365.勇気
「おやおや」
ユイノが小粋に肩をすくめる。
「本体は良い子になったのに、まだ、こんなところに、はねっかえりが残ってたんだね」
そう言って、アキオが声をかけるより早く、伸びた槍を手で掴み、それが戻る力に引かれて地表に向かった。
凄まじい勢いで、地面に激突する。
爆発的に、土ぼこりが舞い上がった。
「ユイノさま!
馬車の窓からそれを見ていたシャロル王女が、悲鳴のような声を上げる。
しかし、土煙が晴れた後には、紅髪の少女が何事もなかったように立っていた。
「ドッホエーベの時から、一度、こうやって地表に戻ってみたかったんだよ。だけど――」
強化したアキオの耳に、舞姫のつぶやきが聞こえる。
「この土ぼこりはひど過ぎ――」
最後まで言えずに、ユイノが身を翻した。
新たな槍が彼女の心臓めがけて突き出されたからだ。
舞姫は、易々とそれを避け、膝で槍を叩き折る。
それ以降、次々と襲いかかる槍をすべてへし折っていった。
「そうそう、あの時も、こんな感じだったね」
それをアキオは空から見ていた。
ギデオンの攻撃は激しいが、封印の氷以降、改良されたナノ強化とユイノ自身の能力向上のおかげで、まったく危うさは感じない。
「キリがないねぇ。でも、そろそろ――」
ユイノのつぶやき通り、徐々にギデオンの攻撃がまばらになり、やがて完全に沈黙した。
ジーナ城で教育をする過程で、彼女もギデオンについて多くを学んでいた。
その中で重要なのは、エネルギー供給がないとギデオンはすぐ活動限界がくる、ということだ。
ドッホエーベでは、遥か後方の工業プラントから常にエネルギーを得ていたらしいが、このエストラに、そのような化学プラントがあるとは思えない。
よって、激しい動きを続けさせれば、すぐにギデオンはエネルギーが切れて動けなくなるはずだった。
「こんなもんでどうだい?」
空にいる恋人にむけて、ユイノが手を振る。
一瞬、アキオの姿が揺らめいたかと思うと、舞姫の身体は宙に浮き、気がつくと空を飛んでいた。
噴射杖の出力を一時的に上げる、ジェット・ブースト機能を使って飛来したアキオに横抱きにされていたのだ。
「な、なんだい」
驚きながらも、少女は手を恋人の首に回す。
優美に長い足を、嬉しそうにパタパタ揺らした。
「最後まで気を抜くな」
アキオの言葉に、ユイノはさっきまで自分が立っていた場所を見る。
そこは、地中から生えた黒い針によって埋め尽くされていた。
あのまま、あそこに立っていれば、死なないまでも負傷したに違いない。
「ど、どうしてだい」
「エネルギ―切れを狙ったな」
「そうだよ」
「それではダメだ」
「どうして」
「雲の中の光」
「雲の……光?あっ」
ユイノが叫ぶ。
「奴は、グレイ・グーと水蒸気を利用して静電エネルギーを蓄積していた。つまり、ギデオンは、まだエネルギーを大量に持っている」
「そうなのかい」
しゅんとする紅毛の美少女の頬をアキオは撫でる。
「君の方法は間違ってはいない。いずれエネルギーは枯渇する――だが、まだ時間がかかりそうだ」
「アキオ、あれ!」
叫びながら、少女が広場を指さす。
ユイノという敵を失ったギデオンは、今度は、王の馬車に攻撃を始めていた。
槍ではなく、ドッホエーベでも見せた拳で馬車を殴りつけている。
あの時より、ずいぶん小さなサイズなのは、エネルギーが心もとないからだろう。
ナニエルが馬車に近づいた。
扉を開けようとする。
シャルラ王たちを避難させようというのだ。
「助けにいくよ」
ユイノがアキオの首から手を離し、空中に飛び出した。
自分の杖につかまって飛ぼうとした時、
「おっと」
危うく下から伸びた黒槍に貫かれそうになる。
「しつこいねぇ、こいつら。これじゃ下に行けないよ」
振り返った少女の眼に、アキオが槍の連続攻撃を防ぐ姿が映る。
その時、エストラ王女シャロルは、かつてない恐怖に襲われていた。
今まで、何度も監禁されたり、襲われた経験のある彼女だったが、それらはすべて人間が相手だった。
だが、いま、正しく彼女は、人に非ざる者に襲われていた。
黒い何か、に――
「シャルラ王。さあ、外へ」
今にも横転しそうに揺れる馬車の扉が、外から開けられた。
ナニエルが顔を覗かせ叫ぶ。
王はイワーナに肩を貸しつつ、シャロルに手を差し伸べた。
