376.救済
「ガラリオの家は国の内外を問わず、敵だらけです」
まだ朝の早い街路を早足で歩きながら、少女が説明する。
「ですので、普段から、シュテラ間を移動する際には厳重な警護がついているはずなのですが――今回は情けないことになりました」
出かける前に、ひととおり話を聞いたマーグスという警護主任の男は、肩と足にひどい傷を負っていた。
早朝にシルバラッドに到着するために、学校のある隣のシュテラ・ロイットを昨夜未明に出発したところ、ちょうど中間の森林地帯で、信頼していた直属の部下、ヘプランともども、すべての兵が一斉に裏切ったらしい。
マーグスは、ザルドに飛び乗って脱出し、なんとか街門にまでたどり着いて、屋敷に運び込まれたのだった。
ナノクラフトによって、瞬く間に怪我の治ったマーグスは、お嬢さまの供をするといって聞かなかったので眠らせてきた。
「身内に裏切られたか」
「予想はしておくべきでした。へプランは父に恨みをもっていましたから」
少女は、うつむき加減に歩きながら言う。
「伯爵のいう、3人の容疑者を君は知っているか」
「知っています」
ミストラが情けなさそうにため息をつく。
「なぜ、恨まれている」
「先ほど、ガラリオ家は敵だらけ、と申しましたが、それは、半分だけ真実なのです」
アキオが少女を見る。
「ほとんどの敵は、外交の役割を担うガラリオ家に敵対しているのではなく、父個人を憎んでいます」
「それはつまり」
「はい、父は、関りを持った女性の夫、父、兄から憎まれているのです。それもひどく――」
「女性を泣かせるからか」
少女は首をふり、
「相手の女性を辛いめにあわせているのか、というと、それは絶対に、とはいいませんが、まずありません。あの人と出会った女性は――おそらく全員が幸せになっています」
「わからないな」
「アキオは、サンクトレイカの上流階級はどうやって結婚するかご存じですか」
「家同士で決められるのだろう」
貴族とはそういうものだ。
地球でもこの世界でも。
「そうです。政略結婚ですね。ですから、望まぬ相手と娶わせられ、本当に好きな殿方とは添い遂げられない女性は多いのです。まして身分違いの恋ならば――」
「伯爵はそういった女性を、救い出しているのか」
少女はうなずき、
「もちろん、彼の恋愛がすべて人助けなのではありません。あの人は女性が好きで――女性にも好かれますから。ただ、その際にも才能を悪用して、別れた後にも良い思い出だけが残るように感情を操作するので本人からは恨まれません」
「だが、不幸な境遇の女性は助ける」
「そうです。あの人は、ガラリオ家としての縁故、人脈を使って、恋するふたりを遠くのシュテラに逃がし、生計の道を与えてそこで暮らせるようにするのです」
アキオの脳裏に、彼女が読み聞かせた物語がよみがえる。
「地球に、似たような話がある――」
「この世界にもあります。そうです、まるで、あの人の好きな演劇の一幕なのです」
少女は語気を荒くし、
「あの人は、それで気分よく暮らしているのかも知れませんが、妻を、娘を、妹を奪われた家庭はたいへんです。有力な貴族と婚姻によって結ばれた関係が崩れ去って、逐電した貴族もいるのです」
「それが恨みの原因か」
「父が最初に名を挙げた、アンドル商会とレポルド子爵は、まさしくそれが原因です。裏切ったへプランの姪も、やはり父によって西の国へ逃がされています。ですから、わたしとしては、父が3番目に名を挙げたレビール商会の仕業であることを願っているのです。あそことはエストラの家畜輸出の件で軋轢があったと聞いていますから」
「よく知っている」
「はい。ノランへの講義のため、シルバ城には頻繁に通いました。その時にさまざまな噂を耳にしましたから」
「街には出なかったのか」
「時間がなかったのです。ジーナ城とタワー建設地との往復の合間に作り出した隙間時間でしたから。セイテンでやって来て、急いで帰るだけの毎日です。それはもう、またあの空飛ぶ四角い箱が、と、市井で噂になるほど――あ」
アキオが少女を見る。
朝、ミストラが言っていたことと話が違うではないか。
