348.顕形
王女はアキオと手をつなぎ、ユイノは彼に寄り添って通りを歩いていく。
一時は騒然となった目抜き通りも、少し歩くと事件を知らない人々に溢れ、廿日市らしい賑わいを取り戻している。
「明るい良い街だねぇ」
ユイノが言い
「はい」
シャロルが嬉しそうに答える。
「それは姫さまのおかげだと聞いた――聞きましたよ」
「いいえ、もともと人々の中にあった熱気が表に現れただけです」
「そうかい?噂では、姫さまが先頭に立って改革してるっていってたよ――だから、さっきみたいなことになるんじゃないのかい」
「変化を嫌う者はどこにでもいます」
「そうかね……」
ユイノが顔を曇らせる。
「すまないねぇ、姫さま」
「どうしました」
「いや、あたしじゃなくて、アルメデさまやユスラさまなら、あんたの相談に乗ってあげられたと思ってね――いや、思いまして」
王女は、年相応に可愛く笑って、
「いつも通りの話し方をなさってください、ユイノさま。それから、わたしのことはシャロルと」
「そんな、滅相もない、あたしなんて平民中の平民なんだ――いや、ですから」
「そんなことはありません。あなたはアキオさまの想い人のおひとり、つまり王妃さまなのですから」
「え、そ、そうなのかね」
さっとユイノがアキオを見る。
見つめられたアキオは、一拍おいてうなずいた。
「その間が不安なんだけどねぇ」
ユイノは苦笑いし、
「じゃあ、お言葉に甘えて普段どおり喋らせてもらうよ」
パンと手を打って、
「そうだ、姫さま。聞きたいことがあるんだけど、いいかい」
「はい、なんなりと」
「どうやって、あたしたちを見つけたんだい」
「衛士から、ボザンヌ噴水広場に、アキオさまが姿を見せられたと報告があったのです」
「ああ」
ユイノがうなずく、あのカフールという衛士が城に知らせたのだろう。
「それを聞いて、わたしは変装をし、城から出る荷物に紛れて広場に向かったのです。一刻も早く、アキオさまにお会いしたかったものですから――エストラル城も他の城と同じく、入るのは難しいのですが、出るのは比較的容易なのです」
「やっぱり頭がいいね」
「ありがとうございます――ですが、広場に着いた時には、もうアキオさまの姿は見当たらず……」
「だろうねぇ」
その頃は、湖畔公園で食事をとって、ボートに乗っていたのだ。
「困って通りを行き来していると、螺旋塔に、救世の英雄そっくりの殿方がおられたとの噂を聞きこんで――」
「なるほどね」
「塔広場に着いたら、アキオさまのお連れの紅い髪の女性が、塔に抱き着いて空を見上げておられたのです――」
ユイノが、天を仰いで目に手を当てる。
「あれを見られてたのかい」
「何をされていたのですか?」
「いや、それは――またあとで教えるよ……」
やがて、進むにつれて通りから露店が消えていき、路面も美しい石畳へと変わっていく。
道幅が少し細くなり、その向こうに城門が見えてきた。
衛兵の最敬礼を受けて、門を越えると橋を渡り城内に入る。
知らせを受けたのか、メルク宰相が城の入り口で待っていた。
「お久しぶりです。アキオ殿」
彼がうなずくと、メルクがユイノに笑顔を見せ、
「螺旋塔はいかがでしたか、ユイノさま」
「いやぁ、良かったけどね――」
そういって、少女は宰相に近づき小声で尋ねる。
「どうして、浮彫細工のことを教えてくれなかったんだい」
それに対してメルクも小声で答える。
「申し訳ありません。姫さまから、アキオ殿には伝えるなと、きつく厳命されておりましたので――」
ユイノは、彼が眠っている間にメルクとも親交を深めていたらしい。
「ユイノさま、メルクを責めないでくださいね。わたしが、アキオさまを驚かせたかったから、わがままをいったのです」
シャロルが申し訳なさそうに言う。
「確かに驚いたね――アキオにそっくりだったから。姫さまの画がもとになってるんだろう?」
ユイノの指摘に、王女が仄かに頬を染める。
「幽閉されていた時、暇を持て余して、記憶をもとにたくさんの画を描いたのです」
「なるほど――それで上達したんだね。良かったら姫さまの描いたものを見せて欲しいね」
