359.教授
「はっ」
短い掛け声とともに、光る剣先がユイノの鼻先をかすめた。
刃先を潰した、刃引きの剣ではあるものの、当たれば、かなりのダメージを受けるだろう。
だが、舞姫は、恐れる様子も見せず体を反転させ、バランスを崩す相手と背中合わせになる。
「あっ」
合わせた背中で体を回されて、転びそうになった女剣士は、長い薄緑の髪を美しく舞わせながら、すぐさま離れたユイノへ向けて剣を構えた。
髪と同色の瞳を鋭くして彼女を見る。
「信じられないお強さです。ユイノさま」
イワーナがつぶやいた。
「あんたもいい動きだよ」
「――」
良い笑顔を見せる少女に、再び女剣士が斬りかかる。
今度は、ユイノも躱さず、手にした長剣で、刃を傷めない絶妙な角度でイワーナの剣を弾き、数合打ち合った。
もちろん、何かの諍いで、彼女たちが戦っているわけではない。
事の起こりは、アキオとユイノが、シャロルを見送った直後に始まった。
「アキオ殿――」
振り向くと、シャルラ王が、ちょっと困った微笑みを見せながら立っていた。
「さきほど、ご自由にお過ごしください、と申しましたが――」
「なんだい」
「大変に、厚かましいお願いで申し訳ありません……」
一国の王が、辞を低くして彼らに願ったのは、イワーナとアキオの手合わせだった。
「へぇ」
ユイノは、アキオとの時間を取られることに難を示すより、まず、王がイワーナの願いを叶えてやりたいと思ったことに感心する。
なかなか、しっかりと心をつかんでいるじゃないか――
「わかったよ」
好意的な笑顔を向ける。
「いいだろう、アキオ」
もちろん彼に異論はない、が――
「まず、君が相手をしてくれ」
そう言った。
一瞬、ユイノは怪訝な顔をするが、
「いいよ。あたしがまず相手をする。王さま、それでいいかい」
「もちろんです」
「でも、どうしてあたしなんだい」
王と別れ、待ち合わせ場所のエストラル城の中庭――かつてシミュラとアキオが城内の魔法使いを全滅させた場所だ、に向かいながらユイノが尋ねる。
「俺では、上達の役に立たない」
アキオの言葉にユイノは納得する。
彼は、手加減はできるが、それは怪我をさせずに、あっさり彼が勝つだけだから、相手の技術の向上には役立たない、と言いたいのだ。
イワーナとて、まさか彼に勝てると思っているわけではないだろう。
ただ、彼との戦いで、何かを得たいと考えているはずだ。
「わかったよ、やってみる」
「すまない」
アキオは、ユイノを軽々と持ち上げて抱きしめる。
どうやら、昨夜からの可愛がりは、まだ続いているようだが、なんだか子供扱いされているようで納得がいかない――
足をぶらぶら揺らしながら、ユイノはそう考えたが、
「ま、いいかね」
すぐに、自分から彼に抱き着くのだった。
薄緑の瞳の美女は、すでに待っていた。
かつては石畳がむき出しであったが、今は一面、緑の芝に覆われている中庭に、二振りの剣を携えて、一人静かに立っている。
「このたびは、ご無理を聞いていただきまして、ありがとうございます」
丁寧に礼をいうイワーナに、まず、ユイノが相手をすることを伝えると、美女は少し険しい顔になった。
「ユイノさまが素晴らしいダンサーであることは存じておりますが、剣技となるとまた別。昨夜のお働きは素晴らしかったですが――」
昨日の夜、彼女は、剣を使わず体術で暗殺者を退けたのだ。
「彼女が本気をだせば、この国の誰より強い」
イワーナを遮ってアキオが断言すると、彼女は厳しい表情でうなずいた。
「わかりました。あなたさまが、そうまでいわれるなら――お怪我をさせないよう努力いたします」
ふたりの美女は、その手にそれぞれ刃引きの剣を手にし、離れて対峙した。
アキオはイワーナを見る。
体を傷つけぬように稽古用の厚手の衣服を身にまとった、そのリラックスした立ち姿から、イワーナの腕が尋常でないことが伝わって来る。
