371.挨拶
本日をもって、この作品を書き始めて一年が経ちました。
毎日更新をするのは、なかなか苦しいのですが、あの、孤島の監獄を脱獄する、復讐劇の最高峰であるフランス文学も、初出は新聞小説であったのだと(毎日掲載であったかは定かではありませんが)、勝手に自分を鼓舞して書いています。
今回から新エピソードですが、この話は、連載序盤から、ぜひ書きたいと思っていた話です。
「嫌です。いつも、あの人は勝手なのですから」
アキオが、ジーナ城3階の談話室前を通りかかると、ミストラが珍しく大きな声を出すのが聞こえてきた。
エストラから帰って2日が経過している。
あれから後、突如として空に現れた巨大な白鳥号が中庭に降り立つと、エストラス城内は大騒ぎになった。
だが、王が事情を説明すると、速やかに事態は収拾され、その後、にぎやかな歓迎の宴が催されたのだった。
帰国後、アキオには、レジオンによって傷つけられた身体を癒すためとして、3日の休みが与えられていた。
その間は、少女たちとのお出かけが免除されているのだ。
ユイノの次に外出する予定だったミストラは、がっかりした表情を見せずに、
「アキオ、英雄さまの身体が第一です」
そういって、明日に迫った遠出を楽しみにしていたのだが――
「どうした」
部屋に入った彼は、涙ながらにユイノに言い募る少女に尋ねた。
「アキオ」
彼の名を呼んで、ミストラが、わっと泣きながら彼の胸に飛び込んできた。
こういう態度は、彼女にしては珍しい。
よくわからないまま、彼は少女の細い肩を抱く。
まさか、ユイノがミストラをいじめるわけはないだろう――
「とにかく、わたしは嫌です。せっかくのアキオとのお出かけを、そんなことに使うなんて」
なおも、いやいやをするように、彼の胸に顔を押し当てる少女の艶やかな栗色の髪をアキオは撫でた。
「でもねぇ、何といっても、あんたの親なんだ。無碍に、はねつけるわけにもいかないじゃないか」
どうやら、ミストラの実家、ガラリオ家から何か言ってきたらしい。
アキオがユイノを見る。
「いやね、ミストラの父君が、一度、あんたに会いたいといってるんだよ」
ユイノの話によると、ヴァイユの父ダンク・モイロから連絡がきたらしい。
カヅマ・タワー建設時、鉄骨以外の物資をダンク経由で調達したため、モイロ邸には通信装置が設置してある。
かねてよりダンクと親交のあったガラリオ伯爵が、それを聞きつけてヌースクアムに連絡を取ってきたのだ。
「とにかく、わたしは会いたくありません」
「でもさ、あんたが、ここに来た時も、事後連絡だけで許可を得てないんだろう」
「許可など必要ありません。わたしは成人していますし、ガラリオの家には、幼いながらも嫡男の弟もおりますので」
懸命に説明する少女の顔を見て、ユイノは困ったように、小さなため息をつき、
「いいかい、ミストラ。この国で、一番最初に、あんたとヴァイユに会ったのは誰だい」
「それは……アキオとユイノさんです」
「あれ以来、あんたは、まともに家に帰って――それどころか、連絡もしてないんじゃないかね」
「必要がないからです。わたしは――」
ミストラは少しうつむき、
「不幸にも、代々外交を司る伯爵家に生まれてしまいました。ゆえに、幼いころから望まぬ座学を強制され、長じては父に連れられて、見たくもない国々の駆け引きを見せられ育ちました。ここ数年は、父に代わって国の外交すら任されて――あげくに、ガブンの街に出かけた帰りに、賊に襲われたのです。もう、家のため、サンクトレイカのために働きたくはありません。わたしの命は――アキオのために使うのです」
ユイノは、普段とはあまりに違う、子どものような態度をとる少女に困り果てたように彼を見た。
「シルバラッドへ行こう」
アキオはサンクトレイカ王都の名を告げる。
「え」
その言葉に、ミストラのみならず、部屋にいた少女全員が驚きの声を上げた。
「そ、それって主さま、お嬢さんをください、っていう――なんというか、求婚の挨拶をするのかい」
「貰えるかどうかはわからないが、話は通した方がいいだろう」
アキオは、表情を変えずに言う。
「いえ、もうずっと貰っておいて、永遠に可愛がってください」
ミストラが叫ぶ。
「あんたねぇ、ポジの子じゃないんだから、そういうわけにもいかないだろう」
「お嬢さんをください、とは――魅力的な状況じゃの……残念ながら、わたしにはもう親がおらんからな。親がいるのは、ミストラ、ヴァイユ、シジマとカマラじゃが、シジマは名乗り出ることはないじゃろうし、カマラは、親と呼ぶべきかどうかわからんな」