「すみません。でも、でも――わたしも抱いて壁を越えてもらいたかったんです」
消え入るように小さい声でミストラが言う。
アキオは、少女の頭を抱くと、ポンポン叩いた。
「してほしいことは、直接いえばいい」
「はい。わかりました――」
その後、少女は黙って歩いていたが、
「アキオ、着きました。ここです」
そう言って立ち止まる。
ふたりの前には巨大な門構えの邸宅があった。
「ここがアンドル商会のロスト・アンドルの屋敷です。会社も敷地内にあって、入り口は裏側にあるはずです」
アキオは、左右に広がる高い鋼鉄の塀を見渡した。
屋敷前の通りには、けっこうな人通りがある。
「あの、アキオ」
少女が少し躊躇してから尋ねる。
「どうした」
「なぜ、犯人が、何か要求するのを待たないのですか」
「理由はわかっているのだろう」
「ええ、予想はしています。弟の誘拐が営利目的ではなく、復讐のためなら、要求がなされないまま殺されるからですね」
「そうだ。その場合は、一刻も早く動いた方が安全だ。もうひとつは――」
「まだありますか」
「君と鍾乳洞に行く時間がなくなる」
「まあ」
少女が、ぱっと花のような笑顔を浮かべる。
「では行ってくる。ここで待っていてくれ」
そういうと、アキオの姿が消えた。
光学的な迷彩を使ったのではないことは、彼女の髪と薄赤褐色のコートの裾が激しく揺れたことでわかる。
彼は、素早く屋敷に侵入したのだ。
アキオを待ちながらも、彼女はそれほど弟クルコスの心配をしていなかった。
彼に任せるのが最善で最速の方法に違いないからだ。
ヌースクラムで採用されている地球時間で、10分たらずでアキオは戻ってきた。
往きとは異なり、屋敷の玄関扉をあけると、落ち着いた足取りで正門に向かい、鉄扉を開けて出てくる。
「どうでした」
「こいつは違った。だが、いくつか面白い話も聞けた。あとで伯爵とノラン――シェリルに話そう」
「はい、では次ですね。ポルド子爵邸はこちらです」
ミストラが彼の手を引いて歩き出す。
少女の可憐で小さな手に繋がれた自分の無骨な手を見て彼は苦笑を浮かべた。
「どうしました」
歩きながら少女がたずねる。
「この世界に来るまで、人と手をつないで歩いたことがなかったが――」
「はい」
「悪くないものだ」
「そうです。素敵なことです」
地球にいたころ、彼が手をつないだのは、友軍が崖や高層ビルから落ちそうになったり、激流の川に流されそうになったり――銃弾乱れ飛ぶ戦場を、負傷した友軍の手を引きながら、安全地帯へ脱出した時だ。
ろくな状況ではない。
「着きました。ここがポルド子爵邸です」
ミストラが立ち止まる。
見上げると、アンドル商会よりは、小ぶりな屋敷だ。
さっきと同じように少女を待たせ、アキオは、屋敷横の人通りの少ない路地から邸内に忍び込んだ。
コートからフードを伸ばし、頭から被る。
ナノ・ヴェールを張って、顔の視認性を阻害した。
手には手袋をはめる。
敷地には、アンドル商会同様、ヴィノというイノシシに似た動物が、地球における番犬のように放し飼いにされていた。
殺すことも、眠らせる必要すらない弱小動物だ。
軽くナノ強化を行って、ヴィノに気づかれないように庭を駆け、屋敷の3階にある露台に跳ね上がった。
隠密行動は、彼の第二の本性だ。
ナノ・グローブで窓に嵌められた透明度の低い飴ガラスを溶かして穴を開け、鍵を外す。
人気のない部屋に入ると、自分の家のように悠然と歩いて廊下に出た。
監視カメラも赤外線センサーもレーザーもロボット警備も存在せず、ただ人が歩き回って巡回しているだけの警備体制だ。
この世界では、警戒厳重な貴族の屋敷でも、彼にとっては街の大通り同然だった。
廊下を曲がった先に、警備兵らしき、体格の良い男4人が立つ扉があった。
おそらく、子爵はその中にいるのだろう。
彼は素早く走り寄り、男たちを無力化した。
扉越しに気配を探る。
室内には5人程度の人がいるようだった。
アキオは扉を開ける。
部屋に足を踏み入れなK柄、まず目についた屈強そうな男3人に銀針を投げて眠らせた。
そのまま、驚きに言葉を失っている壮年の男ふたりに近づいて尋ねる。
「どっちがポルド子爵だ」