353.饗宴
「なんだって、アキオがいない?」
ユイノが驚く。
「はい、ご案内したお部屋にも居られませんし、城内をお探ししても姿が見当たらないのです」
メルクが困った顔をする。
駆け込んで来た衛士が、宰相の耳に何か囁いた。
「その後は」
メルクの問いに男は首を振る。
「わかった。引き続き捜索を頼む」
「は」
衛士が去ると、メルクはユイノに向きなおった。
「今、報告が入りました。あの方は、夕刻に通りを歩いて街門を出て行かれたそうです、お独りで。黒い服、黒い髪という魔王のいでたちをされて、つまり――」
ユイノはうなずく。
「レジオンを挑発して、誘い出そうとしてるんだね」
「ユイノさまの方は?」
「今、連絡を取ろうとしたけど、アキオは出なかったよ。そういう状況なんだろうねぇ」
舞姫はため息をつき、
「何でも独りでやろうとするんだから――悪い癖だよ」
そう言って、寂しそうな顔になり、
「その上、もっと悪いことに、何でも独りでできてしまうんだよ、あの人は――」
そう言って、しばらく俯くと、パンと手を打って顔を上げ、
「考えても仕方がない。今までの経験で心配しても無駄だというのはわかってるんだ――予定通り、宴を開いておくれよ」
「しかし――」
「大丈夫。アキオの心配はいらない。あたしが保証するよ」
ユイノは笑顔になる。
この前の相手は、信じられないほど強大な敵だった。
だけど、今回の相手は、ホイシュレッケでもギデオンでも爆縮弾でもない、ただの人間なのだ。
人間相手なら何万人が相手でも、あの人が負けるわけがない。
アキオが突然いなくなる心配はいつもあるが、今回は絶対に違う。
ユイノはわざと陽気に言う。
「宴の最中に、敵の親玉――ザバドかい、そいつとか、もっとたいへんな人間を連れて戻ってくると思うよ。レジオンって組織を壊滅させてね」
「まさか――まあ、そうであればよいのですが……」
「いいんだよ、とにかくアキオのことは心配するだけ無駄だよ。宴の途中で戻ってきて参加するという予定でいると、ちょうどいいと思うね」
「わかりました――宴を催させていただきます」
「ユイノさま」
メルクが去ると、シャロルとイワーナが走り寄って来た。
「アキオさまがどうかなされたのですか」
「ああ、うん、ちょっとね」
「何なのです」
「その――レジオンを壊滅させるために、ちょっと出かけたみたいなんだ」
「何ですって!」
これから親子になろうとしている二人の声が重なる。
「ああ、心配はいらないよ。よくあることさ」
「ちょっと出かけたって、そんなわけはないでしょう」
美女が美しい眉間にしわを寄せる。
「イワーナさま、お顔にしわが刻まれておりますよ」
シャロルが、落ち着きを取り戻した声でからかう。
「姫さま――」
「ユイノさまはアキオさまの強さをいつも見ておられるから、ご心配されないのです。そして、わたしも一度だけですが、あの方の戦う姿を拝見したことがあります。あの方は――わたしは、その言葉が嫌いですが、確かに、魔王と呼ばれるだけの強さをお持ちでした」
いや、魔王なんてもんじゃない、さきの封印の氷の戦いで見せたアキオの強さは――ユイノは首を振って頭の中の言葉を打ち消し、
「とにかく、アキオのことは忘れて、宴の用意をしようじゃないか」
「わかりました」
イワーナが不承不承な様子でうなずく。
「でも、それほどお強いなら……」
「ん、どうしたんだい」
「いいえ、わたしたちはこれからドレスに着替えますが、ユイノさまはどうされますか」
「あ、そうだね。宴用の服が必要だね」
そう言って、少女は手首に指を触れた。
「え」
「あ」
ふたりが同時に声を上げる。
ユイノの着ていた服が、一瞬で、パーティードレスに変化したからだ。
「こんなものかい?」
「ユ、ユイノさま、それは――」
「城の仲間がコートに着けてくれた機能のひとつだよ。荷物が減って便利なんだ」
「そんな問題ではないと思いますが――」
先ほどまでとは、色はもちろん、素材まで違って見える衣装のあちこちを引っ張って長さを調整する紅髪の美少女を、あきれたようにイワーナが見つめる。
「それでは、アキオ・シュッツェ・ラミリス・モラミスさまと、ユイノ・ツバキさまをお迎えした喜びの宴を開催させていただきます」
メルクの言葉で、その夜の宴会は始まった。
場所は、エストラル城の東の塔の中ほどにある、露台のついた小ぶりな広間だ。
小ぶりとはいっても、ダンスをするには十分な広さがあり、部屋の中央には瀟洒な噴水が作られ、美しい水が溢れ出ている。
