366.推参
「ユイノ、空中の槍は引き受ける、君は王を――」
「分かったよ。誰一人、殺させない」
アキオはユイノの近くに移動し、彼女を狙う槍を蹴り飛ばした。
その隙に、紅髪の少女は凄まじい速さで地面に急降下する。
突進する槍を躱し、地表に激突するギリギリでジェットを逆噴射させた。
そのまま噴射杖から飛び降りて、空中で収納し、美しく回転してシャロルの前に降り立つ。
「慌てなくていい」
インナーフォンに響くアキオの声に、彼女はうなずいた。
太陽フレアの影響を受けない、ソリトン波を利用した短距離通話だ。
「久しぶりの物理操作のためか、エネルギー不足が原因か、そいつの動きは遅い」
「そうだね」
アキオの予想が正しければ、ギデオンは、ここしばらくグレイ・グーの中で休眠状態だったはずだ。
「ユイノさま」
彼女の背にシャロルの声がかかる。
「もう大丈夫だよ。あんなやつに指一本触れさせやしない」
振り返ったユイノが少女を見た。
「はい!」
その信頼しきった様子に、彼女は表情を緩める。
「見てたよ、王女さま。たいしたもんだ。でも、怖かったら逃げてもいいんだよ。逃げるのも――」
「いざという時、逃げるのが勇気、それはわかります。だから、わたしのは勇気ではありません。わたしは、ただ、逃げられなかっただけなのですから」
巨人を見上げながら、王女に近づいたユイノは彼女の肩を抱いた。
味方を見捨てて逃げられない、それは人の上に立つ者の美質だ。
舞姫は少女の髪に触れ、優しい声で言う。
「姫さまにこっそり教えるよ」
「はい」
「あたしが前にいったこと――一応、勇気っていってるけどね。実はそんなはっきりしたもんじゃない。勇気なんて、人と状況によって変わるもんさ。ただ――」
ユイノは王女の髪を撫で、
「長い人生を闘い続けてきたアキオは、その強い気持ちが好きなんだ。あたしたちにとっちゃ、それだけで充分じゃないかね」
「ユイノさま!」
シャロルが涙ぐむ。
彼女の後ろに立つソニャも笑顔でうなずいていた。
「イワーナさま」
振り返らずにユイノが名を呼ぶ。
「はい」
舞姫は、コートの隠しポケットからナノ・カプセルを取り出した。
「これをシャルラ王に、怪我が治る薬だ」
「わかりました」
駆け寄ったイワーナがカプセルを受け取る。
「さてと」
ユイノは改めて、いまだ動かない巨人を見た。
こいつはギデオンだ。
少々破壊しても、すぐにもとに戻るだけだろう。
「どうするかね」
少女のつぶやきに、アキオがインナーフォンで答える。
「試したいことがある。君は皆を守っていてくれ」
通信を終えたアキオは、地表から、しつこく伸びてくる槍を破壊した。
荒野の記憶の残滓があるのか、彼を危険要素と見なすギデオンは、空中に足止めしながら巨人を動かそうとしているのだ。
ならば――
アキオは、ポーチから紫のカプセルを取り出した。
ナノ強化された指の力で上空に向けて弾く。
先ほど、グレイ・グーに打ち込んだナノ・マシンには、あるプログラムが書き込まれていた。
ヴァイユに頼んで作成してもらい、今朝、データとして受け取ったものだ。
それは、ある種のウイルス・プログラムで、グレイ・グーに感染して中身を書き換える。
その結果として、ナノ・マシンは、異物であるギデオンを排出したのだった。
さっき始まった太陽フレアの異常は、まだ続いているため、グレイ・グーはカヅマ・タワーによって分解されていない。
つまり、さっきギデオンから解放されたナノ・マシンは、希薄ながら上空を漂っているはずだった。
アキオは、なおも続く槍攻撃を躱しながらアーム・バンドを操作すると、空に向かって命じた。
「リトー起動」
上空で小さな破裂音が鳴り、頼りなく巨大に膨らんだ膜が、徐々に人形に変わっていく。
アキオは苦笑した。
一応、リトーは起動しそうだが、この程度では、とてもギデオンとは戦えないだろう。
プランBを考えなければならない。
彼は地上を見た。
巨人が動き始めるのが目に入る。
同時に黒槍が発生しなくなった。
おそらく、ギデオンの数とエネルギーの兼ね合いで、同時操作はできないのだろう。
リトーの操作をあきらめたアキオは、ジェット噴射を使って地表に向けて急降下した。
飛びながらP336を取り出し、動き始めた巨人の両腕をレイルガンで破壊してから、シャロルの前で巨人と向き合うユイノの横に降り立つ。
「それで、どうするんだい、アキオ」
ユイノが良い笑顔で尋ねる。
不安など微塵も感じていない顔だ。
アキオはコートに手を入れ、シジマが開発した携帯型粒子加速器を掴んだ。
一時的にせよ環境に悪影響を与えるため、あまり使いたくない武器だが、守るべき友軍が多く、戦いに時間がかけられない現状では仕方ないだろう。
腕が復元された巨人が、再び攻撃をしかけた。
アキオが、杖型の粒子加速器を取り出したその時――
轟音とともに、巨人の胸から上が吹き飛び、緑色の光に似た物体が胴体を突き抜けた。
それは、あたかも重力機動飛行するように急速に向きを変え――
小ぶりな緑の塊が、巨人の体を薙ぐように縦横に走ると、残った腕、胴、足が寸断されて崩れ去っていく。
緑の物体は、素晴らしい速さで地面に着地すると、そのままアキオに衝突――飛びついた。
「い、いったい……」
驚くシャロルやイワーナたちの耳に、無邪気で可愛らしい声が響く。
「ねえ、見た、見た?ボクの今の動き――アキオ!」
彼は苦笑する。
「珍しく派手だな」
「だって、ドッホエーベじゃ、ボクだけ良いところが見せられなかったからね」
「緩和曲線、いやスイングバイに似た軌跡だな」
「やっぱり、アキオだ。分かってくれたんだね。あれは伸縮性のナノ・ワイヤーを獲物にひっかけてね――」
「ちょっと、なんだいこれは。びっくりするじゃないか、シジマ!」
ユイノが腕を組んで尖った声で少女の言葉を遮る。
「へへ」
緑の髪を彼の胸にこすりつけながら、小柄な少女が笑った。
ユイノと同じデザイン――ただし、かなり丈の短い――緑色のコートの裾が可愛く揺れる。
可憐な姿を見て、
「なんてきれいな方――」
シャロルがつぶやいた。
「ん?」
ユイノが、何かに気づく。
「ちょっと待って!あんたが来てるってことは、ひょっとして――」
「もちろん、みんな来たよ」
「みんな――」
ユイノが絶句する。
その時、空から様々な色が、尾を引くように素晴らしい速さで広場に降りてきた。
地表間近で急減速し、優雅にふわりと着地する。
全員が、色違いながら、ユイノと同じデザインのコートを身に着けた少女だった。
一人が歩み出る。
「まあ」
シャロルがつぶやいた。
風に揺れる短い金髪、澄んだ碧い眼の少女は、彼女が見たことがないほど美しく――威厳があったからだ。
少女は、優雅に美しいお辞儀を見せると笑顔で言った。
「初めまして、エストラの皆さま。わたしはアルメデと申します。ヌースクアムを代表して親愛のご挨拶をいたします」