361.同行
午後になったばかりの陽射しを浴びながら、ユイノは、アキオとエストラル城前の庭園に戻ってきた。
髪の色を灰色に変えた彼の腕につかまりながら、踊るように軽やかに歩いている。
その胸には、誇らしげに襟玉石が輝いていた。
衛士訓練騒動のあと、街に出かけて、様々な偶然が重なり、ついに彼女は念願の、アキオが苦労して取ってくれた贈物、を手に入れたのだ。
「ユイノさま」
ふたりを見つけたシャロルが走り寄ってくる。
すでに、遠出する服装に着替えている。
「やあ、姫さま」
上機嫌なまま、ユイノは不敬な言葉遣いをするが、シャロルはまったく気にせず、
「たいへん、ご機嫌がよろしいのですね」
「そうなんだよ」
「ユイノさまは、いつも笑っておられる印象が強いのですが、いまのあなたは笑顔の塊みたいです」
「姫さま、それじゃ、あたしがバカみたいじゃないか」
言いながら、ユイノは王女の背中をバンバン叩く。
が、すぐに真面目な顔になり、
「それで、あの子と話はできてるのかい」
「はい――ですが、あの方は、わたしなどが思うより、もっと……」
シャロルは、言葉を探すように黙り込み、
「心の大きな優しい方でした。しかも、あの境遇の中で、まったく気持ちが折れておられず、強さと穏やかな明るさをお持ちで……」
「う」
率直な少女の感想に、ユイノが言葉に詰まる。
それって、どう考えてもアキオ好みの子じゃないか――
「そ、そうかい。一度、あたしも会って話をしてみたいね」
王女は、パン、と手を叩いて喜び、
「そう仰られると思って、今日、お連れしたのです」
「えっ」
ユイノが絶句する。
「視察にご一緒するのですよ」
「で、でも昨日の今日だし、一日ぐらいゆっくりと……」
「わたしもそういったのですが、ぜひアキオさまにお会いしてお礼を申されたいとのことで――ルイズさまも、それなら仕方ない、と折れられて」
どうして、みんなもっと、こう――色々考えてくれないのかねぇ。
ユイノは内心、頭を抱えつつ、
「危ないかも知れないよ」
一応、警告する。
「ルイズさまは、アキオさま――そして、なによりユイノさまがおられたら、何の心配もいらないだろうと申されました」
「そうかね」
彼女への信頼が仇となってしまっているのだった。
「ユイノさま」
「はい」
背後から掛かった声に、反射的に返事をして振り返ると、伯爵夫人と、彼女と同じ髪の色をした美しい少女が立っていた。
ソニャだ。
「ええっと」
少女は、言葉につまる舞姫に、さっと近づくと手を取って、
「ユイノさま、昨夜は、満足にお礼も申し上げられず申し訳ありませんでした」
「お礼?な、何の?」
「あなたさまが、ルーさまのお命を救ってくださったとお聞きしました。もし、もし、この方に何かあったなら、わたしは……本当に感謝いたします」
彼女の発する言葉のうちに、目に見える美しさ以前の、善良な優しさと芯の強さを感じて、ユイノの表情が緩んだ。
わかってたけど――やっぱりいい子だねぇ。
少女は、額をユイノの手に押し当てるように、長く頭を下げたあと、アキオに向き直った。
跪いて彼の手に頬を当てる。
「アキオさま――」
彼は、そのまま顔を伏せて言葉の出てこない少女の顎に手をかけて立たせると、
「慣れたか」
少女は、涙をあふれさせながらも気丈に笑い、
「はい――いいえ、身体に不具合はございませんが、この顔と体型には、まだ慣れません」
「君本来のものだ。すぐに慣れる」
「はい」
「あ、あの、メルメードフ伯爵令嬢さま」
熱い眼差しでアキオを見つめる少女に、ユイノが声をかける。
彼女を見た少女は優しく笑い、
「どうか、ソニャとお呼びください」
「じゃ、じゃあ、ソニャ。今日は、ひょっとしたら危ないかもしれないから、無理に来なくていいんじゃないかね。ねぇ、アキオ」
ユイノは、アキオに尋ねる。
本当なら彼の手を掴んで、指話で打合せをしたいのだが、まずいことに、いま、彼女とアキオは少し離れて立っている。
いきなり近づいて手を握るのはいかにも怪しげなので不可能だ。
「来たければ、来ればいい」
ユイノの気持ちをまったく理解しないアキオが、いつも通りの言動をする。
「アキオ殿、よろしいですか?」
メルク宰相に呼ばれて、彼が離れて行く。
シャロルは、ルイズと笑顔で何かを話している。
やれやれ――舞姫は、うつむいて、諦めに似たため息をついた。
「ユイノさま……」
穏やかな声が掛けられ、顔を上げると、そこにはソニャの笑顔があった。
切れ長の眼、やわらかな鼻筋、優し気な口元、風に揺れる薄緑の髪、すっきりと背筋を伸ばした貴族らしい佇まい――あらためて見ると、どれをとっても大貴族のお嬢さまだ。
とても、昨日まで、皆がいうような容姿、境遇であったとは思えない。
「本日は、わたしの我がままで、ご同行させていただくことをお許しください」
少女は眼を閉じ、頭を下げた。
「え?」
ユイノは驚く。
エストラでは、地球の極東に似た風習があるとシミュラから聞いていたが、これほどはっきりと、それが示されるのは始めてだったからだ。
「あなたさまが、アキオさまの奥方であることは、お姫さまから聞いております。お城には、シャトラさまはじめ、すばらしい方々が居られることも――」
「あんた……」
「わたしのような者が、その方々の末席に加えていただくことなど叶わないのは分かっております」
少女はユイノに微笑み、
「今後、わたしは、イワーナさまのお付きとして王宮に勤めるつもりです。そして、いずれお生まれになられるであろう、シャロルさまの弟御か妹御の乳母として生涯を終えるつもりですが――」
ソニャは、わずかに髪を揺らし、
「今日だけは、アキオさまとご一緒させていただいて、そのお姿を、この目に――」
少女は、左目に愛おし気に触れ、
「覚えさせていただきたいのです」
「あんた、その目は――」
「はい、アキオさまに治していただきました」
「そうかい」
舞姫が続けて口を開こうとしたその時、
「ユイノさま!」
振り向くと、凛々しい女騎士姿のイワーナが立っていた。
「その恰好は?」
「もちろん、シャルラさまの護衛として、同行させていただくのです」
「護衛って、ねぇ」
「大丈夫です。ユイノさま。わたしたちもご一緒させていただきますので」
気づくと、ナニエルとノルムも兵士の装備で、彼女の横に立っていた。
「しようがないねぇ」
アキオも、今日は危険なことにはならないと言っていたから、たぶん大丈夫だろう。
うなずいたユイノが、ソニャに向き直ると、彼女はルイズに呼ばれて話をしていた。
「ユイノ」
少し離れた場所で、アームバンドを耳に当て、通信を行っていたアキオが少女を呼ぶ。
「なんだい」
「装備θを携帯、ナノ・コートを着用してくれ」
「わかったよ」
こういう依頼の際、ジーナ城の――ヌースクアムの少女たちは聞き返しはしない。
アキオが、その装備が必要と考えたなら、それは必要なものだからだ。
ユイノは、素晴らしい速さで城に向かって駆けだした。
短いドレスの裾から、しなやかに伸びた形の良い脚が、陽光を受けて輝く。
それを見送るイワーナやナニエルたちは、改めて驚きの表情を浮かべた。
今朝、彼女が見せた戦闘力が、完全に抑制されたものであったことを理解したからだ。