内部にアキオが入り、彼に抱きつくようにミストラが身を重ねると静かに蓋が閉まった。
カヅマ・タワー建設のために、大陸中の計測が行われた結果、現在では精密な地図が作られている。
ミストラが側面のパネルに座標を入力すると、重厚な木目の箱に偽装されたセイテンは静かに浮かび上がった。
「ポルドは、伯爵邸に脅迫状を届けようとしていた」
飛行するセイテンの内部でアキオが説明する。
子爵は、クルコスを誘拐するだけでなく、伯爵から金銭を要求してさらなる打撃をあたえようとしていたのだ。
「それは破棄した」
アキオは言い、
「居場所を吐かせると、奴は、君の弟を解放するよう手紙を書くといったが、それは断った」
「手紙では信じないでしょう」
彼はうなずき、
「子爵をつれていくと時間がかかる――それと奴は気になることをいっていた」
「気になること?」
「君の弟を捕まえているのは、ドビニーだ。子爵はそいつの暴走を恐れている」
「ドビニー、ドビニー男爵ですか。鉱山の持ち主でボルドの義弟です。そして――」
「伯爵によって妻を解放された男だ」
「面倒ですね」
ミストラは言い、
「交渉しますか」
交渉は、彼女の本職だ。
「いや」
アキオは少女の頭を抱き、
「それだと時間がかかる」
「そうですね」
少しして、彼が続ける。
「君の活躍は見てみたいが」
「残念です」
少女はアキオを見上げた。
「俺が潜入して助け出す」
アキオの言葉に、重ねるように少女が続ける。
「わたしも行きます」
「だが――」
「ずっと屋敷の前で待っていました。もう待つのはいやです」
ミストラがアキオのコートをつかむ。
「わかった。一緒に行こう」
「はい!」
少女は満面の笑みで答えた。
「敵の規模だが――」
アキオは少女に相手の情報を伝える。
敵主力は、クルコスについていた警備兵12名と、金鉱警備のために常駐する30名の傭兵、それと場合によっては敵に回る鉱夫120名だ。
武器は弓と剣、銃はない。
彼らふたりで簡単に制圧できるだろう。
十分たらずで、セイテンは山岳地帯に着陸した。
蓋を開けて二人が降り立つ。
辺りは山ばかりだが、標高はそれほど高くないため寒くはない。
「金鉱は、あれですね」
500メートルほど先の、両側を山で囲まれた場所に、木製の巨大な塀が作られている。
塀の上には監視台のようなものも作られ、まるで要塞のようだ。
その向こうに金鉱の入り口があるのだろう。
「では、行くか」
アキオが、セイテンに迷彩を施して言った。
ミストラが美しい顔を引き締めてうなずく。
アキオの姿が消え、ついで少女の姿も消えた。
砦から50メートルほどのところにある巨岩の背後に、ふたたび姿を現す。
アキオの大きな掌が少女の手を包んだ。
指話が始まる。
〈砦左手に見張りがふたりいる〉
〈はい〉
〈ひとりを眠らせ、残りをここへ連れて来る〉
〈わたしも行って、ふたりとも連れて来ましょう。情報源は多い方がよいです〉
強化された少女にとって、男ひとりを運ぶことなど何でもない。
〈わかった〉
アキオの合図で、ふたりは岩から飛び出した。
次の瞬間には、それぞれが、男たちを捕まえて岩に戻ってくる。
彼らは、一応、長剣を携えていたが、それを抜くことすらできなかった。
「これから質問をする。答える気はあるか」
かろうじて呼吸はできるが、声は出せない絶妙な強さで気管を押さえながらアキオが問う。
ミストラは、自分が連れてきた男の喉を押さえたままだ。
問われた男が慌ててうなずく。
「攫われた子供はここにいるか」
単刀直入にアキオが尋ねる。
男はうなずいた。
「どこにいる」
今度は首を横に振る。
「いえないのか」
再び男は首を横に振った。
アキオは、押さえていた喉から手を離す。
「し、知らないんです。さっき目を覚ましてそのまま交代したもので」
嘘をついている様子はなさそうだ。
彼は、男の首筋を掴んで血流を止め、神経節を刺激して気絶させた。
今度は、少女が自分が連れてきた男に尋ねる。
「あんたはいえるね」
男が陰気な顔で考え込む。
「素直に話せば何もしない。だけど嘘をついたらタダじゃおかないよ」
まるでキィのような口調で少女が脅すが、もともとが可愛らしい美声なので、迫力はあまりない。
やがて、男はうなずいた。
「あんたは子供の居場所を知ってるんだね」
再び男がうなずく。
「どこだい」
そういって、少女が首を絞める力を緩めた。
「金鉱入口横の詰所」
掠れた声でそういうと、ひどく咳きこみ始めた。
「だ、大丈夫?」
ミストラが演技を忘れて心配する。
ここで、少女の優しさが裏目に出た。
「あっ」
ミストラが目を押さえる。
何かを眼に吹きかけられたのだ。
少女の陰になってアキオが動けないその一瞬をついて、
ピィィ――
鋭い笛の音が響き渡った。
男が隠し持った呼子を吹いたのだ。
アキオは片手で少女を抱くと、反対の手を伸ばして男の顔を軽く叩いた。
男の首が180度以上回転し、身体ごと岩に叩きつけられる。
「大丈夫か」
振り返って少女に尋ねる。
「はい、何か針のようなものを吹きかけられて驚いただけです」
「そうか」
含み針のようなものを使ったのかもしれない。
針ごときでミストラを傷つけることはできないし、毒が塗られていたとしても、少女には何の問題もない。
アキオは男をみた。
口から血の泡を吹いて白目をむいているが、灰色の拡散で体内に入ったナノ・マシンがあるため、死にはしないだろう。
「すみません」
ミストラが謝る。
「いや――」
アキオは少女の頭を撫で、
「それより、珍しいものをみせてもらった」
「からかわないで――」
その時、ふたりの隠れる岩に、雨あられと、巨大な杭と大きな石が降り注ぎ始めた。
笛の音で異常を察した砦の男たちが、攻撃を開始したのだ。