351.篭絡
「へえ、うまいもんじゃないか」
シャロルが見せた画を見て、思わずつぶやいた舞姫は頭を掻く。
「い、いや、姫さまの作品にあたしなんかが適当なこといっちゃダメだね」
「良いのです。でも、本当にうまく描けていると思いますか」
「もちろんさ」
「アキオさまに見せても恥ずかしくないでしょうか」
「当り前だよ」
ユイノがきっぱりと断言する。
アキオがシャロルの画をけなすわけがない――たとえ、よくわかっていなくても。
少女は澄んだ目でじっとユイノを見る。
「どうしたんだい」
「ユイノさまにだけお話したいことがあります。大姫さまにもまだお話していないのですけど」
「無理はしなくていいよ」
「いえ、ぜひ聞いていただきたいのです。あなたさまに――」
ユイノは、膝を折って視線の高さを王女に合わせる。
「わかったよ。誰にもいわない」
「ありがとうございます」
少女は話し始める。
「わたしは、アキオさまが好きです」
ユイノがうなずく。
「いつか――」
少女が小さな顔を真っ赤にして言い淀み、その愛らしさに、ユイノは思わず抱きしめたくなる。
「ア、アキオさまの奥様の末席に……く、加えていただきたいと思っています」
「そうかい」
「もちろん、皆さまのお許しを得てからと思っていますが、その前に――」
「うん」
「わたしは第一王女なので、このままでは、国を継がなければならないのです」
ユイノが目で同意する。
「もちろん、わたしは、大姫さまが礎を築かれ、アキオさまが守って下さったこの国、民を愛しています――ですが」
少女が俯く。
「それでも、わたしはアキオさまの傍にいたいのです」
紅髪の美少女は優しい笑顔を見せた。
その気持ちは痛いほどわかるからだ。
かつて彼女も、彼と別れて、この国を目指して旅しようとしたことがあった。
その時の辛さは、今も夢に見るほどだ。
さっと少女は顔を上げ、
「そこで、わたしは悪くてずるい女になりました」
「な、な、なんだい」
あどけなさの残るシャロルが、思いがけない言葉を発するのを聞いて、ユイノは、しどろもどろになる。
「エストラの貴族に、メルメードフ伯爵という方がおられます」
「うん」
「その方は、亡くなった母の従妹であるルイズさまと結婚なされ、令嬢がひとりおられるのです。美しい方です」
「なるほど」
話の流れが見えないユイノは曖昧にうなずく。
「イワーナと申されるその方は、御年25歳になられるのですが――少女の頃から、父上のことがお好きなのです」
「え」
ユイノが驚く。
貴族は、サンクトレイカであろうと、西の国であろうと、そういった色恋の話は外に出さないものだからだ。
「もちろん、公言などされておられません。わたしは、ルイズさまと仲がよろしいので、父が母と結ばれた時、16歳のイワーナさまが、何日も部屋から出てこられなかったことを知っているのです。そして、あの方は、とうに婚期を過ぎた今も、おひとりで館で過ごしておられます」
「それは、シャルラ王を想ってかい」
「そうです」
「一途だねぇ」
「アキオさまにお助けいただいてから、わたしは――申し訳ないのですが、奸計をもってイワーナさまに近づきました。メルメードフ家は、苦難の時も変わらずメルクとともに、王家の味方でしたから」
「なんとなくわかってきたよ」
「お会いしてみると、イワーナさまは、お綺麗で優しく、そしてなにより気持ちの強い、すばらしい女性でした。あの方こそ父上の伴侶にふさわしい方です」
「つまり姫さまは、シャルラ王に再婚をさせたいんだね」
「はい。はっきり申しますと、イワーナさまに弟を生んでいただきたいのです」
ユイノはうなった。
この8歳になる姫君は、自分などよりずっと大人だ。
「そのためには、ふたりが結ばれないとねぇ」
その時、場内に夕刻を知らせる鐘が響いた。
「そこで、ユイノさまにお願いがあるのです」
「なんだい、あたしにできることなら――」
「そういっていただけると思って、すでに、先ほど、文を書いてお届けしました」
誰に、とユイノが尋ねるより早く、扉にノックの音がした。
「どうぞ」
侍女によって扉が開けられ、部屋の中に薄緑色の髪の美しい女性が入って来た。
