369.機械仕掛けの神、
「ところで、ヴァイユ」
ユイノが尋ねる。
「なんでしょう」
「ギデオンのエネルギーはどうするんだい。あいつは、もうほとんどエネルギーがゼロだっただろう。このままでは――」
「はい。ですから、カマラが作った熱発電素子を持つギデオンを、あの子に加えました」
「ああ、さっきの青いやつかい。でも、そんなことをしたら、またいっぱいに増えまくるんじゃ」
「暗号鍵をかけましたから、そんなことは、絶対にありません」
きっぱりと言い切って、にこやかに笑う金色の瞳を見て、舞姫が苦笑する。
いつも自信なさげであった少女が、数字という武器を手に入れたことは喜ばしい。
「太陽フレアによる電波障害、解消しました」
部屋にアカラの声が響く。
「これで、アキオがギデオンから分離したグレイ・グーも消えるのじゃな」
シミュラが言うと、
「いいえ」
ヴァイユがアキオのかわりに答えた。
「違うのかい?」
キィが尋ねる。
「アカラ、リトーの近くへ」
アキオの命令で、飛行艇は緩やかに向きを変えた。
しばらくすると、
「進行方向左手に、リトー確認」
言われる方向を見ると、巨大な風船人形が見えた。
「あれは?」
シャルラ王が尋ねる。
「リトーだ。巨人と戦わせようと思ったが、濃度――数が足りなかった」
そういって、アキオはアーム・バンドを操作した。
音もなく人形の姿が消える。
あとには灰色の霧が残るだけだ。
「確かに、あのグレイ・グーは消えぬな。こんなにタワーの近くじゃというのに」
「あいつは消えないし、散らない」
「なぜじゃ」
「ユイノさんに打ち込んでもらったナノ・マシンには、上書きプログラムが設定されていたのです」
ヴァイユが説明する。
「それで、あのグレイ・グーがカヅマ・タワーからのコマンドで、自己分解されないようにしたのですね。でもなぜですか?」
「大陸は大きく、未だ分解されないグレイ・グーが日々空中を移動しています。ならば、グレイ・グー自身に仲間を見つけさせ、取り込んでプログラムを書き換えさせたほうが良い、と考えたのです」
カマラがあとを受けて説明する。
「なるほどねぇ」
「もちろん、ナノ・マシンの数には制限をかけました。雲が集まっても、大きくなり過ぎた時点で数は自動的に減り、一定以下に保たれるようにしています」
「さっき、ギデオンの時にいってたのは、このことだね」
キィの言葉にカマラがうなずいた。
「でも、あいつらが、自分自身でプログラムを書き換えたら――」
「それは大丈夫です」
ヴァイユが微笑む。
「ギデオン同様、あの子たちにも、いえ、誰であっても絶対に破れないように鍵をかけましたから」
「そ、それは安心だね」
いつも控えめな少女の、さらに強気な断言にキィが言葉を失う。
「ただ、少し不安要素があるのです」
「不安要素……」
「さきほどユイノさんから伺ったのですが、ギデオンから影響を受けたグレイ・グーは、完全に自分を『神』だと思い込んでいたようです――」
「そうだな」
アキオが同意する。
「わたしがプログラムに組み込んだ原則は、増殖の抑制と他のグレイ・グーへの侵食という主命令以外に、人間に危害を加えないこと、正体が見つからない限りにおいて、人を助けること、なのですが――」
「よさそうではないか」
「はい、ですが、ギデオンによって、群知能に深く刻み込まれたであろう、我は神である、という自己同一性は解除していません。それが、どう行動に影響を与えるか……」
「ボクはたいした影響はないと思うな」
シジマが笑う。
「空から突然、神だ、って叫ぶのも、人に危害を与えることなんでしょう」
「ええ、驚かせますからね」
「だったら問題はないと思うよ」
「どのみち、様子をみないとわからないのですが――」
「わかりました」
アルメデが議論を打ち切るように言う。
「今後も、残存グレイ・グーの動向には留意することにしましょう――アカラ」
「イエス、マム」
「王都オルトへ向かいなさい」
「アイアイ」
AIの言葉とともに、白鳥号は大きく旋回し、グレイ・グーの灰色雲から離れ始めるのだった。
「しかし、空に浮かぶグレイ・グーが神を騙るとは興味深いですね」
離れていくナノ・マシンを追い続けるスクリーンを見ながらアルメデがつぶやく。
「アキオは知っているかしら。機械仕掛けの神――」
「ギリシア悲劇の最後に現れるクレーンの神だな」
いつものように、彼の文学、哲学的な知識は、すべて彼女の偏った嗜好がベースとなっている。
「ねぇ、アキオ。この劇をどう思う――」
あるギリシア悲劇を朗読して、シヅネが尋ねた。
彼は、ガラス越しに彼女の仮面の顔を見る。