「わかりました。後でお見せいたします」
侍女が王女の耳に、何かささやき、
「わたしは視察のための服に着替えてきます」
そういって、シャロルは、かわいいカーテシーを見せて去っていく。
「アキオ殿とユイノさまは、こちらへ。シャルラ王がお待ちです」
メルクの言葉にアキオがうなずいた。
ふたりは、宰相の後をついて、エストラル城の広い通路を歩いていく。
「謁見の間じゃないのかい」
しばらく歩いた後で、こじんまりした扉の前で立ち止まる宰相にユイノが尋ねる。
「アキオ殿もユイノさまも、大げさな儀式を嫌われるだろうと大姫さまが仰られたのと――」
「それと、なんだい」
「カヅマ・タワーの付近で、曰く言い難い事件が起こっていて、王は、内密にそのご相談をされたいと考えておられますので――」
「なんだい、その、曰く言い難いってのは」
「なんともいえない、というか、形容しがたい、表現に困る、説明しがたい事件が起こっているのです――詳しくは、シャルラ王からお話があると思います」
そういうと、宰相は入口横の小さなノッカーを叩き、返事を待って扉を開けた。
中は、こじんまりとした温かな印象の部屋だった。
壁際に、これも小さな暖炉が設えられ、そこでは暖かな火が燃えている。
外の気温はそれほど低くはなかったが、石造りの城内では、これくらい暖を取った方が快適だ。
「ようこそおいでくださいました」
暖炉横の机から整った容姿の男が立ちあがる。
シャルラ王だ。
アキオが初めに会った時には、かなり衰弱して痩せていたが、今は、頬に赤みも戻り、体の厚みも増している。
年齢も三十代後半に見えるほど若返っていた。
「お久しぶり、シャルラ王」
ユイノが片手をあげる。
姫にはずいぶん遠慮がちであったのに、王に対しては信じられないほど慣れ慣れしい態度だ。
アキオの視線に気づいて少女は頭を掻く。
「いや、王さまとは、シミュラさまといっしょに何度も会って、エストラ国内にいくつか建てるタワーのことで話し合ったからね」
「最初に、大姫さまがユイノさまを連れてこられた時は驚きましたな――」
メルクが苦笑いする。
「あたしは、王さまたちと話ができるような人間じゃないからね。まあ、緊急事態だったから、勘弁してもらったってとこさ」
ユイノが軽く頭を下げる。
「わたしが王に対する言葉遣いをたしなめたところ、逆に叱られたのですよ。臣民と礼儀のどちらが大切なんだい、と」
「あの時は申し訳なかったね。でも、せっかくアキオが守った世界を、絶対に失いたくなかったんだよ」
「いえ、状況は、大姫さまから伺ってわかりましたから――ああ、どうかお掛けください」
そういって、宰相は、ふたりに椅子をすすめると王と共に席につく。
四人が座る机は、重厚ではあるが、小ぶりで機能優先の作業机だった。
質実剛健な造りだ。
「それで、その、曰くなんとかってのは、どういうことだい」
メルクは王を見た。
シャルラ王がうなずくと話し始める。
「アキオ殿は、王都周辺の気候が変わって、魔獣がいなくなったことはご存じですか」
「知っている」
「いなくなったのは魔獣だけで、ムサカなどの動物は残っている――というより魔獣がいなくなったことで、以前より数を増やして野山に生息しているために、多くの狩人たちが山に分け入って食料を王都に持ち込むようになったのです」
「それで、あんなに食べ物が豊富なんだね。いっちゃ悪いが16年前とは大違いだ」
「そうなのです――が、それと同時に、山に入る狩人たちの間で、不思議な噂が広まりまして」
「噂って」
「晴れた日に、いきなり黒雲が広がり、その雲が割れて美しく陽が射すと――」
「ああ、螺旋塔からあたしたちも見たよ」
メルクはうなずき、
「空から声が聞こえてくるのだそうです」
「空からの声――」
ユイノがつぶやく。
シャルラ王が、宰相の言葉を受けて続ける。
「意味は分からないのですが――言葉はいつも同じです」
「なんていってるんだい」
王は、呪文のように抑揚をつけず、覚えた通りの言葉を告げる。
「神を崇めよ」