「ユイノさま、ご紹介いたします。メルメードフ伯爵令嬢イワーナさまです。イワーナさま、こちらはユイノ・ツバキさま――」
「はじめまして、ユイノさま――なんてお綺麗な方でしょう」
「い、いや、なんとも、お恥ずかしい」
今、話題にしたばかりの女性を目の前にして、上流階級になれないユイノが意味不明な返事をする。
「お噂は伺っておりますよ。珍しい髪色の男性と、これも珍しい真紅の髪の女性が、見たこともない踊りをボザンヌ広場で披露されたと」
「まあ、イワーナさま、お耳が早いですね」
「ずっと屋敷にいるわたしを不憫に思う侍女たちが、街の出来事を色々知らせてくれるのです」
シャロルは、部屋の中央にある小さなテーブルの椅子をふたりに勧め、自分も座った。
「文でお知らせしたとおり、今日、お呼びしたのは、今宵の小さな宴にお招きするのはもちろんのこと、その前に、ユイノさまに、ダンスの手ほどきをしていただこうと思ったからです」
「まあ」
イワーナは上品に手を打ち合わせ、可愛く微笑んだ。
「そして、今日の宴では、ぜひ父上とふたりでダンスを――」
「はい」
「その前に、わたしはミリノ酒を父上にお勧めします」
「良いですね。あれは殿方の恋心に火をつけますから――」
王を篭絡する計画を、あからさまに語るふたりの美女を、ユイノは驚きに目を見張りながら見ていた。
イワーナは、ユイノの視線に気づき、ぱっと頬を染める。
「ごめんなさいね。驚かれたでしょう。でも、これは、わたしの最後の機会なのです。長らくわたしの我がままを聞いてくれた両親も、いよいよわたしに結婚のお相手を紹介しようとし始めていますから――時間がもう残されてはいないのです。16歳のわたしは、幼すぎてシャルラさまへの気持ちを両親にも言い出せませんでした。王妃さまが身罷られた時から昨年までは、姫さまのお気持ちを考えて、やはり――」
「わたしの気持ちはお伝えしました。あなたさま以外に母と呼べる方はおられません」
立ち上がったシャロルが力強く言って、イワーナの肩を抱く。
「ありがとうございます」
「つきましては――何か、殿方をその気にさせるような踊りはありますでしょうか、ユイノさま」
あっけにとられたように二人を見ていたユイノの眼に生気が戻る。
ダンス・フロアは彼女の主戦場だ。
「そうだねぇ。王さまと揃って練習をしてから踊るんじゃなく、女性がリードする形で踊って、男性を魅惑する――よし、いくつかあるよ。それを組み合わせれば、多分大丈夫だ。あれで落ちないのは――アキオくらいだからね」
「楽しみです」
「ところで、イワーナさまは、どの程度、踊りを嗜まれるのですか」
舞姫が一応の確認をする。
「少女の頃、社交界に出ても恥ずかしくない程度には親しんだのですが、はっきりいってそれほど得意ではありません」
「ユイノさま、イワーナさまは大丈夫です。その点は、わたしが保証いたします」
いかなる根拠があるのか、シャロルが断言する。
「そうかい。なら安心だ」
「まずは、やってみましょう。宴まで、あまり時間もありませんから」
「そうだね」
シャロルの意見で、彼女はイワーナにダンスを教え始めた。
ユイノが男性パートになって彼女をリードする。
確かに、イワーナには少女の頃ダンスを学んだきり、長いブランクのある様子がうかがえた。
しかし、そう感じたのは最初のうちだけで、しばらくユイノの指導を受けると、たちまち熟練した踊り手となっていく。
その上達の早さ、身体の動きの切れの良さは、とても屋敷に閉じこもる日々を送る女性とは思えない。
やがて――
「これくらいで、いいんじゃないかね」
ステップを止めたユイノが言った。
「ああ、ユイノさま、なんて素敵なんでしょう。ダンスがこんなに楽しいなんて、今まで思ったことがありませんでした」
頬を上気させて、イワーナが微笑む。
「本当に、見る間に上達されて――さすがです」
「ユイノさまの教え方が素晴らしいのです」
シャロルは大きくうなずいて、
「これは、なんとしても、アキオさまとのダンスを見せてもらわねばなりませんね」
「そうですね。ぜひ、宴では、おふたりのダンスも見せていただきましょう」
少女たちは、そのアキオが、すでに城から姿を消していることを知らない――