「もうボクに親はいないよ」
「わたしにもいません。というより、アキオとこの城の皆さんがいるだけで充分です」
「そうです。わたしにも親などおりません。母は6年前に亡くなりました」
シジマとカマラに続いてミストラも断言する。
「いや、あんたには父親がいるだろう」
水色の瞳で、すがるようにアキオを見上げる少女にユイノが言う。
「そういえば、おぬしから父親の話を聞いたことがないが、いったいどういう男なのだ」
「自分勝手な人です」
少女が、いつもは優し気な目を険しくして言い放つ。
「あの、よろしいでしょうか」
おずおずとヴァイユが手を上げ、
「ガラリオ家は、代々、サンクトレイカの外交を司る家系で、数代おきに、その方面に傑出した才能を持つ者が生まれます」
少女が説明する。
「ミストラがその典型例なのですが、実は、父君のヴォルク・ガラリオさまも、その才に長けたお方で――」
「つまり、二代続いて、才能ある外交官が生まれた、ということですね」
アルメデがまとめる。
「よくあることじゃな」
「それで、あの……」
ヴァイユが言い淀む。
「なんじゃ。歯切れが悪いの」
「ガラリオ家には、駆け引きの才とともに、もうひとつ、特徴的な性癖があるのです」
ヴァイユのあとをユスラが引き取って言う。
「性癖」
「フェノト、地球でいう芸術が好きなのです」
「ああ」
アキオ以外、部屋にいる皆が一様にうなずいた。
封印の氷以降のミストラの音楽への傾倒ぶりは、皆の記憶に新しいからだ。
「伯爵は演劇や歌曲が好きなのです。ご自分で演じられるのではなく、それを愛でるのが……」
「地球でいうパトロンですね」
アルメデがうなずく。
「幼いころから、父に連れられて、演劇の英雄物語をいくつも観せられました」
「なるほど、それが、あんたの英雄好きの原点なんだ」
ミストラは可愛く首を振り、
「ガラリオは芸術好き――認めたくありませんが、それは事実です。わたしは、ずっと父の演劇好きを軽蔑していました。ですが、いまではわたしも音楽、特に地球の音楽が大好きになってしまいましたから」
少女は頬を赤らめる。
「そうなって初めて、あの人が、現実を放棄して芸術に逃げ込もうとするのは、汚れた人間同士の駆け引きにうんざりして、より純粋なものに心惹かれるからだ、ということがわかりました。けれど――」
ミストラは口をつぐみ、ヴァイユが続ける。
「彼女が父君を嫌うのは、自分にも外交の才能がありながら、趣味に没頭したいあまり、若くして引退を決め込んで、才能のある幼い娘に外交を押しつけたからです」
「とんだ子供じゃな」
シミュラが吐き捨てるように言う。
100年を生きるアルドスの魔女にとっては、すべてが年下の男なのだ。
アキオを除いて――
「というわけで、おぬしは、そんな大人コドモと話しあわねばならぬようじゃぞ、ムコどの」
シミュラが、美しく大きな目を愉快そうに光らせてアキオを見る。
「まずは出かける。早めに話を終えて、そのあとで君の行きたいところへ行こう」
アキオの提案に、栗色の髪の少女はやっと笑顔を見せた。
「わかりました。アキオにおまかせします」
「しかし、相手は、あの伯爵さまだろう。心配だねぇ」
キィはガラリオ伯爵を知っているらしい。
「なにが心配なのじゃ。そのヴォルクとかいう若造が――」
「シミュラ、失礼ですよ、仮にもミストラのお父さまなのですから」
アルメデの注意にアルドスの魔女は可愛く肩をすくめ、
「ミストラの父君が、仮に、娘はやらん、といっても何の問題もないの」
「なぜです」
「いったい、この世界の誰が、力づくで黒の魔王からその寵愛する妻を奪えるというのじゃ?」
「ちょ、寵愛……妻」
そうつぶやきながら、エネルギーの切れたライスのように、ミストラがアキオの胸にもたれかかる。
「珍しいね、ミストラがユイノみたいになっちゃったよ」
「また、この口だね、悪いことをいうのは」
例によって始まる騒ぎをよそに、ユスラがアキオに尋ねる。
「それで、どう話されるつもりなのです」
「正直に言うさ」
「それがいいですね」
ラピィが陽気に言い――
「至誠天に通ず、よ」
「そ、そうかい」
よくわからないまま皆がうなずく。
翌日の早朝、白鳥号で出ようとするアキオの袖を引っぱって止めたミストラは、セイテンを使って、彼とふたりでサンクトレイカに出発したのだった。