360.指摘
剣戟の音に気づいて、中庭に集まった兵士たちが、ユイノとイワーナの試合を観戦していたのだ。
「ぜひ、ユイノさまにご教授を」
ふたりに歩み寄ったナニエルが懇願する。
アキオは少女を見た。
ユイノは困った顔をしている。
彼女が、昼までの間、彼と王都を散策したがっていることを思い出した彼は、代わりに答えた。
「それは無理だ」
「そうですか……」
彼は、男たちの残念そうな顔をしばらく見ていたが――
「俺が相手をしよう。一斉にかかってきてもいい。ひとりずつでもいい」
「本当ですか!」
衛士たちの多くが喜びの叫びをあげるが、ナニエルたちは顔を曇らせる。
かつて、アキオの戦闘を直に見た彼らは、戦力差がありすぎて戦いの経験にすらならないことがわかるからだろう。
「アキオ殿……」
「俺は素手だ、君たちはどんな武器でもいい」
男たちが、わっと沸き立った。
後ろから、ユイノの手がアキオの手を包む。
〈いいのかい〉
〈強化なしで、人間なみの力だけで戦う。怪我はさせない〉
〈でも〉
〈すぐに終わらせて、街に出よう〉
声に出さない会話を終えると、アキオは広い中庭の中央に立った。
男たちは、相談の上、一人ずつ彼にかかっていくことを選んだようだ。
「さあ、みんな、一列に並ぶんだ」
ユイノが澄んだ声を張り上げて場を仕切る。
こういう行為は恥ずかしくないらしい。
「じゃあ、あたしの合図で、ひとりずつかかっていくんだよ」
先頭はナニエルだった。
前回は、彼の剣でヘルメットを紙のように斬り裂かれて戦意を失ったが、今回、アキオは素手で、彼は武器を持っている。
勝てないまでも、少しは良いところをみせられるだろう。
そう考えた彼は、パン、というユイノのよく響く拍手で、アキオに向かって剣を構えて斬りかかった。
ナニエルに対する彼の動きは速くなかった。
ゆっくりといってもいいほどだ。
だが、ほんの少しの身体の動きで、ナニエルが斬りつける攻撃はすべて躱されてしまう。
次の瞬間には、身体にほとんど密着するほど近づかれ――
一瞬、天と地が入れ替わったと思うと背中に衝撃が走った。
どうやったのか、穏やかに投げられて地面に転がっていたのだ。
ああ……
しかし、ナニエルは倒れながら声を上げた。
彼が得意とする、撃ちおろしの斬撃が、すべてアキオの外への動きで躱されていることに気づいたからだ。
俺の剣筋には、外から内へ向かう癖があるのだ――
「次」
ユイノの手が鳴り、待機していた兵士が斬りかかる。
その男も、数回斬りつけた後で、足を払われて地面に頭から落とされた。
アキオが足の甲で後頭部を受け止め、怪我をしないように下におろす。
1人に5秒たらずしかかからない。
――なるほどねぇ。
10人を超える衛士が倒される頃になると、ユイノにも、アキオがやろうとしていることが分かってきた。
彼は、彼女がイワーナにしたように、男たちに弱点を教えながら、彼らを倒しているのだ。
もちろん、全ての衛士が彼の意図に気づくとは思えない。
だが、分かる者はわかる。
それでいいと彼は思っているのだろう。
疲れの色を全く見せず、驚くほど短時間で200人を超える男たちとの戦闘をアキオは終えた。
彼に最後に挑んだのは――
「じゃあ、次、あっ」
手を叩いた後で、薄緑の長髪をなびかせて飛び出していった挑戦者に気づいてユイノが声を上げた。
イワーナだ。
彼女は、ユイノから学んだ絶妙の足さばきを使ってアキオに詰め寄り、鋭く斬りつける。
舞姫は、彼が口元に苦笑を浮かべていることに気づいた。
同様の足さばきで彼女の攻撃を避ける。
美女は、なおも華麗な足さばきで、連続して鋭い斬撃を彼に撃ちかけた。
ユイノが教えたお手本通りのきれいな技だ。
アキオは、今度はわずかな上半身の動きだけでそれを避けると、左右のフックを彼女のこめかみに打ち込む素振りを見せ、それに反応する美女の脚を払った。
「くっ」
高々と宙に浮きながら、着地の態勢すら取らずに、必死の斬撃を放つ美女の腕を捉えたアキオは、ほんの少し利き腕を捻って彼女に剣を捨てさせ、
「あ」
そのまま地面に落ちようとするイワーナをくるりと回して横抱きにした。
「上半身への攻撃で足への注意が疎かになった」
「はい」
静かに話しかける彼に、彼女は抱きすくめられた猫のように身を縮め、素直に返事をする。
「足場を失っても剣を手放さないのは立派だが、空中での態勢の維持と剣の持ち方には気をつけたほうがいい」
そういって、するりと美女を地面に下ろして立たせた。
「なんて――」
ユイノが茫然としながらつぶやく。
「長い会話なんだ……」
舞姫はつかつかと恋人に近づくと、両手を腰に当てて彼を見上げて言う。
「アキオ、この人は、シャルラ王専用だからね。気に入ってもだめだよ」
「そうか、だが――」
「隠しても分かるんだ」
「わかった」
無敵の黒の魔王が、頭ごなしに叱られる光景を目撃したナニエルたちは、どう反応してよいかわからず目を丸くしている。
「では、皆さん、朝の訓練は、これで終わり、ということで――」
ユイノは、長い手足を使って華麗なお辞儀を見せ、アキオの手を引いて中庭を出て行く。
「力関係でいったら、アキオ殿よりユイノさまの方が――」
言いながら振り返ったナニエルは、目前に広がる光景に言葉を失った。
衛士たちの、ほぼ全員が、明らかにアキオが指摘した各自の弱点を意識しながら体を動かしていたからだ。
イワーナも、落ちた剣を拾って仮想敵と戦っている。
「なんだ」
自分以外、黒の魔王による、自らの弱点の指摘に気づいたものはいないと思っていた彼は、苦笑いを浮かべたが――
「よし!」
剣を構えると、様々な太刀筋を交えながら、素振りを始めるのだった。