メルクが合図をすると、噴水の横に待機した楽団が音楽を奏で始めた。
「なかなかいい雰囲気じゃないか」
ユイノが小声でシャロルに話しかける。
「父上は、あらかじめ、宴の予定を立てて用意をされていたようです。わたしが襲われたので、それを口実におふたりをお城にお泊めするよう、メルクに強く命じられたとのことです」
「でも、それは、あたしたちにとっても好都合じゃないか」
「そうなのです。イワーナさまは、さっぱりとした、男らしい、決断力のある素晴らしい女性なのですが――」
ユイノの頭にキィの姿が浮かぶ。
「父のことになると」
そう言って、泉の横で歓談する王の近くの壁際で、俯き加減に飲み物を飲みながら、シャルラ王をチラチラ盗み見るイワーナを目で示し、
「ああなってしまわれるのです」
「なんだい、あれは?まるで――」
アキオを前にした、あたしじゃないか、とも言えず、気の毒そうに少女は黙り込む。
「だからこそ、のダンスなのです。踊り始めれば、必ずイワーナさまの硬さはほぐれ、いつもの彼女として父上とお話ができるはず。そうなれば――とにかく、踊るきっかけは、わたしが必ずつくりますので」
「姫さま――」
「なんでしょう」
「肝心なことを聞いていなかったんだけど」
「はい」
「シャルラ王は、イワーナさまのことをどう思っておられるんだい」
「それは、どうでもよいでしょう」
「え」
「いえ、失言です。もちろん、父上もあの方を憎からず思っておられるはずです。わたしが、いつもイワーナさまのことを話題にしていますから」
目を輝かせるシャロルを困ったようにユイノは見つめ、
「そ、そうなのかねぇ」
王女はしばらく口を閉じた後、
「実は、もっとてっとり早い方法が、あるにはあるのです」
秘密を告白するように話し出す。
「かりにも、一国の姫君がてっとり早いだなんて――」
少女はその言葉に取り合わず、
「大姫さまかアキオさまが、ひと言、仰っていただいたら即決です。イワーナと結ばれよ、と」
「そんなバカな……」
「いいえ、本当です。父上にとって、大姫さまとアキオさまは――なんと申しますか、英雄、憧れの方なのです。おふたりがそうせよ、と仰られたら、すぐに決まります」
「でもねぇ」
「そうなのです。イワーナさまが、それではいけない、と仰るのです」
「その通りだね」
「そのこともあっての今日のダンスです」
「なるほどね」
「楽しそうにお話しておられますね」
声を潜めて夢中で話す二人の背後から、言葉が掛けられる。
振り向くと、薄緑色の髪をした美しい夫人が彼女たちに向かって微笑んでいた。
「ああ、ルイズさま」
シャロルの言葉でユイノは気づく、この若々しく美しい女性がイワーナの母、メルメードフ伯爵夫人なのだ。
「ご紹介してくださる、姫さま」
これも、一国の姫君に話しかける言葉遣いとは思えない、率直な話しぶりで女性が頼む。
「はい、ユイノさま、こちらがメルメードフ伯爵夫人ルイズさまです。ルイズさま、ユイノ・ツバキさまです」
「なんて、可愛い方なのかしら。炎のような髪、青い眼、その肌の色も素敵です。おまけに小柄なのに手足が長くて――お人形さんみたいね。髪に触っても?」
「は、はあ」
「ルイズさま、ユイノさまが困っておられますよ」
「それは申し訳ありません――ところで、アキオさまはどこにおられるのですか」
「所用で、席を外しておられます。しばらくしたら来られると思いますわ」
如才なく王女が説明する。
「お会いして、ぜひお礼を申し上げたいのです。あの方のおかげで、この国は、こんなに平和に――」
そういって、伯爵夫人は広場を見回して、髪と同じ色の瞳を潤ませ、
「そうなるまでには、多くの犠牲がありました。なかでも、わが義弟のクレイルと娘のソニャは――」
胸にこみ上げるものがあるのか、美しい夫人は涙ぐむ。
「ルイズさま」
シャロルが、小さな手で夫人の背中をさする。
涙を拭うハンカチを差し出した。
「ごめんなさいね。あの娘に何もできなかった自分が情けなくて――」
「さあ、元気をお出しになって。ケシュラの独演が始まりますよ。今宵は、そのために、特に父が頼んでエストラ一のケシュラ弾きをお呼びしているのです」
「どなたですか?」
「なかなか直接にその演奏を聞くことは叶わないといわれているお方――」
王女は、噴水の横で眼を閉じて弦楽器を激しく奏で始める髪の長い男を手で示した。
「スタニラス・メラドフさまです」