対するユイノは、朝にデザインを固定させたままの白いショート・ドレスから伸びるきれいな手足を陽光にさらし、これから恋人と逢引に出かけるような浮き浮きした感じで、優しく剣に手を添えて立っていた。
「アキオさま、合図を」
イワーナの言葉に彼がうなずくと、静かに戦いが始まった。
そして、先ほどの剣戟に続くのだ。
初めのうち、小柄で華奢な上、防具もつけない舞姫に対して、斬りつける踏み込みを浅くしていたイワーナも、今や、全力で彼女に向かっていた。
激しい剣風を巻き起こし、右袈裟、横薙ぎ、さらに突きと、息つく暇もない連続攻撃を仕掛けている。
が、ユイノはナノ強化を行わない体で、女剣士のすべての攻撃を、踊るように、舞うように、弾き、受け流し、時に軽やかに反撃していた。
その様子を見たアキオが微笑む。
強化を行わずとも、優れたダンサーであるユイノが、普通の人間に身体能力で劣ることはないが、しばらく見ない間に、彼女が剣を使った戦闘技能においても、数段、上達したことが見てとれたからだ。
兵士であるアキオは、もともと剣戟の専門家ではない。
どちらかといえば、銃剣、あるいはナイフ、または素手による戦いの方が好みだ。
そんな彼の眼から見ても、イワーナの戦い方には、足さばきに難があるのが分かる。
女性としては素晴らしい膂力を持っている彼女の攻撃は、どうしても腕の力に頼ったものになり、結果、その動きが単調に見えるのだ。
だが、力だけで振るう剣には、おのずから限界がある。
上には上があり、彼女より力のつよい男性剣士はいくらでもいるからだ。
力勝負ではなく、技で敵を圧倒しなければ、いずれは、より力の強いものに簡単に負けてしまうだろう。
全ての戦闘に通じることだが、特に、素手ではなく、触れれば傷を負わすことのできる剣戟では、いかに敵の斬撃を躱しながら、自身の攻撃を当てるかが肝要となる。
そのために必要なのは、上半身の柔軟さと足さばきだ。
彼と同様、それに気づいたらしいユイノは、ダンスのステップにも似た見事な足さばきで、押し、引き、躱しながら、美女の足の動きを矯正していく。
あたかも、ダンスでいつも彼女がおこなっているように――
しばらくすると、ユイノによって身体に覚えこまされた足運びで、イワーナの技量は格段に進歩した。
「良くなったよ」
ユイノがにっこり笑って、一瞬、間合いを外してから大きく踏み込み、イワーナの剣の柄頭を肘で弾いて跳ね飛ばし、美しく回転しながら剣の刃先を彼女の首元寸前で止めた。
「終わり、でいいね」
「はい。ありがとうございました。ユイノさま」
肩で息をして片膝をついたイワーナは、それでも笑顔で応える。
そっと彼女の腕に触れたユイノは、踊るような足どりでアキオのもとに戻って来た。
どうだった、と尋ねるより早く、アキオが彼女の頭を撫でて言う。
「いつのまに、あんなに上達した」
「灰色の拡散の時にね、もっとうまく戦いたいと思ったんだよ。だから、シジマに剣の扱いを教えてもらったんだ」
アキオはうなずく。
ヌースクアムの少女たちですら、シジマが彼女たちの中で、一、二の剣の使い手であることを忘れている者が多いだろう。
彼女の普段の言動と、際立つ工学の天才ぶりで見えにくくなっているが、もともと貴族の嫡男として生まれ、幼少期より、正当な剣技を厳しく教え込まれた彼女は、その才能もあって、飛びぬけた剣の技術を持っているのだ。
キィに、ノランですら勝てない華麗な剣技を教えたのも彼女だ。
もちろん彼女の技術は学習パッケージ化されているが、実際に本人から学ぶ以上のものではない。
「踊りも剣の扱いも君は美しい」
「あ、ありがとう」
愛する男の、飾らない素直な誉め言葉にユイノが満面の笑みを浮かべた。
いつものように、アキオに飛びつこうとしたところへ、背後から声がかかる。
「アキオ殿」
振り返ると、ナニエルが立っていた。
ノルムもいる。
それ以外にも、多数の衛士たちが興奮した面持ちで彼らを見つめていた。
いつのまにか、一個中隊、およそ200人余りの人数が、遠巻きに彼らを取り囲んでいたのだった。