少女が父親の手にすがろうとした時、一際大きく馬車が揺れ、彼女は後ろ向きに倒れそうになった。
その背中をやさしく受け止める影がある。
ソニャだ。
「お怪我はございませんか、お姫さま」
「は、はい大丈夫です。ソニャさま」
少女は、しっかりと王女の手を握ると、ナニエルが招く出口へ向かう。
先にシャロルを出して、自分があとから続いた。
ソニャが出るのとほぼ同時に、馬車が黒い掌によって横転する。
間一髪だ。
「さあ、こちらへ」
ナニエルの声に従って、シャルラ王たちは広場の出口へ走りだした。
振り返ると、馬車を引いていたケルビは、衝撃と同時に自動的にハーネスが外れて、馬車の横に佇んでいる。
ナニエルたちは、まっすぐに出口に向けて急いだ。
だが、しばらくすると、先頭を走る衛士たちの前にも、人間サイズの黒い手が地面から現れ、彼らを襲い始めた。
「ナニエル!」
イワーナの声に、巨大な手に斬りかかる衛士が答える。
「ここは我々が防ぎます。イワーナさま、今のところ公園より先に敵はおりません、まずは公園の出口へ――」
「わかりました。さあこちらへ、シャロルさま、ソニャも」
四人は固まって公園の外へ向け走る。
「危ない」
突然、王によって女騎士が突き飛ばされた。
「シャルラさま!」
振り返ったイワーナが、悲鳴のような声で王の名を呼ぶ。
シャルラ王が脹脛を槍に貫かれて倒れていたからだ。
流れ出る血が王の足を濡らす。
「そんな――わたしなどを守るために」
「そなたは無事か」
「はい……はい」
女騎士が涙を流す。
「イワーナさま、泣いている暇はありません。とにかく王をお助けして公園の外へ!」
スカートの一部を裂き、それで王の傷口を縛ったソニャが、女騎士の肩に手をかける。
「は、はい」
3人の女性が、王を支えて歩き始めた時――
彼女たちの背後の石畳を突き破って、大きな影が姿を現した。
黒い巨人だ。
その大きさは、シャロルが見たこともないほど巨大だった。
王女として、彼女もゴラン退治を遠くから見学したことはある。
だが、今、目にする巨人は、そういった魔獣とは比較にならないほど大きく、圧倒的だった。
傾き始めた陽光によって、長く伸びた巨人の影が4人を覆いつくす。
「シャロル、逃げなさい」
耳元で父王の声が聞こえると、反射的に少女は公園の出口へ向かって走りだした。
怖い怖い怖い怖い怖い――
頭の中は恐怖で真っ赤だった。
でも――
「他の方は?」
自分が独りであることに気づいて振り返った少女の眼に、蒼ざめた顔でシャルラ王を庇うイワーナと、その前で巨人に向かって両手を広げるソニャの細い体が眼に入った。
どうして、どうして逃げないの?
早くしないと殺されてしまうのに!
少女は巨大な怪物を見上げる。
怖い怖い怖い怖い、やっぱり怖い!
早く、早く逃げないと……
少女は前へ向き直り、走り始め――
だが、シャロルの足は、前へは進まなかった。
まるで固まってしまったように動かない。
どうしたの、このままではあの怪物に殺されてしまうのに。
でも、でも――
彼女は、再び振り返った。
破れたスカートから、形の良い脚をさらしながら巨人を睨む少女と、上から覆いかぶさるように父王を守る女騎士の姿が目に入る。
ついで、シャロルは雲を衝く巨人を見上げた。
そして――
少女は、くるりと身を返すと、父王と彼を守る少女たちに向かって歩き出した。
歩き出そうとした。
だが、容易に足は動かない。
怖いからだ。
怖くて怖くてたまらないからだ。
膝がガクガク震えて、立っているのがやっとだ。
いつ、あの巨人の拳が空から降って来るかわからない。
怖い!
でも――
でも、父王を、イワーナを、ソニャを、このまま見捨てて逃げて、みんなが死んでしまうことは、もっともっと怖かった。
嫌だった。
動け、動け、動け、動け!
シャロルは手で膝を持って前へ進める。
無様な姿だ。
でもかまわない――
一歩進むと、勢いがついた。
ゆっくりとであるが、少女は、父王に近づき始めた。
握りしめた拳が、情けないぐらい派手に震えている。
そして、ついに少女は、ソニャの前に立った。
小さな体で、手をいっぱいに広げ、
「来るなら来なさい!」
震える声を張り上げる。
ユイノは、空中で槍をさばきながら、それを見た。
小さな勇気が、大きな恐怖を押し返す瞬間を目撃したのだ。