「悲劇と不幸の連鎖でどうしようもなくなった主人公を、ロープで吊り下げられた機械仕掛けの『神』が救い出し、ハッピーエンドにしてしまうのよ」
微妙に震える彼女の声が耳によみがえる。
「わたしの人生にも、機械仕掛けの神が現われてくれたらいいのにね――」
「機械によって?」
ミストラが首を傾げる。
「機械でできた、じゃないのがポイントね。あくまでも、機械で表現された、本物の神なのよ」
例によって、地球の知識に詳しいラピィが口をはさむ。
「神自体は本物で、その表現、舞台装置などが機械仕掛けなだけ。だからこそ、機械仕掛けの神なの」
「ラピィ、あんたのその知識って……」
ユイノが首を振る。
「空から現れる、という点が似ているだけですね。グレイ・グーは神ではありませんから」
アルメデが断言した。
「いずれにせよ、早い時期に偽神をなくすことができてよかったの」
「ええ」
アルメデはうなずき、
「この世界に神は――まして機械製の神は必要ありませんから」
数日後、エストラ王国とサンクトレイカ王国の境に位置するパルナ山脈、ダルネ山に入り込んでムサカを追っていたマルノとサルメスは不運に見舞われた。
猟師である彼らにとって、ダルネ山に入って狩りをすることは、長年の夢だった。
山中には、市場でも高く売れるムサカなどが、数多く生息していたからだ。
だが、これまでは、ほとんどの猟師にとって、ダルネ山深くに分け入ることは不可能だった。
その理由は、パルナ山脈は、多くの魔獣が跋扈する危険地帯だったからだ。
なぜ、魔獣がはびこる場所に、獲物である草食獣のムサカが数多く住んでいるかというと、種として見た場合、結果的にそれが安全だからだ。
猟師の入ってこない土地に住み、絶対数のすくない魔獣に襲われて命を落とす確率の方が、安全な土地に住んで大勢の猟師に狩られるより、個体数の減少は抑えられる。
つまり、草食獣にとっては、圧倒的強者の少数の魔獣より、武器を持って、多数で彼らを狩る弱い人間の方が種族としては恐ろしい敵なのだ。
そして、今、いかなる理由かはわからないが、パルナ山脈から魔獣の影は消えたのだった。
この好機を逃す手はなかった。
「そっちに追い込んだぞ、サルメス」
白髪交じりのマルノが甥に声をかける。
「わかった」
経験豊富な猟師であるマルノと組んで、ここ数日、信じられないほどの獲物を仕留めた若者が、森の開けた場所に立って弓を引いた。
ムサカが飛び出てくるのを待つ――が、樹々の切れ間から現れたのは、黒い巨大な影だった。
マーナガルだ。
青年は、腰を抜かしそうになりながら弓を射った。
魔獣は、何なくそれを避け、サルメスの前に立つ。
さらにその背後に、2頭のマーナガルが現われる。
群れを成す習性のある魔獣は、一体で行動することはない。
マーナガルの身体の上に雷球が発生する。
為す術なく、青年は青白い球電を見つめた。
雷球が大きくなり、今まさに打ち出されようとした時――
魔獣の一体が悲鳴を上げた。
その背には、矢が刺さっている。
サルメスは、森の端に立つ樹の上から弓を射るマルノを見た。
「早く来い!」
叔父の声に我に返った青年は、マーナガルを避けてマルノのいる樹まで走った。
必死になって幹にしがみついて登る。
「大丈夫か」
「ええ」
青年は魔獣を見た。
ひとまずは逃げることができた。
だが、ことマーナガルに関しては、樹の上に逃げたところで安全というわけではない。
奴らには魔法がある。
矢の当たった魔獣も、驚いただけでダメージはほとんどなさそうだ。
マーナガルが、再び雷球を発生させた。
先ほどより大きな光が森に影を落とす。
青年は叔父を見た。
マルノは、蒼白になりながら弓を射ろうとして――やめた。
無駄だと分かっているからだ。
マーナガル3体は、兵士10人がかりで挑む魔獣だ。
魔法を使う獣は、それほどに恐ろしい。
「誰か!」
思わず彼は叫んでいた。
「誰か助けてくれ」
「了解した」
深く、大きな声が空から響いた。
青年が見上げると、灰色の雲の広がる空に、目まぐるしく光が回り――
轟音と共に、地上に落ちた雷が、3体のマーナガルを直撃した。
これには、さすがの魔獣もひとたまりもない。
黒焦げになって即死する。
呆然としていたサルメスは、空に向かって叫んだ。
「ありがとうございます」
沈黙の後、空から声が響く。
「礼にはおよばない。お前たちを助けることが、わたしの役目なのだ」
「では、せめて、お名前をお聞かせください」
今度はマルノが叫んだ。
再び声は黙り、しばらくして答える。
「名前はない。だが、あえて名乗るなら――」
心の内を探るような沈黙のあとで声が言った。
「神」
神話無き世界に、神が生まれた瞬間だった。
これ以降、大陸全土に、奇跡を起こす善なる神の足跡が記されていく――