358.慈愛
朝、ユイノが眼を覚ます。
彼女の頬の下には、アキオの穏やかに上下する胸があった。
見上げると、恋人の静かに眠る寝顔が見えて、舞姫は安心と同時に誇らしげな気持ちになる。
「アキオはね、地球では人に寝顔を見せたことがなかったの――」
かつて、ミーナがそう言ったことがあった。
「研究所にいるときはともかく、それ以外の場所は、彼にとっては常に戦場で、戦闘中のアキオは最低限の食事と睡眠しか取らなかったから。まして、他人と一緒にいるときはね」
AIはため息をつき、
「そんな彼が、あなたたちと眠る時は、決して自分が先に目を覚まさず、寝顔を見せるの――まさか、わたしも、自分が壊れる前にアキオが人に寝顔を見せる日を迎えるなんて思わなかったのよ」
その言葉を思い出し、彼女は身体を持ち上げて彼の顔に口づける。
アキオが眼を開けた。
「あ、おはよう」
少女の言葉に彼はうなずき、腕を動かして彼女をしっかり抱きしめる。
彼の大きな手が、ユイノの滑らかな背中をゆっくりと撫でさすった。
「ア、アキオ?」
しばらくして、彼は彼女を離し、言う。
「俺は君を可愛がることができたか」
ユイノは――しばらく呆気に取られた顔をしていたが、やがて吹き出した。
昨夜からの、アキオの普段と違う行動の意味が分かったからだ。
彼は、彼女の可愛がって、という言葉に対して、文字通り、それを実践してくれていたのだった。
「あんたって人は……いや、ありがとう。すごく可愛がってもらえて嬉しかったよ」
ユイノはアキオの頬に軽く唇を当てると、裸のまま寝台から滑りおり、大きく伸びをしてから下着を身に着け、服を着た。
他の少女と一緒に眠るジーナ城では、そそくさとアキオから離れ、シーツの下で下着をつけるのだが、ふたりきりだと結構大胆にふるまえるものだ。
扉にノックの音がする。
「はいよ」
ユイノが扉を開けると、驚くべきことに、シャロル姫が立っていた。
王女自らが、彼らを誘いに来たのだ。
「お食事の用意ができました。どうかご一緒に……」
少女の眼が大きく見開かれ、見る間に顔が赤くなる。
ユイノが振り向くと、アキオが上半身裸でシャツを身にまとうところだった。
「し、失礼いたしました。どうか、昨晩のお部屋にお出でくださいませ」
そういって、王女は慌てて扉を閉めた。
危うく扉が鼻に当たりそうになったユイノが、振り返って恋人をにらんだ。
「あのねぇ、アキオ――」
「どうした」
彼は、王女の反応に気づいているはずなのに、まったく意に介さない態度でコートを羽織る。
「それは必要かね」
ユイノの声が硬くなる。
彼が、武器を満載したコートを身に着けるということは、城内にまだ敵が存在する可能性があるということだ。
しかも、倒すのに武器が必要な――
「いや、念のためだ」
「あたしも――」
「君には必要ない」
そう言ってから、付け足す。
「君は薄着の方が――可愛い」
「はいはい、まったく、どこまでが本気なのかがわからないね。あんたは」
文句を言いながら、ユイノは、かつての緊急用衣服がシジマによって大幅に改良された汎用衣料に着替える。
操作用のブレスレットに触れて、様々の色、サイズ、デザインの服を試し――
「これでいいかい」
そういって、白いショート・ドレスにする。
純白の柔らかい素材の服は、小麦色の肌のユイノによく似合っていた。
昨夜、アキオ抜きで、シャロルたちと夕食をとった部屋に彼を連れていく。
ノックをして、返事を待ってから部屋に入る。
そこは、暖炉が燃える暖かい雰囲気の小部屋だった。
「ユイノさま」
シャロルが走り寄ってくる。
室内には、シャルラ王と数人の給仕しかいないためか、王女は、市井の少女のように天真爛漫に振舞っているのだ。
ぱふ、っと音がするような勢いで抱き着いた王女の頭を、ユイノが撫でる。
「さっきは悪かったよ。驚かせたね」
彼女が謝る。
少女のシャロルにショックを与えたのなら申し訳ない。
実際は、アキオと彼女は、まだそのような関係ではないのだが。
残念ながら――
「い、いえ、ご夫婦の朝ですもの、当然です」
今度は逆に、舞姫が頬を染める。
王女は、まじまじと彼女を見て、
「お綺麗です。ユイノさま」
「そ、そうかい、ありがとう」
「さあ、どうぞ、こちらへ」
シャルラ王の呼びかけに応じて、ふたりは席に着き、和やかな雰囲気の朝食が始まった。
国王は、ふたりに、なにか不便はなかったか尋ねる。
「いや、大変快適に過ごさせてもらったよ」
ユイノは笑顔で応え、この機会に伝えてしまおう、と国名について話す。
「ほう、ヌースクアム王国、ですか……意味をお聞きしても?」
「どこにも存在しない場所、転じて、理想郷、ということらしいんだけどね」
「それは、まことにアキオ殿の国に相応しい国名ですな」
シャルラ王は深くうなずく。
「今日の予定は」
食事が終わるとアキオが尋ねた。
「はい、早朝から、ザバドたちレジオンの者たちへの尋問を開始しています」
「態度は」
「驚くほど素直だそうです。すでに、まだ王都に隠れ潜んでいる暗殺者数名も捕縛に向かっているところです。この調子だと、本日中にレジオンは完全に壊滅します。よほど――」
そう言って王はアキオを見つめ、
「恐ろしい思いをしたようですな」
「それほどでもない――ただ、ザバドより、王都のならず者の方が気持ちが強かった」
「ああ、ゴリスだね」
ユイノが微笑む。
「あいつは3回死ぬまで耐えたが、ザバドは2回が限界だった」
「死ぬ?」
「い、いえ、王さま。死ぬほど怖いめにあわせた、という意味だよ」
シャルラ王は、ほんの少しだけ形の良い眉を顰めるが、すぐに笑顔になって、
「というわけで、昼すぎにはカヅマ・タワーを視察にでかけられます」
「じゃあ、それまでは――」
「ご自由にお過ごしください」
ユイノはうなずき、
「そうさせてもらうよ」
舞姫はシャロルを見る。
「これから、姫さまはどうするんだい」
「はい、わたしは、ルイズさまの――ソニャさまのもとへ行ってまいります」
「そうかい……」
言ったあとで、ユイノは少し困った顔になって、
「姫さま、もし、あたしのいったことで――」
「そうではありません。これは――そう、わたし自身の問題なのです」
「わかったよ」
ユイノは、小部屋から出て、早足で去っていく少女をしばらく見ていたが、ほうっと一息ついてアキオに向き直った。
「それで、あたしたちはどうするんだい」